スウェーデンで生まれ育ち、幼い頃は、森で過ごしたり、本を読んだりすることが好きだったという、結城アンナ(ゆうき あんな)さんは、1970年、15歳の時、お父さんの仕事の都合で日本に移り住んだそうですが、それから2年も経たないうちに両親が離婚してしまったといいます。
「結城アンナはハーフ(日本人の父親とスウェーデン人の母親)!」からの続き
15歳の時にスウェーデンから日本に移住
お父さんが、お母さん(スウェーデン人)との結婚をおじいさんに反対されて勘当され、お母さんの実家のスウェーデンで、結城さんは生まれ、暮らしていたそうですが、
4~5歳の時、スカンジナビア航空で働くお母さんの社員割引のエアーチケットを使って初めて日本を訪れると、お父さんもおじいさんに許されたそうで、結城さんは、お母さんの社員割引を使って、2年に一度、夏休みは日本で過ごすようになったそうです。
そして、1970年、結城さんが15歳の時には、お父さんの仕事の都合により、一家で日本に移り住むことになったそうです。
日本に移り住んで2年足らずで両親が離婚していた
ただ、日本に移り住んで2年も経たないうちに両親が離婚してしまい、結城さんはお母さんと暮らすことになったそうで、自然とお父さんとは会う機会が減っていったのだそうです。
両親が離婚して40数年経った頃に父親から初めて手紙が届いていた
そして、それから40数年経った2013年のある日のこと、初めてお父さんから手紙が届くと、そこには、「会いたい、時間つくってくれないか。アンナが喜ぶと思う場所があるから一緒に行こうよ」と、書かれていたそうです。
そこで、結城さんはお父さんと会うことになり、日程を調整していたそうですが・・・
そんな中、突然、お父さんは入院し、そのまま亡くなってしまったそうで、お父さんと一緒にその場所を訪れることは叶わなったのだそうです。
(結城さんは、今にして思えば、お父さんは自分がもうそう長くないと感じていたのだろうと、思っているそうです)
現在は父親から譲り受けた別荘に月1~2回は滞在
実は、お父さんは、40年前、東京から車で3時間の、山と川が流れる自然あふれる地に、スウェーデンから職人を呼び寄せてブルーの壁のログハウス(別荘)を建てていたのだそうです。
そして、結城さんはこの別荘を譲り受けたそうですが、お父さんが他界して2年後の2015年に義母と一緒に訪れると、別荘の周りには結城さんの身長よりも高い草が生い茂り、玄関までたどり着くのも大変な状態だったほか、家の中はあまりにも物が多く、どんな家なのか部屋の広さもわからないほどだったそうで、
結城さんは、この年(2015年)、60歳を機に仕事を再開したこともあり、時には友達に手伝ってもらいながら片付けを始め、2019年夏、ようやく片付けが完了したのだそうです。
(お父さんの物、おじいさんやおばあさんが愛用していた家具、食器、道具などもそのまま置かれていたそうですが、お父さんたちが大切にしてきた物を捨てるのは失礼だと思い、(また、リスペクトの気持ちから)少々部屋の雰囲気に合わなくても残したそうです)
ちなみに、結城さんは、このお父さんが残してくれた別荘について、
緑を見たり、近くを流れる川の音を聞いたり、すべてが癒やしです
家って人がいなければ何もない、ただの箱。人を呼んだり、一緒に過ごすと家もどんどん生きてくる。だんだん家と私が一体化するような気持ちになるんです。やっぱり人がいないとダメですし、空気も変えないとダメ。それはとても大切なことだと思います
などと、語っています。
(2023年現在、結城さんは、この別荘に月に1、2回訪れているそうですが、仕事の都合で来られないこともあるそうで、本当は暇さえあれば来て、1週間くらい滞在したいと思っているのだそうです)
「結城アンナの若い頃は?16歳の時に岩城滉一にナンパされていた!」に続く
結城さんがお父さんから譲り受けた別荘。