名脇役として活躍中の俳優、左とん平(ひだり とんぺい)さん。テレビドラマでは、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」「西遊記」「監察医・室生亜季子」、映画では、「居酒屋兆治」「楢山節考」「吉原炎上」など、多数出演されています。


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若い頃は劇団冗談工房

左さんは、少年時代、
古川ロッパさんやエノケン(榎本健一)さんのような、
コメディ俳優に憧れていたそうです。

彼らは、左さんだけではなく、
その当時の少年たちの憧れの存在だったようです。

そして、1957年、
高校の同級生の辻しげるさんらに、
「芝居をやらないか」と誘われて、劇団を結成。

その後、三木鶏郎さんの、
「劇団冗談工房」に入団されることに。

この三木さんという方は、
日本で初めてコマーシャルソングを作られた、
作詞、作曲家なんだそうです。

そして、数々のラジオ番組を、
作られた方でもありました。

その中の一つ、「トリローサンドイッチ」というラジオ番組に、
左さんは、冗談工房の一員として出演されます。

とは言っても、5分ほどの短いコーナーに、
「はい」とか「いいえ」と答えるだけの、
いわば、声のエキストラのような出演だったそう。

この仕事で、月に2000円位もらえたそうですが、
当時のサラリーマンの平均給与が3万円位だったので、

一言、二言話すだけの、短い時間で、
月2000円ももらえたら、
かなり楽なバイトと言えますね!

20代の頃は、新宿コマ劇場の公演に、
定期的に呼ばれるようになったそうで、
舞台に立ち続けることができたそうです。

僕の場合、才能とかどうとかいう前に、運が8割。

スタッフも役者も、ひとつの公演が終われば、
散り散りバラバラになっていくのが普通だけど、
たまたま知り合った人が次に呼んでくれて、
また次にも呼ばれて・・・
それが今になってもずっと続いているようなものだからね。

と、左さんは当時のことを、
インタビューで明かされていました。

役者にとって、運がいいことはとても重要だと、
左さんはおっしゃっていますが、
左さんの場合は、先輩にも恵まれたそうです。

当時、若気の至りで、
生意気で気の強かった左さんですが、
先輩たちもまた、裏表のない、
いわば、単純な人が多かったのだとか(^^)

それが左さんには良かったようで、
お芝居の中で、台本に書いてあったとはいえ、
先輩をおもいっきり蹴っ飛ばしたりしたこともあったそうです!

そういう無鉄砲な自分を、
許してくれる先輩たちに恵まれて、
自分は本当に運が良かったと、感じておられるそうです。

ヘイ・ユウ・ブルース

1973年、「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」
というギャグが持ちネタだった左さん。

このギャグが流行語となり、
「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」として、
レコード化されるまでになったそうです。

ある日、ほとんど面識がなかったミッキー・カーチスさんに、

「レコードを出さないか」

と持ちかけられたのだとか。

この楽曲は、
1990年には、スチャダラパーが、
1995年には、大槻ケンヂさんが、
2004年には、お笑いコンビ、カンニングによってカバーされ、

若い世代にも浸透し、
リバイバルヒットしています。

大槻ケンヂさんのカバーでは、
左さんも制作に参加されたそうです♪

世代を越えて、
どれほどのヒットだったか、伺えますね!

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ぎんざナイトナイト!

そして、深夜番組「ぎんざナイトナイト」では、
銀座を歩いている女の子をスタジオに連れて来て、
ディスコのDJに扮した左さんが、

ヘイ・ユウ! ホワッチャ・ネーム?

と話しかけるだけの、
コーナーがあったそうです。

さすがに、左さんも、

役者のオレがなんでこんなことしなきゃならないんだ。

と馬鹿馬鹿しく思い、

悪いけど、降ろしてください。

とディレクターにお願いしたところ、

あなたは物事を真剣に考えるからよくない。
こんなことは酒でも飲んで、勢いでやるくらいがちょうどいいんだ。

と思わぬ答えが返ってきたのだとか!

それで、言われるままに、
実行された左さんは、

本番前、ウイスキーの水割りを1杯。
ところが不思議なことに、酔わないのよ。
2杯目、3杯目と飲んでも、ぜんぜん酔わない。

オレって本当は酒の強い人間だったのかなぁ、
と思っているうちに本番が始まってね。
暗闇からライトを浴びた瞬間、
強烈な酔いがドッとやってきた。

と泥酔状態で、
なんとか本番を終えられたとか。

本当なら、仕事としては大失敗のはずが、
その回がおもしろいと評判に!

その結果、このコーナーは、
長続きすることとなったのでした。

左さんは、

人生、何がどう転ぶかわからないよね。

としみじみ振り返っておられました(^^)

しかし、「ヘイ・ユウ」という言葉が1人歩きし始め、
どこもかしこも「ヘイ・ユウ」となった現象に、
左さんは戸惑われたそうです。

左さんが計算してやったことではなく
ほんとに偶然のヒットだった為、
どうしていいのか分からなかったのでしょう。

他の番組にも、呼ばれるたびに、
「ヘイ・ユウ」をやってくれと言われることに、
さすがにうんざりされたそうです。

当時36歳だった左さんは、

役者として結果を残せる仕事をしたい、
偶然の人気にいつまでもしがみついていてはダメだ。

と思われたそうで、
「ヘイ・ユウ」を頼まれても、断ることに。

それが正しい選択だったと、
今でも思っておられるそうです。

しかし、70歳を過ぎた左さんは、
また「ヘイ・ユウ」を解禁され、

2013年「る・フェア~年末だよ!みんな集合~」公演で、
「ヘイ・ユウ・ブルース」を披露されたというのです。

その経緯について左さんは、

脚本・演出の毛利亘宏さんは、
「ヘイ・ユウ」のレコードが発売されたあとに生まれた世代だから、
リアルタイムでは聞いていないはずなんだけど、
そんな人から「ぜひやってほしい」と頼まれたら、断れないよ。

しばらく歌ってないから、できるのかなとも思うけど、
76歳の僕なりの「ヘイ・ユウ」をやってみたいね。

と、新たな気持で臨まれたことを、
語っておられました。

40年の歳月を経ての「ヘイ・ユウ」復活ということで、
また何か感じるものがおありだったのでしょうね。

どこまでも愛されキャラな左さん。
とてもラッキーな連続だったようにお見受けしますが、

それも、左さんのお人柄ゆえ、
なのではないかと、思いました。

仕事を頼みたい、仕事を一緒にしたいと思わせる何かを、
左さんはお持ちなのかもしれませんね。

若いころに戻りたいとは思わない。
今が一番楽しい。

と語っておられた左さん。

これからも末永いご活躍を期待したいですね♪
応援しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=LpqeY5BBH9I

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