1975年に「美津濃トーナメント」で初優勝を果たすと、以降、優勝を積み重ね、1981年には日本女子ゴルフツアーで賞金女王、1987年には全米女子ゴルフ(アメリカLPGA)ツアーで賞金女王に輝くほか、日本国内44勝、全米17勝という凄まじい記録を打ち立てた、岡本綾子(おかもと あやこ)さん。
今回は、そんな岡本綾子さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。
「岡本綾子の生い立ちは?中学高校はソフトボールでエース!ゴルフ転向理由は?」からの続き
岡本綾子は21歳の時に池田カンツリー倶楽部で研修生となりプロゴルファーを目指し猛練習に励んでいた
岡本綾子さんは、1972年、21歳の時、大和紡績を退職すると、翌年の1973年1月には、大阪・池田カンツリー倶楽部で研修生になったそうで、
周囲からはプロを目指すには少し遅いと言われたそうですが、水を得た魚のように仕事の合間を縫って猛練習に励んだそうです。
岡本綾子は23歳の時にプロテスト(2回目)に合格
すると、岡本綾子さんは、1974年4月、1回目のプロテストは不合格も、同年10月、23歳の時、2回目の受験でプロテストに合格。
ただ、岡本綾子さんは、プロテスト合格時、
将来の夢は、アメリカに行ってプレーすることです
と、抱負を語ったことから、
先輩たちからは、
やっとプロになったばかりで日本で1勝もしてないのに生意気
と、反感を買ったといいます。
岡本綾子は24歳の時「美津濃トーナメント」で初優勝
それでも、岡本綾子さんは、プロデビューして間もない、1975年11月、24歳の時には、「美津濃トーナメント」で初優勝に輝いています。
「美津濃トーナメント」で優勝に輝いた岡本綾子さん。(左は内田繁さん)
岡本綾子は25歳から29歳で優勝11回
その後も、岡本綾子さんは、
- 1976年(25歳)「オールスター」優勝
- 1977年(26歳)「ワールドレディス」優勝
- 1977年(26歳)「東北クイーンズ準備競技」優勝
- 1977年(26歳)「アサヒ玩具レディス」優勝
- 1977年(26歳)「日本女子プロ東西対抗」優勝
- 1978年(27歳)「KTVレディースクラシック」優勝
- 1979年(28歳)「日本女子プロ選手権」優勝
- 1979年(28歳)「東海クラシック」優勝
- 1980年(29歳)「熊本中央レディス」優勝
- 1980年(29歳)「北陸クイーンズ」優勝
- 1980年(29歳)「西海国立公園女子オープン」優勝
と、25歳から29歳の間に、11回もの優勝を積み重ねているのですが、
中でも、1979年、28歳の時の、「日本女子プロゴルフ選手権」(国内女子ツアーのメジャー大会)での、大迫たつ子さんとの激戦を制した戦いは、日本プロゴルフ界の「世紀の一戦」として現在も語り継がれています。
というのも、この試合では、岡本綾子さんと大迫たつ子さんが、互いにバーディーを奪っては奪い返すという壮絶なバーディー合戦を繰り広げ、最終的には、岡本綾子さんが、54ホールで17アンダーという女子としては驚異的なスコア(当時の世界女子プロ最小スコア)で優勝しているのです。
1979年、岡本綾子さんの「日本女子プロゴルフ選手権大会」での優勝を報じる新聞
ちなみに、樋口久子さんは、
女子でもこんなにすごいスコアが出るの?
森口祐子さんも、
同じコースでプレーする競技者でありながら、ギャラリーとして引き込まれてしまったのは、後にも先にもこの試合だけです
と、コメントしています。
岡本綾子は30歳の時には年間8勝で初の賞金王
また、岡本綾子さんは、1981年、30歳の時には、
- 「山陰女子プロ」優勝
- 「KBS京都レディース」優勝
- 「富士レディスクラシック」優勝
- 「北陸クイーンズ」優勝
- 「スタンレーレディス」優勝
- 「日本女子プロ東西対抗」優勝
- 「ミヤギテレビ杯女子オープン」優勝
- 「山陽クイーンズ」優勝
と、年間最多タイとなる8勝を挙げ、初の賞金王に輝いています。
岡本綾子は31歳で全米女子(アメリカLPGA)ツアーに参戦するといきなり同年に初優勝
そんな岡本綾子さんは、この年(1981年)には、米国女子ツアー予選会を4位で通過しており、翌年の1982年、日本人女子選手として、初めて本格的に全米女子(アメリカLPGA)ツアーに参戦すると、
同年、「アリゾナ・コパー・クラシック」では、初日に2アンダーで首位に立つと、2日目には、2バーディー、2ボギーで、5位タイに後退するも、3目には、3バーディー、1ボギーの通算4アンダーで3位タイに浮上し、
迎えた最終日には、サリー・リトルさんとのプレーオフに突入すると、2ホール目に岡本綾子さんが見事バーディーを奪い、全米女子ツアー初勝利を果たしています。
全米で初優勝した岡本綾子さん。
岡本綾子は32歳から33歳の間に全米女子(アメリカLPGA)ツアーで4勝
その後も、岡本綾子さんは、
- 1983年(32歳)「ロチェスターインターナショナル」優勝
- 1984年(33歳)「J&Bスコッチプロアマ」優勝
- 1984年(33歳)「メイフラワークラシック」優勝
- 1984年(33歳)「全英女子オープン」優勝
と、全米女子(アメリカLPGA)ツアーで勝ち続け、
1984年、33歳の時の「全英女子オープン」では、2位に11打差の大差を付けて優勝しています。
(「全英女子オープン」は2001年からメジャー大会となっており、当時はまだメジャー大会ではありませんでした)
岡本綾子は35歳の時には腰痛で引退危機も翌36歳の時には全米女子(アメリカLPGA)ツアー2勝
そんな中、岡本綾子さんは、1985年、34歳の時には、持病の腰痛の悪化により、引退の危機に迫られるのですが、手術をすると無事成功。
翌年の1986年、35歳の時には、全米女子(アメリカLPGA)ツアーに復帰すると、
- 「エリザベス・アーデンクラシック」優勝
- 「セルラーワン・ピン・ゴルフ選手権」優勝
と、復活を遂げています。
岡本綾子は36歳の時にはアメリカ人以外で史上初の全米女子(アメリカLPGA)ツアー賞金女王
すると、その後、岡本綾子さんは、1987年、36歳の時には、
- 「京セラ 稲盛ゴルフクラシック」優勝
- 「クライスラー プリマス クラシック」優勝
- 「レディキーストーンオープン」優勝
- 「ネスレ ワールドチャンピオンシップ」優勝
と、快進撃を続け、
アメリカ人以外で史上初の全米女子(アメリカLPGA)ツアー賞金女王に輝いたのでした。
また、この年、岡本綾子さんは、年間最優秀選手(プレーヤー・オブ・ザ・イヤー)としても表彰されています。
1987年「LPGAツアー」賞金女王に輝いた岡本綾子さん。
岡本綾子は37歳から41歳で全米女子(アメリカLPGA)ツアー6勝
そして、岡本綾子さんは、以降も、1992年に日本に帰国するまで、
- 1988年(37歳)「オリエント・リース ハワイアンレディースオープン」優勝
- 1988年(37歳)「サンディエゴ 稲盛ゴルフクラシック」優勝
- 1988年(37歳)「グレーターワシントンオープン」優勝
- 1989年(38歳)「LPGAコーニングクラシック」優勝
- 1990年(39歳)「サラ・リー・クラシック」優勝
- 1992年(41歳)「マクドナルド選手権」優勝
と、優勝を重ね、
全米女子(アメリカLPGA)ツアー通算17勝を挙げたのでした。
岡本綾子は全米女子(アメリカLPGA)ツアー参戦中も合間を縫って日本で優勝を重ねていた
ちなみに、岡本綾子さんは、全米女子(アメリカLPGA)ツアーに参戦している間も、その合間を縫って日本の大会にも出場し、
- 1982年(31歳)「東鳩レディス」優勝
- 1982年(31歳)「ダンロップレディス」優勝
- 1982年(31歳)「日本女子プロ選手権」優勝
- 1982年(31歳)「東海クラシック」優勝
- 1983年(32歳)「山陽クイーンズ」優勝
- 1984年(33歳)「ツムラ・五木クラシック」優勝
- 1986年(35歳)「ニチレイレディスカップ」優勝
- 1987年(36歳)「コニカカップワールドレディス」優勝
- 1989年(38歳)「東海クラシック」優勝
- 1989年(38歳)「イトーキクラシック」優勝
- 1990年(39歳)「日本女子プロ選手権」優勝
- 1991年(40歳)「ヤマハカップレディスオープン」優勝
- 1991年(40歳)「軽井沢72東急女子オープン」優勝
- 1991年(40歳)「廣済堂アサヒゴルフカップ」優勝
- 1992年(41歳)「東鳩レディス」優勝
- 1992年(41歳)「フジサンケイレディス」優勝
と、優勝を重ねているのですが、
日本帰国後も、
- 1993年(42歳)「日本女子オープン」優勝
- 1993年(42歳)「伊藤園レディス」優勝
- 1994年(43歳)「東鳩レディス」優勝
- 1994年(43歳)「イトーキクラシック」優勝
- 1994年(43歳)「廣済堂アサヒゴルフカップ」優勝
- 1996年(45歳)「フジサンケイレディス」優勝
- 1997年(46歳)「日本女子オープン」優勝
- 1999年(48歳)「カトキチクイーンズ」優勝
と、優勝を量産し、日本国内通算44勝を挙げたのでした。
ちなみに、岡本綾子さんは、腰痛が再発する中、プレーを続けていたそうで、2005年でツアーの参加を一旦中止し、2007年の女子ツアー参戦復帰に向けて意欲を見せていたのですが、膝の故障などもあり、岡本綾子さんが復帰することはありませんでした。
1993年、「日本女子オープン」で優勝した岡本綾子さん。
岡本綾子は54歳で世界プロゴルフ殿堂入り
そんな岡本綾子さんは、2005年、54歳の時には、日本人ゴルファーで3人目となる世界プロゴルフ殿堂入りを果たしています。
世界殿堂入りし樋口久子会長(左)と握手する岡本綾子さん(右)。
岡本綾子は現在は指導者として門下生を育成
現在、岡本綾子さんは、指導者として、若手女子プロゴルファーの育成に尽力しており、
門下生には、
- 服部真夕(はっとり まゆ)さん
- 表純子(おもてじゅんこ)さん
- 青山加織(あおやま かおり)さん
- 森田理香子(もりた りかこ)さん
- 若林舞衣子(わかばやし まいこ)さん
の5名がいます。
ちなみに、岡本綾子さんは、型にはめずに個性を生かしながら、弱点を補強していくことを基本に、一人ひとりの心技体を見抜き、マンツーマンレッスン(個別指導)をしているそうですが、
その理由について、
たしかに私が大変なんだけど、やっぱり一緒には見れないんだよ。選手同士も他が気になって自分に集中しなくなるし、私のほうもイメージが沸きづらくなるというか、教えにくい
と、語っています。
また、岡本綾子さんは、試合に向けて、手作りのおにぎりを準備するなどしているそうで、岡本綾子さんの門下生に対する思い入れの強さが伺えます。
「岡本綾子の旦那は?結婚している?過去の彼氏は?病気だった?」に続く
全米女子ゴルフ(アメリカLPGA)ツアーでアメリカ人以外の初の賞金女王に輝くなど、日米両ツアーで活躍し、女子プロゴルファー界のレジェンドと呼ばれている岡本綾子(おかもと あやこ)さん。 そんな岡本綾子さんのプライベートは …