1974年にプロ入りすると、以降、日本国内で、通算69勝、賞金女王7回という活躍で、男女を通じて外国人選手唯一の永久シード権保持者となっている、涂阿玉(と あぎょく)さん。

今回は、そんな涂阿玉さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、生い立ちを交えて時系列でまとめてみました。

涂阿玉

Sponsored Link

涂阿玉のプロフィール

涂阿玉さんは、1954年9月29日生まれ、
台湾・台中県豊原市(現・台中市豊原区)出身、

身長168センチ、

血液型はA型、

学歴は、
中学卒業、

ちなみに、涂阿玉は本名です。

涂阿玉は中学生時代にキャディのバイトをしたことがきっかけでゴルフと出会っていた

涂阿玉さんは、台湾の台中県豊原市の果樹園農家に誕生すると、中学生の時、家の前にゴルフ場「豊原カントリークラブ」ができたそうで、そこでキャディのアルバイトを始めたことがきっかけで、ゴルフと出会ったそうです。

ちなみに、涂阿玉さんは、人がゴルフをするのを見様見真似(みようみまね)で覚えたことから、最初は、グリップの握り方がフックグリップ(ストロンググリップ)で、球は全部フックになっていたのだそうです。

涂阿玉は17歳で淡水に移り陳金獅プロに師事していた

涂阿玉さんは、1969年、中学卒業後は、「豊原カントリークラブ」にキャディとして就職すると、17歳の時には、淡水に移ったそうで、そこで、陳金獅プロと出会い、陳金獅プロに師事したそうです。

また、淡水には、男子プロが大勢おり、日本オープン覇者である郭吉雄さんなどにも教えてもらったそうで、

涂阿玉さんは、

フックボールは陳金獅先生のレッスンで直しました。郭吉雄さんからはアプローチとパターを少し教えてもらいました。パンチショットは許勝三さんに教わりましたね。

と、語っています。

涂阿玉は淡水時代に謝永郁プロから「1つのクラブで4つの球を打て」と命じられていた

そんな中、涂阿玉さんは、謝永郁プロから、

アナタ、一流のプロになりたければ、1本のクラブで最低4つの球を打てるようになりなさい

と、言われたそうで、

涂阿玉さんは、これを、フック、スライス、高い球、低い球、の4つの球を覚えろということだと理解すると、練習場では、まっすぐの球は打たず、全て変化球を打つ練習をしたのだそうです。

(その後、涂阿玉さんは、「パンチショット」と呼ばれる5つ目の球をマスターしたそうです)

涂阿玉は20歳でプロデビューするとこの年初優勝

そんな涂阿玉さんは、1973年、19歳の時から、日本女子ツアーに参加すると、1974年、20歳の時にはプロに転向し、この年、「東海クラシック」で初優勝に輝いています。

20歳の涂阿玉
1974年、20歳の時の涂阿玉さん。

涂阿玉は28歳から32歳の間、5年連続賞金女王に輝いていた

すると、涂阿玉さんは、その後も、1980年までに7年連続11回のツアーで優勝し、1981年、27歳の時には、日本女子プロゴルフ協会入会(JLPGA)に入会すると、

  • 1982年(28歳)には、優勝数9回(年間最多優勝数)で(初の)賞金女王
  • 1983年(29歳)には、優勝数9回で賞金女王
  • 1984年(30歳)には、優勝数7回で賞金女王
  • 1985年(31歳)には、優勝数7回で賞金女王
  • 1986年(32歳)には、優勝数9回で賞金女王

と、5年連続で賞金女王に輝く、無類の強さを発揮しています。

1970年代の涂阿玉
1970年から日本ツアーに参加した涂阿玉さん。

涂阿玉は35歳で6度目の賞金女王、37歳で7度目の賞金女王に輝いていた

そして、涂阿玉さんは、その後も、コンスタントに優勝を重ねると、1989年、35歳の時には、6度目の賞金女王に、1991年、37歳の時には、7度目の賞金女王に輝き、賞金女王回数で樋口久子さんに次ぐ歴代2位を記録しています。

1991年の涂阿玉
1991年、日本女子オープンで優勝に輝いた涂阿玉さん。

涂阿玉は48歳の時に9年ぶりに優勝し樋口久子の国内最多勝利「69」に並んでいた

しかし、そんな涂阿玉さんも、1990年代前半に痛めた右大腿骨の付け根の故障の影響で、1993年、「東鳩レディスゴルフトーナメント」での優勝を最後に低迷します。

それでも、2002年、48歳の時には、「再春館レディース火の国オープン」で9年ぶりに優勝を果たすと、

この優勝で、日本国内の勝利数が「69」となり、樋口久子さんの最多記録に並んだのでした。

(日本女子プロゴルフ協会入会前の11勝を含む)

ちなみに、涂阿玉さんは、最終日にスコアを伸ばして、2位の久保樹乃(くぼ みきの)さん、大山志保(おおやま しほ)さん、小野香子(おの きょうこ)さんらとの激戦の末、1打差で逆転優勝を果たしており、

優勝インタビューで、

今の身体は年齢的な部分を除けば、故障前よりいい筋肉がついていると思う。それにクラブも年々良くなって、飛距離も若い選手にそう遅れずにプレーできている。久しぶりの優勝……最高です。なんか『新しいノ子』(新人選手の意味)みたいな気持ち

と、喜びを語っています。

(涂阿玉さんは、2014年でツアーへの参加はストップしています)

涂阿玉は「日本ゴルフ殿堂」プレーヤー部門で殿堂入り

そんな涂阿玉さんは、2017年には、「日本ゴルフ殿堂」プレーヤー部門で殿堂入りを果たしているのですが、

涂阿玉さんは、

今回、殿堂入りと云う栄誉を頂けるとのこと、心より嬉しく、また感謝申しあげます。ただ私一人で頂けるのではなく、ご支援いただいた皆様のおかげがあってこそと思っています。

賞金女王を取らせて頂くなど嬉しい思いも沢山経験させて頂きましたが、良い時は続かないもので、調子の良かった92年から股関節痛に悩まされ、日常生活にも支障をきたすという辛く苦しい経験もしました。

でもきっと治ると信じてトレーニングをし、9年ぶりに優勝も出来ました。故障をしたことにより、けがに苦しむ人に「あきらめないで」と伝えたいと思うようになりました。

これからは自分の出来る範囲で、少しでもゴルフ界に恩返しができたらと思っています

と、語っています。

「日本ゴルフ殿堂」入りした涂阿玉
日本ゴルフ殿堂入りを果たし、小林浩美副理事長(右)に表彰される涂阿玉さん(左)。

Sponsored Link

涂阿玉の現在は?

ちなみに、現在、涂阿玉さんは、後進の育成に取り組んでいるそうで、門下生のウー・チャイエンさんが、2023年の賞金女王に輝く活躍を見せています。

涂阿玉の門下生・ウー・チャイエン
涂阿玉さんの門下生のウー・チャイエンさん。

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link