1970年にプロデビューし、国内で無敵の強さを誇っていた、「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さんと、1965年にプロデビューするも、遅咲きで、1976年に初の賞金王に輝き、1978年から4年連続で賞金王に輝いた青木功(あおき いさお)さんは、ライバル関係で、コース内外で火花飛び散る壮絶バトルを繰り広げていたのですが、長年に渡り、不仲と言われていました。

今回は、そんな青木功さんと尾崎将司さんが不仲だった3つの理由をご紹介します。また、現在の関係についても合わせてご紹介します。

尾崎将司と青木功

Sponsored Link

尾崎将司と青木功の不仲理由3つ

尾崎将司さんと青木功さんが不仲になった理由は以下の3つだったと言われています。

  1. 尾崎将司は青木功と対戦した試合で負けを喫し、毒づいていた
  2. 尾崎将司は青木功にコンプレックスを抱いていた
  3. 尾崎将司と青木功の境遇の差が開きすぎていた

尾崎将司と青木功の不仲理由① 尾崎将司は青木功と対戦した試合で負け、毒づいていた

1990年5月、尾崎将司さんが勝利を収めた大会で、

ゲスト解説を務めていた青木功さんが、

ジャンボ、おめでとう

と、声をかけるのですが、

なんと、尾崎将司さんは、

そんなもん強いもんが勝つのは当たり前だ

と、言い放ちます。

これに対し、青木功さんは顔を紅潮させ、

それじゃあ、次の試合(第14回三菱ギャラン)でどっちが強いか決着をつけよう

と、果たし状を叩きつけ、

2人は、兵庫県西脇市にある日本屈指の超難コース、ゴールデンバレーゴルフ倶楽部で対戦することに。

すると、青木功さんは、難コースに逆らわず、ゲームの流れに沿った世界仕込みのしたたかなゴルフを展開するのですが、

一方、尾崎将司さんは、コースをねじ伏せようと言わんばかりの豪快なショットで攻めのゴルフを貫き、青木功さんとは正反対のプレースタイルで激突します。

その結果、刻みのゴルフでミスを最小限に食い止めた青木功さんが1オーバーで優勝し、尾崎将司さんは3日目に崩れて4オーバーで2位タイに終わるのですが、

試合後、青木功さんが祝福の輪に包まれていると、

尾崎将司さんは

コースを造るアホにプレーするアホ。同じアホなら刻まな損々

こんなチマチマしたコース、やってられない

と、吐き捨てたのでした。

このように、尾崎将司さんと青木功さんが不仲になった理由の1つは、尾崎将司さんが青木功と対戦した試合で負けを喫し、毒づいたことだと思われます。

尾崎将司と青木功の不仲理由② 尾崎将司は青木功にコンプレックスを抱いていた

青木功さんは1990年以降、国内外のシニアツアーに参加するなど、全盛期を過ぎてもマイペースで活動を継続し、2004年には、日本人男子選手初となる世界殿堂入りを果たすなど、順調なゴルフ生活を送っていました。

一方、尾崎将司さんは、暴力団との交際、芸能界や相撲界の大物との銀座豪遊など、スキャンダルが取りざたされていたほか、バブル期に手を出したゴルフ場開発や投資などの副業がことごとく失敗し、

2005年には、民事再生法を申請して、千葉県習志野市の「ジャンボ御殿」と呼ばれる自宅が競売にかけられるなど、30億円以上とも言われる生涯獲得賞金を失っています。

ただ、そんな尾崎将司さんも、2010年には、世界殿堂入りを果たしているのですが、

記者会見では、

日本でゴルフに貢献した自負はあるが、世界で貢献したかというと、皆さんもご存じのとおり、たいへん残念な結果であります

と、暗に青木功さんを意識した発言をし、青木功さんへのコンプレックスをにじませています。

このように、尾崎将司さんと青木功さんが不仲になった理由の1つは、尾崎将司さんが青木功さんにコンプレックスを抱いていたことだと思われます。

尾崎将司と青木功の不仲理由③ 尾崎将司と青木功の境遇の差が開きすぎていた

青木功さんは、2014年には、第114回全米オープンゴルフのゲスト解説やジュニアクラブでの指導など、引っ張りだこの状況が続いていました。

一方、尾崎将司さんはというと、全盛期はプロアマトーナメントに出場する際、最低でも100万円以上を要求していたそうですが、2014年5月17日に参加した「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」で支払われたのは20万円ほどと、開店休業状態でした。

このように、青木功さんと尾崎将司さんが不仲になった理由の1つは、尾崎将司さんと青木功さんの待遇の差が開きすぎたことだと思われます。

Sponsored Link

尾崎将司と青木功は現在は和解

しかし、そんな尾崎将司さんと青木功さんも、前述の2014年5月17日に行われた「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」で、ホールアウト後、互いの目を見つめ合ってニッコリと微笑み、がっちりと握手。

40年に及び不仲だった関係にピリオドを打ち、電撃的に和解を果たしています。

そして、そんな二人の姿に、長年の確執を知る観客からは、どよめきの声が上がったのでした。

実は、この対面は、膝痛でこの大会を欠場した青木功さんが、自身の代役として、尾崎将司さんに直筆の手紙をしたため、出場を打診して実現したものだったそうで、青木功さんの方から尾崎将司さんに歩み寄り、和解を実現させたのでした。

ちなみに、尾崎将司さんは、この「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」が終わった後、青木功さんに「ありがとう」と言い、消えるように会場を後にしています。

尾崎将司と青木功

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link