1980年、全米オープンで、”帝王”ジャック・ニクラスさんと死闘を繰り広げて、全世界に鮮烈な印象を与え、「東洋の魔術師」と称賛された、プロゴルファーの青木功(あおき いさお)さん。

今回は、そんな青木功さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を画像を交えて時系列でまとめてみました。

青木功

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青木功は20歳で初めてプロテストを受験するもわずか一打差で不合格となっていた

青木功さんは、他の研修生とともに切磋琢磨しながら、徐々に実力をつけていくと、真剣にプロを目指すことを決意したそうで、

1962年、20歳の時には、プロテストを受験したそうですが、わずか一打差で不合格になってしまったそうです。

20歳の青木功
20歳の頃の青木功さん。

青木功は22歳で2回目のプロテストに合格するも自分の才能に疑問を抱きプロボウラーへの転身も考えていた

ただ、1964年、22歳の時、2回目のプロテストに挑戦すると、見事合格し、念願のプロになったそうですが・・・

プロになった安心感から遊び歩くようになり、練習に力が入らなくなったそうで、当然、成績も伸びず、予選落ちの連続だったそうで、

そんな日々を送るうち、自分の才能に疑問を抱き始め、(当時ブームだった)プロボウラーへの転身も考えたのだそうです。

青木功はプロ7年目28歳にして初優勝

そんな中、青木功さんは、1970年、28歳の時、プロボクサーの厳しいトレーニングを見たことがきっかけで、徹底的な肉体改造に打ち込み、過酷なトレーニングを積むと、徐々に結果が出るようになったそうで、

それから1年後の1971年6月、プロ7年目、28歳にして、ようやく「関東プロゴルフ選手権」で初優勝を果たしたのでした。

28歳の時の青木功
1971年の青木功さん

青木功は34歳で初の賞金王に輝くと、36歳から4年連続賞金王に輝いていた

以降、青木功さんは、毎年優勝を重ねると、1976年、34歳の時には初の賞金王に輝き、1977年は逃すものの、1978年(36歳)、1979年(37歳)、1980年(38歳)、1981年(39歳)と、4年連続、通算5度の賞金王に輝き、国内トッププロの座を不動のものにしたのでした。

1978年の青木功
1978年「中日クラウンズ」で優勝した青木功さん。

ちなみに、青木功さんは、ジャンボ尾崎(尾崎将司)さんと、しのぎを削り、熾烈な賞金王争いを展開するほか、日本プロゴルフ選手権でも何度も対戦し、名勝負を繰り広げています。

青木功は36歳の時「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝

また、青木功さんは、1974年、32歳の時には、本格的に海外ツアーに参戦し、1978年、36歳の時には、1976年のマスターズを制したレイモンド・フロイドさんらを破り「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝に輝いています

1978年の青木功
1978年、「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝した青木功さん。

青木功は38歳の時「全米オープン」でジャック・ニクラスと死闘を繰り広げ惜しくも2位

そんな青木功さんは、次の目標を全米ツアーでの優勝に定め、1980年、38歳の時、全米オープンに出場すると、

初日は、”帝王”と呼ばれるジャック・ニクラスさんに5打差の9位と力の差を見せつけられるも、2日目以降、じわじわ差を詰めると、3日目にはジャック・ニクラスさんと同スコアで首位に。

そして、迎えた最終日、青木功さんは、最終ホールまで首位ジャック・ニクラスさんに2打差の2位と奮戦するのですが、最終的には、ジャック・ニクラスさんが差を守り抜き、青木功さんは、惜しくも2位に終わったのでした。

しかし、ジャック・ニクラスさんと繰り広げたこの戦いは、「バルタスロールの死闘」と呼ばれ、現在でも語り継がれるほどの名勝負となっており、

1978年の世界マッチプレー選手権に続いて、世界中に鮮烈な印象を残した青木功さんは、”東洋の魔術師”と称され、世界のトッププロの仲間入りを果たしたのでした。

1980年の青木功
1980年、「全米オープン」より。青木功さんとジャック・ニクラスさん。

青木功は40歳の時、日本人初の米国PGAツアー優勝

以降、青木功さんは、1983年2月、40歳の時には、ハワイアン・オープンで、最終日最終ホールでチップインイーグルを決め、日本人初の米国PGAツアーで優勝するほか、

1989年、1月22日、46歳の時には、豪州ツアー「コカ・コーラクラシック」で優勝し、世界四大ツアー (日・米・欧・豪) 優勝を達成するなど、国内外で目覚ましい活躍を続けています。

1983年の青木功
1983年2月、ハワイアン・オープンで優勝した青木功さん。

青木功は52歳から4年連続で「日本シニアオープンゴルフ選手権」優勝

また、青木功さんは、1992年、50歳の時には、米シニアのPGAツアー・チャンピオンズに主戦場を移すと、同年、「ネーションワイド選手権」で初優勝を果たし、

日本でも、日本シニアオープンゴルフ選手権で、1994年(52歳)、1995年(53歳)、1996年(54歳)、1997年(55歳)と4連覇を達成しています。

そして、2007年、65歳の時には、最終日にエージシュートとなる「65」をマークして、10年ぶりの優勝を果たしています。

青木功は62歳で世界ゴルフ殿堂入り、71歳で日本プロゴルフ殿堂入り

そんな青木功さんは、2004年、62歳の時には、樋口久子さんに続き、日本人2人目となる世界ゴルフ殿堂入りを果たすと、2013年、71歳の時には、日本プロゴルフ殿堂入りも果たしています。

世界ゴルフ殿堂入りの祝賀会での青木功
世界ゴルフ殿堂入りの祝賀会でトロフィーを掲げる青木功さん。

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青木功の現在は?

ちの後、青木功さんは、2016年3月4日、73歳の時に、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の第4代会長に就任すると、男子ツアーの人気回復に取り組むなど、精力的に活動していたのですが、

2024年3月1日、81歳の時には、

この夏で82歳になる。今後は陰ながら男子ツアーを見守りたい

と、語り、任期満了にともない退任しています。

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