ジェット機のように強烈なドライバーショットを武器に、日本ゴルフツアー通算15勝を挙げた、「ジェット尾崎」こと尾崎健夫(おざき たてお)さんですが、実は、高校時代は野球少年で、伸びのあるストレート持ち味にエースとして活躍していたといいます。

今回は、そんな尾崎健夫さんがどのような経緯でプロゴルファーに転向したのか、生い立ちと共にご紹介します。

尾崎健夫

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尾崎健夫(ジェット尾崎)のプロフィール

尾崎健夫さんは、1954年1月9日生まれ、
徳島県海部郡海陽町の出身、

身長181センチ、
体重81キロ、

血液型はB型、

学歴は、
徳島県立海南高校卒業、

趣味は、ペット(犬)と遊ぶこと

ちなみに、尾崎健夫は本名です。

尾崎健夫(ジェット尾崎)は元軍人で厳しい父と優しい母の間に4人兄弟の2人目として誕生

尾崎健夫さんは、生前、

私は航空飛行隊のパイロットでした。だから子供には『戦争で負けることは死ぬことだ。」どんなに苦しくても、どんな危険があっても負けてはいかん。試合に負けることは死ぬことだと思え』と言ってきました。精神的スパルタ教育です

と、語っていた、元軍人(航空飛行隊のパイロット)で、戦後はお百姓をしていた父・實さんと、

生前、

ゴルフも自然が相手ということで百姓と似てますな。それでも根気強く田んぼに出る姿をあの子らもゴルフの時に思い出して“くじけたらだめや”と思うてくれればね……

と語っていた、母・寿子さんの間に、

4人兄弟(兄1人、妹1人、弟1人)の2人目として誕生すると、徳島の自然に恵まれた環境の中で育ったそうで、

尾崎健夫さんは、

運動をやってきた俺たちに食べさせるだけでも大変だったのに不足したことはなかった。たぶんオフクロが食べるのを我慢してたと思う。どんな豪華な食事より帰省した時のカレーが一番うまかった

と、語っています。

尾崎健夫(ジェット尾崎)は高校時代は投手として活躍していた

尾崎健夫さんは、身体能力が抜群だったという父・實さんのDNAを他の兄弟と共に引き継ぐと、高校時代は、徳島県立海南高等学校の野球部に所属し、伸びのある速球が持ち味で、控えの捕手は、尾崎健夫さんの球を捕れなかったといいます。

そんな尾崎健夫さんは、ストレートを武器にエースとして活躍し、大石友好さんとバッテリーを組んで、1971年の春の徳島大会では優勝するのですが、その後の四国代表決定戦では、徳島県立徳島商業高等学校に惜しくも敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

また、同年夏には、県予選準々決勝で、池田高校に敗れ、やはり、甲子園出場は叶いませんでした。

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尾崎健夫(ジェット尾崎)は高校卒業後はプロ野球ドラフト会議でヤクルトアトムズから3位指名を受けていた

それでも、尾崎健夫さんは、1971年、17歳の時には、プロ野球のドラフト会議でヤクルトアトムズ(現・スワローズ)から3位指名を受けます。

そこで、尾崎健夫さんは、そのままヤクルトアトムズに入団しようと考えていたそうですが・・・

(周囲の誰もがそう考えていたそうです)

7歳年上の兄・ジャンボ尾崎(尾崎将司)さんの勧めで考えが一転して、ヤクルトアトムズ入団を辞退し、プロゴルファーに転向することを決意したのだそうです。

(兄の尾崎将司さんは、尾崎健夫さん同様に高校時代エースとして活躍すると、なんと、甲子園初出場初優勝を果たし、プロ野球の西鉄ライオンズに入団するのですが、わずか3年でプロ野球選手を引退すると、その後、プロゴルファーに転向し、既にこの1971年には、「日本プロゴルフ選手権」でプロ入り初優勝を果たしたうえ、その後も勝ちまくり、この年通算5勝を挙げています)

「【画像】尾崎健夫の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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