2005年、芸能事務所のオーディションでグランプリを受賞して芸能界入りすると、その後、「FINEBOYS」の専属モデルとして活動し、同年には、テレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビューを果たした、大東駿介(だいとう しゅんすけ)さんですが、
小学3年生の時にはお父さんが失踪し、中学2年生の時にはお母さんも家を出ていくなど、育児放棄されたそうで、その後は、電気が止められるなどの壮絶な環境の中で一人暮らしをしていたといいます。
今回は、そんな大東駿介さんの、壮絶な生い立ち(小学生時代から高校卒業まで)をご紹介します。
大東駿介のプロフィール
大東駿介さんは、1986年3月13日生まれ、
大阪府堺市の出身、
身長182センチ、
体重62キロ、
胸囲92センチ、
胴回79センチ、
靴のサイズは27センチ、
血液型はA型、
学歴は、
堺市立旭中学校
⇒大阪府立堺工業高等学校(現・大阪府立堺工科高校)
趣味は、旅、アウトドア、観葉植物、映画鑑賞、
ちなみに、本名は「大東弘典(だいとう ひろのり)」、旧芸名は「大東俊介」です。
大東駿介が小学校3年生の時には父親が失踪していた
大東駿介さんは、タクシーの運転手だったお父さんと、実家でクリーニング屋を営むお母さんのもと、一人っ子として誕生するのですが、
お父さんは、大東駿介さんが小学校3年生の時にいなくなってしまったそうで、その後、お母さんが井戸端会議で話しているのを聞いて、両親が離婚していたことを知り、親戚から、お父さんは失踪したのだと聞いたそうです。
(もともと、お父さんとは、タクシーの運転手という職業柄もあり、滅多に家で会うことがなかったそうです)
大東駿介が中学2年生の時には母親も家に帰って来なくなっていた
こうして、母子家庭で育った大東駿介さんですが、大東駿介さんが中学2年生の時には、今後は、お母さんがあまり家に帰って来なくなったそうで、
(そのため、お母さんが営むクリーニング屋さんも休みがちになったそうです)
最初は1日おきに帰って来ていたのが、2日に1回、1週間に1回と間隔があいていき、どんどん帰って来なくなったそうです。
(お母さんは、階段に500円や1000円を置いていなくなったそうです)
そして、大東駿介さんは、中学2年生にして、家に一人きりとなり、お母さんが営んでいたクリーニング店のレジのお金やお店に落ちている小銭を集めてコンビニでお菓子を買って食いつないでいたそうで、
大東駿介さんは、その時のことについて、
でも10円を10枚握りしめてお菓子を買いに行くのが恥ずかしくて。その姿を人に見られたくなくて、だんだん夜中に活動するようになり、次第に学校にも行かなくなりましたね。
と、語っています。
大東駿介は中学2年生の時には持っていくお弁当がなかったことから学校へ行かなくなっていた
ちなみに、大東駿介さんが学校に行かなくなった理由は、お昼に食べるお弁当がなかったからだそうで、
最初のうちは、食べていないことがバレないようにしながら学校へ行っていたそうですが、それも限界となり、学校に行かなくなったのだそうです。
大東駿介が中学2年生の時には電気も止められていた
そして、学校へ行かなくなった頃、家のライフラインが止まり始めたそうで、電気がなくても生きていけると思い、電気は止まったまま、食べ物の方を優先したそうですが、
(ただ、電気が止まったことで夜が怖かったそうで、布団から指1本出ているだけでも怖かったそうです)
そんな生活をしているうちに、次第に心が貧しくなっていき、
俺は普通の人じゃなくなったんや
と、自分が恥ずかしくなってきたそうで、
ついに家から出ることができなくなったのだそうです。
また、家の1階にあった大きな姿見に映る自分に向かって「殺すぞ」とずっと叫び続け、それを聞きつけた近所のおじさんがドアを開けて入ってきたこともあったそうですが、
大東駿介さんは、自分に「殺すぞ」と叫んでいた理由について、
自己否定でしょうね、きっと。いろんなことを恨んでいたけど、なぜか自分のことも憎んでいた。実は、こういうエピソードも長らく忘れていたんです。
最近、自分の過去の話を人にする機会が増えたので、僕を引き取ってくれた叔母にインタビューをして。話を聞く中で、思い出した記憶です。
と、語っています。
大東駿介は中学3年生の時に友人たちに助け出されていた
ただ、それから約1年経った中学3年生の時、大東駿介さんが家に引きこもり、学校へ行かなくなっていると、いつも5人組でつるんでいた仲間たちが、毎日、「大東、遊ぼう!」と、声をかけに来てくれたそうで、
それでも大東駿介さんが出て行かないでいると、5人組は、ついに、家のドアを突き破って中に入ってきてくれ、助け出してくれたのだそうです。
(その5人組のうちの一人が、お笑いコンビ「金属バット」の林圭輔さんだったそうです)
大東駿介は中学3年生の時に叔母に引き取られてまともな生活を取り戻していた
その後、大東駿介さんは、親戚の叔母さんの家に引き取られると、我が子のようにかわいがって育ててもらったそうで、そのお陰でとても楽しい高校時代を過ごすことができたのだそうです。
ちなみに、大東駿介さんは、高校時代は、バンドを組むなど音楽活動に熱中するほか、アルバイトにも励むようになっていたそうですが、
大東駿介さんは、
中学生のときは、ひとりきりでいる自分の家が、世界の全てだと思っていた。「俺はもうここから出られない」って。それが友達や叔母に連れ出してもらったら、たやすく、もっと広い世界が見えたんです。
「自分ではお金を稼ぐこともできない」って思っていたのに、叔母に「あんたバイトしいや」って言われてバイトしてみたら、意外と簡単にお金が稼げたとか。
「自分は人と話すこともできない」と思っていたけど、バイト先の店長に「ちゃんとお客さんのために働け」って言われてお客さんと話してみたら、案外楽しかったとか。
自分がそれまで「ここが限界だ」と思っていたものが、どんどん壊されていったんですよね。
と、語っています。
大東駿介は高校卒業後の17歳の時に俳優を目指し上京していた
その後、大東駿介さんは、俳優を目指し、アルバイトでお金を貯めて、高校卒業後(17歳)上京したそうですが、
実は、もともと、映画が大好きで、大杉漣さんに憧れ、
いろいろな映画の中で、違う人生を送っているおじさんがいる
と、思っていたことから、
叔母さんに引き取られる前の苦しい時期には、ふと、
今の自分も『ひとつの作品の中の自分』と考えたら、楽になるんじゃないか
とも、思っていたそうで、
大東駿介さんは、
(親という)自分の価値を認めてくれる人がいなくなって、そのまま消えてしまう選択肢もあったけれど、僕は、生きることを選んだ。
だったら、いろんな作品に出ては、違う役を演じる俳優のように「今この瞬間を『ある作品の中のすごい苦しんでいる人』くらいに距離を置いて、ただ通り過ぎてしまえばいい」と思ったんです。
そうやって考えを巡らせる中で、俳優になりたいと思ったんですよね。
と、語っています。
「【画像】大東駿介の若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
2009年、NHK朝の連続テレビ小説「ウェルかめ」でヒロインの夫役で注目を集めると、その後は、コメディから時代劇、シリアスまで、様々なジャンルの作品に出演し、作品の支柱的存在として、その演技が高く評価されている、大東駿介 …