1960年、舞台「がしんたれ」で林芙美子役を演じられると、脇役ながら高い評価を受け、1961年には、林芙美子を主役にした舞台「放浪記」で主演に抜擢された、森光子(もり みつこ)さん。以降、「放浪記」は森さんのライフワークとなり、通算2017回もの上演記録を達成。この間、一度も休むことなく舞台に出続けられたのでした。

「森光子の若い頃は喜劇女優!結婚してた?本名は?身長は?肺結核だった!」からの続き

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上京するも脇役の日々~舞台「放浪記」がワイフワークに

大阪では、絶大な人気を誇り、実力も認められるも、
東京から来たスターとの共演では、いつも4番手程度、
という扱いに不満を持っていた森さんは、

1958年、「東宝」の重役で劇作家の菊田一夫さんに、

「(東京)芸術座で芝居をやらないか」

と誘われると、「東宝」と専属契約を交わし上京。

同年には、芸術座公演「花のれん」
(原作:山崎豊子さん、脚色:菊田一夫さん、主演:三益愛子さん)

次いで、舞台「がめつい奴」にも出演されるのですが、
やはり、相変わらず、脇役続き。

しかし、1960年に、菊田さんの自伝的小説の舞台化、
「がしんたれ」で、林芙美子役を演じられると、
脇役ながら高い評価を受けたことから、

菊田さんが、これを発展させる形で、
「放浪記」の脚本を、林芙美子を主人公に執筆され、

森さんは、ついに、
主役の林芙美子役に抜擢されたのでした。


1961年「放浪記」初演より。浜木綿子さん(左)と森さん。

ちなみに、「放浪記」は、
1961年10月に、芸術座で初公演されると、

当初、森さんは、共演者の浜木綿子さんに、

この舞台も1、2回で終わりよね。
でも、努力していれば、いつか報われる日が来る。
誰がどこで見ているかわからないもの。

と、おっしゃっていたそうですが、

それどころか、結果的には、
通算2017回もの上演を達成しており、

森さんは、1962年に、過労から「急性肺炎」を患われた時も、
病院から舞台に通い、1度も休演することはなかったそうで、

森さんは、後に、この時の心境を、

舞台で死んでも、この役を渡したくない。

と、明かされています。

また、この作品は、
森さんが「でんぐり返り」をするシーンが有名ですが、

それ以外にも、セリフが多いうえ、衣装替えが何度もあるなど、
体力的にとても大変だったにもかかわらず、

森さんはいつも小走りで軽やかで、
80歳を過ぎても、開演5時間前には劇場入りされるなど、
ようやくつかんだ主役への思いは並々ならぬものがあったようです。


2005年上演の「放浪記」より。この動き、82歳とは到底思えません!

テレビドラマ「時間ですよ」で「お母さん女優」の地位を確立

以降、森さんは、舞台やテレビドラマで活動され、
1965年には、「東芝日曜劇場」の一編として制作された、
テレビドラマ「時間ですよ」で主役の女将を演じておられるのですが、

1970年に「時間ですよ」が連続ドラマとしてスタートすると、
引き続き、しっかりものの女将役を演じた森さんは、
一躍、お茶の間の人気者に。


「時間ですよ」より。(左から)堺正章さん、悠木千帆(現・樹木希林)さん、
松原智恵子さん、船越英二さん、森さん。

そして、その後も、

1971年「土曜グランド劇場・2丁目3番地」
1973年「銀座わが町」
1975年「花吹雪はしご一家」
1978年「敵か? 味方か?3対3」
1979年「熱愛一家・LOVE」
1980年「なぜか初恋・南風」
1981年「かくれんぼ」


「熱愛一家・LOVE」より。(前列左から)長谷川初範さん、石野真子さん、
(後列左から)柴俊夫さん、森さん、太川陽介さん、浅茅陽子さん。

など数多くのテレビドラマで、
割烹着の似合うお母さん役を演じられると、

森さんは、日本を代表する、
「お母さん女優」としての地位を確立されたのでした。

ワイドショー「3時のあなた」で司会

また、森さんは、女優業のかたわら、
その気さくなキャラクターから、

1974~1988年には、ワイドショー「3時のあなた」で、
月曜日と火曜日のメイン司会を担当されるほか、


「3時のあなた」より。三浦友和さんと山口百恵さんの婚約会見を紹介する、
司会の森さんと須田哲夫アナウンサー。

1977~1989年には、「ドリフと女優の爆笑劇場」
1987~1994年には、加トちゃんケンちゃん光子ちゃん」

と、大阪時代の喜劇女優としてのキャリアを活かして、
スペシャル枠のコント番組にも出演されるなど、
幅広い分野で活躍されたのでした。

晩年は?80歳半ばまででんぐり返し!

その後も、森さんは、
精力的に芸能活動を続けられるのですが、

さすがに、2007年(87歳)頃からは、
年齢による衰えが隠せなくなり、

2008年1月には、舞台「放浪記」で、
名物となっていた「でんぐり返し」を封印されると、

追い打ちをかけるように、同年4月には、
マネージャーとして公私に渡って森さんを支え続けた、
唯一の肉親の妹の柳田咲子さんが他界され、

森さんは、そのストレスのせいからか、
のどの病気を患い、明らかに衰弱してしまいます。

ただ、それでも、森さんの舞台にかける執念はすさまじく、
2009年(89歳)、マキノノゾミさんの舞台「晩秋」で復帰されると、

翌年の2010年1月には、ジャニー喜多川さん作・演出の舞台、
「新春 人生革命」で、滝沢秀明さん、錦織一清さんと共演。


「新春 人生革命」より。
(左から)錦織一清さん、森さん、滝沢秀明さん。

しかし、この頃には、すでに、立ち上がりや歩行も困難となっており、
舞台では、座ったままの姿勢での演出が多くなったそうで、

さらに、台詞回しに抑揚が欠け、長台詞になると、
セリフを忘れてしまうこともあったのでした。

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死因は?何歳で?

そして、翌月の2月には、
ついに、「放浪記」の上演は中止となり、
森さんは、事実上、活動停止。

その後は、自宅で静養しながら、
マスコミの取材に応じたり、ジャニーズ関連の公演に足を運ぶなど、
比較的お元気にされていたのですが、

その年の秋頃、体調を崩されると、以降、
順天堂大学病院に入退院を繰り返すようになり、

その後、食べ物も飲み込めなくなってしまい、
2011年、同病院に入院。

点滴による栄養補給を受けられるのですが、
肺炎を起こすなど衰弱が進み、

2012年11月10日、「肺炎による心不全」のため、
92歳で他界されたのでした。

ちなみに、森さんは、この入院中も、
体調が良い時はスクワットを行うなど、
女優復帰への意欲は持ち続けていたそうで、

枕元には、常に「放浪記」の台本が置かれてあり、
最期の言葉は、

「みなさん、一生懸命される仕事を生きてね」

だったそうです。

ところで、その生涯を女優に捧げた、
森さんのプライベートはどんなものだったのでしょうか?

「森光子の元旦那は?東山紀之との関係は?滝沢秀明とも?」に続く

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