デビューから苦楽をともにした、マネージャー・相澤秀禎氏が去り、一人になってしまった、西郷輝彦(さいごう てるひこ)さんは、その後も地道に歌手活動を続けるも、大きなヒットに恵まれず、やがて、俳優業に新天地を見出します。

「西郷輝彦は相澤秀禎に裏切られるもその後和解していた!」からの続き

Sponsored Link

アイドルからの脱皮に成功するも・・・

1969年9月、マネージャーだった相澤秀禎氏が去り、個人事務所を閉鎖した西郷さんは、「第一共栄事務所」に移籍するのですが、1970年には、これまでと違いロック色の強い楽曲「真夏のあらし」をリリースすると、ヒットを記録し、アイドルからの脱皮に成功。


「真夏のあらし」

その後も、ロック色の強い楽曲「情熱」(1970)「掠奪」(1971)「愛したいなら今」(1972)とヒットを記録するのですが・・・

以降はヒット曲に恵まれず、音楽番組に出場しても、古い持ち歌を歌わざるを得ない状況となってしまいます。

人気脚本家・花登筐から「どてらい男」の主人公・山下猛造役に指名される

そんな西郷さんは、歌手活動に限界を感じ、俳優に転身を決意。

実は、歌手活動のかたわら、既に、1961年には「若い季節」でテレビドラマデビュー、1964年には「十七才のこの胸に」で映画デビューされていたのですが、

1973年、大正時代を舞台に、福井の貧しい農家で生まれ育った小学校卒の山下猛造が、大阪の機械工具問屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)に入り、様々な困難にめげず、持ち前のアイディアと行動力で商売人として成功していく姿を描いた、花登筐(はなと こばこ)さんの連載小説を原作とする、テレビドラマ「どてらい男(やつ)」で、花登さんから直接、主人公の山下猛造(やましたもうぞう)役に指名されると、

西郷さんは、花登さんの期待に応えるため、周囲の反対を押し切り、アイドル歌手のイメージを捨てて、丸刈りにし、熱演。

(青春歌謡歌手だった西郷さんにとって、丸刈りにするということは、かなり決意のいることだったそうです)


「どてらい男(やつ)」より。

すると、当時の人気脚本家だった花登さんの作品ということや、西郷さんの体当たりの熱演ぶりが大きな反響を呼び、最高視聴率は35.2%を記録する大ヒット。

その後、放送は延長に延長を重ね、1977年まで、「戦後篇」「激動篇」「死闘篇」「総決算篇」と、全183話にわたり、シリーズ化されるほどの人気を博したのでした。

(ちなみに、「どてらい男」を収録し始めた当初、1人で台本7、8ページもの独白や回想シーンがあったそうですが、西郷さんは、台本にあるセリフを、まるでそのまま写真に撮ったかのように記憶できたそうで、この頃の西郷さんは、とにかくスラスラと暗記ができたそうです。)

Sponsored Link

「どてらい男」が40年ぶりに視聴可能に

ところで、この「どてらい男」、これまで、再放送もDVD化もされていなかったのですが、2018年7月から、Amazon Prime Videoチャンネルの「京都Ch」で配信がスタート。

初回放送から、40年の時を超え、西郷さんの熱演が視聴できるようになったことで、反響を呼んでいるそうです。

「西郷輝彦は花登筺に見いだされて俳優に転身していた!」に続く

どてらい男より。(左から)西郷さん、田村亮さん、高田次郎さん。

Sponsored Link