日本でその名を知らない人はいないと言ってもいいほど、お笑い界の大御所として現在も活躍中の、加藤茶(かとう ちゃ)さん。今回は、そんな加藤さんの最初の奥さんと病気についてご紹介します。

「加藤茶は8時だよの直後に志村けんとのコンビで再ブレイクしていた!」からの続き

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最初の嫁は?

加藤さんは、1987年、18歳年下で、きもの学院の講師をされていた鈴子さんと結婚されています。


当時の加藤さんと鈴子さん。

当時、加藤さんの冠番組だった、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」内で、披露宴の模様が録画中継されたのですが、

芸能人の結婚披露宴中継では、郷ひろみさん、森進一さん、渡辺徹さんに次ぐ歴代4位となる視聴率36.3%という高視聴率を記録したことから、いかに加藤さんの注目度が高かったかが分かります。

その後、お二人の間には、3人のお子さんが誕生し、幸せな日々を送られているかと思われていたのですが・・・

離婚理由は?

16年後の2003年(加藤さん60歳)には離婚。

(その時は、いかりや長介さんが病気療養中だったため、心配をかけないようにという心遣いから、離婚のことは公表されず、2004年にいかりやさんが亡くなった後、離婚を公表されました。)

原因は、加藤さんの若い女性好きだったそうで、度重なる浮気と、家族を顧みない加藤さんに悩まされた鈴子さんが、ついに我慢できなくなって、離婚を申し立てたと言われています。

ちなみに、加藤さんは、離婚後、バラエティ番組で、

家に帰っても誰もいないんだよ

と自虐ネタを言うことが多くなるのですが、自身が原因とは言え、やはり、少し寂しかったかもしれません。

私生活が乱れ暴飲暴食で狭心症に

ただ、家に帰っても誰もいない生活は、

飲みに行って朝まで遊び、それから寝ないで仕事に行くこともあった。それなりに名を残したし、もう死んでも仕方ないかな、と思うこともありました。

と、歯止めがきかずにどんどん乱れていき、

食事も、肉やラーメンなど好きなものばかりを食べるなど、暴飲暴食を繰り返していたそうで、結果、2005年、62歳の時には、健康診断で「狭心症」と診断され、「動脈硬化を起こしている血管部分を広げる手術」を受けられたのでした。

大動脈解離で生死の境をさまよう

この時、加藤さんは、医師から生活の改善を助言されたそうですが、一人暮らしだったため守れず、不摂生な生活を続けていたところ、

翌年の2006年、名古屋での公演終了後、飲んで深夜にホテルに帰ると、胃の周辺に激痛が走り、さらには、丸太で殴られたような痛みが背中や肩ほか全身を襲い、高熱も出たそうで、その日の夜は一睡もできず、

東京に戻ってからも、しばらくは我慢していたそうですが、それから2週間後、こらえきれずに病院に検査に行くと、大動脈の内膜が裂ける「大動脈解離」であることが判明。

(長年の不摂生がたたり、もろくなった血管壁に亀裂が生じ、本来、1本の流れのはずが、2本の流れになっていたそうで、破裂すると即死することもあるほど、危険な状態だったそうです)

検査した主治医からは、即、大学病院の入院を指示され、救急車で大学病院に運ばれるのですが、加藤さんは救急車の中で意識を失ったといいます。

しかし、加藤さんは、血液を固まりにくくする「狭心症」の薬を普段から飲んでおり、もし、手術をすれば、出血が止まらず、死んでしまうことから、すぐに手術をすることができませんでした。

そこで、薬が体から抜けるのを待ち、緊急入院から5日目にようやく手術。

手術は、心臓を停止させて、脳にだけ血液を流した状態で行われたのですが、約10時間にも及ぶ大手術となり、その結果、大動脈の解離した部分が人工血管に置き換えられたそうで、

加藤さんは、

自分は生かされている、と感じました。お客さんに喜んでもらう使命が、まだあったからかな。

と、おっしゃっていました。

(2週間、生死の境をさまよったそうです)

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元嫁が看病していた

その後、加藤さんは、2ヶ月の入院生活を経て、その4ヶ月後に仕事に復帰されているのですが、

そんな加藤さんを甲斐甲斐しく看病されたのは、元奥さんの鈴子さんだったそうです。

実は、鈴子さんは、この時に限らず、離婚後も加藤さんの身の回りの世話などをされていたそうですが、それでも、めでたく復縁、と言うわけにはいかなかったようです。

「加藤茶の年の差45歳の嫁・綾菜との馴れ初めは?」に続く

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