荒井注さんと一緒に「ザ・ドリフターズ」脱退を約束するも、結果的には残留するはめになり、荒井さんの後釜に、荒井さんの付き人をしていた志村けんさんの加入を後押しした、加藤茶(かとう ちゃ)さんですが、これが、「8時だョ!全員集合」の再浮上だけではなく、後の再・大ブレイクにも繋がることになります。

「加藤茶は荒井注のせいでドリフ脱退できず志村けん加入を後押ししていた!」からの続き

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最愛の母親の死に自殺を考えていた

志村けんさんが加入したことで、再び「ザ・ドリフターズ」が大ブレイクし、お笑い界の頂点に立った加藤さんでしたが、

そんな中、一緒に暮らしていたお母さんが「脳出血」で倒れ、10日後には他界(1982年)。

最愛のお母さんの死に、加藤さんは、

すぐに病院に連れて行っていれば……

つらくて悲しくて、後を追いたかった。葬式の間ずっと、どうやって死のうか考えてたんだ。

と、悲しみに打ちひしがれ、自殺まで考えるようになったそうですが、

そんな加藤さんを見たお坊さんから、

変なこと考えていませんか。お母さんは、あなたに未練がないから、あの世に逝ったんですよ。

と、諭されたそうで、自殺は思いとどまられたのだそうです。

「8時だョ!全員集合」が終了

さて、爆発的な人気を博した「8時だョ!全員集合」も、放送開始から12年ほど経った1981年頃からは、マンネリと言われ始め、リーダーのいかりや長介さんも、「疲れた」「引退したい」と漏らし始めたそうで、

加藤さんによると、

追いまくられて、長さんが精神的にまいっちゃった。ネタは志村とオレで考えるようになった。

そうですが、

視聴率は、裏番組の「オレたちひょうきん族」に抜かれるようになり、ついに、1985年には、生放送の限界などもあり、放送が終了します。(放送開始から実に16年803回続きました。)

「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で再び大ブレイク

すると、加藤さんは、休む間もなく、後番組として、1986年1月から、志村けんさんと共に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」をスタートさせると、


「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」より。志村けんさんと加藤さん。

お二人の絶妙な掛け合いや、ギャグ要素たっぷりのコメディドラマなどが視聴者にウケ、「8時だョ!全員集合」時代、人気を逆転された「オレたちひょうきん族」から徐々に人気を奪回。

さらには、同年の暮れに、ビートたけしさんが「フライデー襲撃事件」を起こしたことが影響し、1989年には「オレたちひょうきん族」が打ち切りに追い込まれると、

「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」は、かつて、「8時だョ!全員集合」で奪われた「土曜8時」の王者の座を完全に奪回したのでした。

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俳優、ミュージシャンとしても活動

その後、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」は6年続き、1992年3月には、一旦、放送が終了するのですが、翌年4月からは「KATO&KENテレビバスターズ」としてリニューアル。

また、その一方で、加藤さんは、単独でバラエティ番組に出演されるほか、俳優業にも進出し、1992年には、テレビドラマ「パパと呼ばせて!」で主演を務められると、アメリカの喜劇役者・ジャック・レモンを思わせる独身の中年男を好演。


「パパと呼ばせて!」のポスターより。加藤さんと西田ひかるさん。

1999年には、ドリフのメンバーだった、高木ブーさんと仲本工事さんを誘い、「こぶ茶バンド」を結成すると、ミュージシャンとしても活動されています。(現在も不定期で活動されています)


「こぶ茶バンド」。(左から)仲本工事さん、加藤さん、高木ブーさん。

ちなみに、「こぶ茶」は、仲本工事さんの「こ」、高木ブーさんの「ぶ」、加藤茶さんの「茶」から、取られているそうです♪

「加藤茶は元嫁も18歳下!離婚後も病気の看病をしてもらっていた!」に続く

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