1984年の映画「ロケーション」以降は、徐々に様々な役柄のオファーが来るようになったという、竹中直人(たけなか なおと)さんですが、1991年、34歳の時に、映画プロデューサーの奥山和由さんに、映画「無能の人」で主演と監督に抜擢されると、いきなり、監督としても才能を発揮します。

「竹中直人の映画デビュー作は「痴漢電車 下着検札」!」からの続き

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劇作家・岩松了と「竹中直人の会」を結成

1984年、映画「ロケーション」で森崎東監督に助言を受け、素の自分をさらけだして演じることができるようになったという竹中さんは、次第に、シリアスな小市民、悪役、と役柄の幅を広げていき、1990年、33歳の時には、「劇団青年座」を退団。

1991年からは、劇作家の岩松了さんの書き下ろし作品を竹中さんが上演する、「竹中直人の会」を結成します。

(2004年からは、竹中さん自身が演出も務め、「竹中直人の匙かげん」として公演)

初監督映画「無能の人」でいきなり才能発揮

また、そんな中、1991年、34歳の時には、映画プロデューサーの奥山和由さんにその才能を見出され、映画「無能の人」で主演と監督の両方に抜擢されると、

映画はヒットするほか、「ベネチア国際映画祭国際批評家連盟賞」を受賞し、竹中さん自身も、俳優としては「ブルーリボン賞主演男優賞」、監督しては「第6回高崎映画祭若手監督グランプリ」を獲得し、一躍脚光を浴びたのでした。


「無能の人」より。風吹ジュンさんと竹中さん。

「無能の人」は自身にとっても最高の映画

ちなみに、この「無能の人」、竹中さんが、自分で映画を作ってみたくて、プライベートでも映画の話ばかりしていたところ、プロデューサーの奥山さんが、「映画を撮ってみないか」と言ってくれたそうで、

竹中さんは、

まさか自分が監督として松竹作品でデビューするなんて、まるで夢のような出来事・・・。それも35ミリのフィルムカメラです!

大好きだった小津安二郎監督作品常連の、久我美子さん、須賀不二男さん、「突貫小僧」(1929)の青木富夫さんにも出演していただきました。

そして、小津作品の中でもたまらなく好きだった「東京暮色」(1957)へのオマージュとして、あるシーンと全く同じカットで撮影しました。

松竹映画「無能の人」は、ぼくにとっては一生忘れられない最高の映画です。松竹作品に名を残せた事も最高の喜びです!本当にありがとうございます。感謝を込めて・・・

と、語っています。

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監督作品

そんな竹中さんは、その後も、監督として、

1993年「普通の人々」
1994年「119」
1997年「東京日和」
2001年「連弾」


「東京日和」より。竹中さんと中山美穂さん。

2005年「サヨナラCOLOR」
2009年「山形スクリーム」
2013年「R-18文学賞 vol.1 自縄自縛の私」
2021年「ゾッキ」山田孝之さん・斎藤工さんと共同


「サヨナラCOLOR」より。原田知世さんと竹中さん。

と、様々なジャンルの映画を手がけているのですが、俳優としてだけではなく、監督としても非常に高く評価されています。

「竹中直人は昔NHK大河ドラマ「秀吉」で大ブレイクしていた!」に続く

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