1959年、「東映ニューフェイス第6期生」として入社すると、翌年の1960年には、特撮ドラマ「七色仮面」で主演デビューされた、千葉真一(ちば しんいち)さんは、その後、映画監督の深作欣二さんと出会い、大きな影響を受けられます。

「千葉真一の若い頃はケガで五輪断念も東映に合格し高倉健と出会う!」からの続き

Sponsored Link

深作欣二との出会い

1960年に特撮ドラマ「七色仮面」でデビューを主演で飾った千葉さんは、翌年1961年には、「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で映画デビューも主演で飾ります。

実は、この映画、深作欣二さんの初監督作品でもあるのですが、撮影初日から、

おい、お前、2度と俺の映画には出さねえ、帰れ!

と、深作さんの怒号が響き渡り、

千葉さんが驚いて見ると、そこには、千葉さんにとっては、東映の2期先輩だった室田日出男さんが、うなだれて立っていたそうで、

(室田さんは)前の日に酔っぱらってホテルのガラスを叩き割り、腕がざっくりと切れていた。その姿に監督が怒って帰したという波乱のクランクインだったよ。

と、深作さんとの初めての出会いは強烈だったそうです。

(ちなみに、深作さんは、その3年後、室田さんの出入り禁止を解くと、後に、川谷拓三さんらと「ピラニア軍団」を結成させて、生涯に渡って重要な役を与えられたほか、室田さんのお葬式では弔事を読み上げられるなど、室田さんとは強い絆で結ばれていたそうです)


「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」より。北原しげみさんと千葉さん。

深作欣二に感化される

 
そして、撮影が始まり、浅間山麓でのロケの際には、深作さんは、待ち時間に、「寒いなあ」とつぶやいたかと思うと、なんと、撮影用の台をソリ代わりにして、雪の斜面をジャンプしながら滑っていってしまったそうで、

それを見た千葉さんたち役者やスタッフも、一斉に、「じゃあ俺たちも!」と一緒になってやるなど、

ああいう監督は今までにいなかった

と、またしても、深作さんの行動に驚嘆。

また、深作さんは、このような遊びの部分だけではなく、映画の撮影が始まってからも、テストを何度も繰り返したため、撮影が深夜にまで及ぶことも多かったそうですが、決して、中だるみすることがなく、

OK、それでいい、いいんだけどこっち側をちょっと変えてみよう。じゃあ、もう1回!

などと、演出でも情熱にあふれていたのだそうです。

Sponsored Link

主演アクションドラマ「キイハンター」で大ブレイク

そんな深作監督のアクション映画に、その後も千葉さんは、

「風来坊探偵 岬を渡る黒い風」(1961年)
「ファンキーハットの快男児」(1961年)
「ファンキーハットの快男児 二千万円の腕」(1961年)


「ファンキーハットの快男児」より。中原ひとみさんと千葉さん。

と、立て続けに主演で起用されるのですが、

その後、深作さんは、新境地を見いだし、高倉健さん、鶴田浩二さん、丹波哲郎さんらが出演する映画しか撮らなくなり、千葉さんのような新人はあまり撮ってくれなくなってしまいます。

ただ、1968年、「ファンキーハットの快男児」などを下敷きとしたアクションドラマ「キイハンター」で千葉さんが主演に起用されると、

第1話目と第2話目の演出は深作さんが担当されたそうで、

毎週のドラマなのに、深作さんの1本目だけで2カ月くらい撮っていた。プロデューサーから「早く上げてくれよ」と泣きつかれたくらい。だって深作さんとは、これまでにないアクションを作ろうと思っていたから、いろんな話をしたよ。

例えば「手錠のまま脱走して線路を通過する汽車で切断される」とか、洋画のいいところを参考にしたりね。監督に話すと「いいよ、そういうのどんどんやれ!」って言ってくれるんだ。

と、千葉さんは、このドラマで、雪の斜面を転がる、走る汽車の屋根の上に飛び乗るほか、様々なアクションをやってのけ、ドラマは大ヒット。千葉さんも大ブレイクしたのでした。

「千葉真一は昔キイハンターで死にかけていた!」に続く

Sponsored Link