1961年、中日ドラゴンズに入団すると、1年目にいきなり、35勝19敗、310奪三振、防御率1.70という成績で、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振を獲得して、新人王に輝き、2年目も30勝17敗で最多勝を獲得するも、

2年間で130試合も登板し、梅雨シーズンの連投に次ぐ連投は「権藤、権藤、雨、権藤」と呼ばるほど酷使され、投手としてはわずか5年、野手転向時代を合わせてもわずか9年(実質8年)で現役を引退した、権藤博(ごんどう ひろし)さん。

今回は、そんな権藤博さんの、短くも太過ぎるプロ野球現役時代を時系列でご紹介します。

権藤博

「権藤博の若い頃は?社会人(ブリヂストンタイヤ)時代を時系列まとめ!」からの続き

Sponsored Link

権藤博は1年目(22歳)から凄まじい成績を残していた

22歳の時に中日ドラゴンズに入団

権藤博さんは、社会人(ブリヂストン)時代の2年間、100イニングでわずか3失点と異例の成績を残しているのですが、この活躍に目を留めた、前年まで日鉄二瀬の監督で、中日二軍監督だった濃人渉さんが、権藤博さんの獲得に乗り出すのですが、読売巨人軍と争奪戦となり、さらに、そのほかのいくつものプロ野球球団からもスカウトされたそうです。

そんな中、権藤博さんは、中日ドラゴンズに初めて契約金を提示されると700万円だったそうで、

(国家公務員の初任給が大卒で約1万3000円の時代)

巨人からは、

君は絶対に欲しいから、条件を言ってくれ。他より高く出す

と、言われたそうですが、

最終的には、巨人の誘いを断り、1961年、22歳の時に中日ドラゴンズへ入団したそうです。

(巨人は金額を提示してくれなかったため、他より高く出すと言われても、300万円なのか、500万円は出さないだろう、などと思ってしまったそうです)

ちなみに、権藤博さんは、

(中日に)考えさせてくださいとは言えなかった。田舎者なので、(東京より名古屋の)中日ぐらいでいいんじゃないかなと思った

と、語っています。

22歳の時(入団1年目)には69試合に登板し、35勝19敗、310奪三振、防御率1.70という凄まじい成績を残していた

すると、権藤博さんは、中日ドラゴンズ入団1年目の1961年、オープン戦で28.1回を投げて自責点1(防御率0.31)の成績を残し、

濃人渉監督から、

今年はおまえを軸にしていく

と、言い渡されたそうで、

権藤博さんは、このシーズン、69試合に登板すると、伸びのある直球と大きく縦に落ちるカーブを武器にエースとしてフル回転し、35勝19敗、310奪三振、防御率1.70という凄まじい成績を残し、最多勝、最多奪三振、最優秀防御率を獲得して、沢村賞と新人王もを受賞したのでした。

また、その内容も凄まじく、32完投(うち12完封)、投球回数429イニング1/3、8月の月間99イニングは、ともに二リーグ制以降、日本プロ野球シーズン歴代最高記録であり、2024年現在も破られていません。

(二リーグ制(1949年)以前には、権藤博さんより投球回数の多い投手が12人もおり、トップは林安夫さんの541回1/3です)

ちなみに、権藤博さんは、

1960年に巨人に入った堀本(律雄)さんが1年目に29勝を挙げた。少なく見積もっても半分の15勝は出来ると思った

と、語っています。

権藤博

権藤博は2年目(23歳)の時にも最多勝ほか素晴らしい成績を残していた

そんな権藤博さんは、2年目の1962年、23歳の時には、スライダーを覚えたそうで、61試合(うち先発39試合)に登板すると、30勝17敗、投球回数362.1回、奪三振212、防御率2.33と、2年連続で素晴らしい成績を残し、2年連続最多勝に輝いています。

権藤博

権藤博は3年目(24歳)に酷使により肩を痛め、成績が急降下していた

しかし、この2年間で登板数が130試合と肩を酷使したことに加え、当時の誤ったトレーニング・リハビリテーション方法(投球直後に肩を温めていた)により、肩を痛め、さらには、肘も故障し、

3年目の1963年からは球威が落ちて、10勝しかできず、4年目の1964年は6勝と成績は急降下してしまいます。

(とはいえ、3年目も、45試合に登板し、10勝12敗。220回2/3を投げています)

権藤博は酷使に次ぐ酷使で「権藤、権藤、雨、権藤」と言われていた

そんな権藤博さんは、当時、

権藤、権藤、雨、権藤

と言われ、流行語にもなっているのですが、

これは、雨、雨、権藤、雨、権藤と続くという意味で、

当時、巨人の投手だった堀本律雄さんが、

中日の投手は権藤しかおらんのか、つぶれてしまうぞ。権藤、雨、旅行(移動日)、権藤、雨、権藤や

と、記者に語ったことがきっかけだったそうです。

実際、権藤博さんは、1年目の1961年7月4日から、雨・完封・雨・移動日・完投・雨・移動日・先発(5回を投げる)・雨・雨・移動日・先発(5回を投げる)と、連投に連投を重ねています。

権藤博は5年目(26歳)の時には投手から内野手に転向していた

そんな中、権藤博さんは、プロ5年目の1965年、開幕を控えた頃、西沢道夫監督から野手転向の話を受けたそうで、当初は、1年目の成功体験が忘れられず、周囲のアドバイスが素直に受け入れられなかったことから、これを固辞したそうですが、

西沢道夫監督に強いリストを生かした打撃の可能性を評価され、野手転向を勧められると、これに従い、内野手に転向。

同年、伊藤竜彦選手らと三塁手のレギュラーを争い81試合に出場します。

権藤博は7年目(28歳)の時にはセ・リーグ最多犠打を記録するも打率1割台に終わっていた

ただ、プロ6年目の1966年には、開幕から2番・遊撃手として起用されるも、打撃の低迷が続き、1967年には主に三塁手として80試合に先発出場し、セ・リーグ最多犠打を記録するのですが、打率は1割台とほとんど戦力にはなれずに終わってしまいます。

権藤博は8年目(29歳)の時には杉下茂監督の勧めで再び投手練習を始めるも右肩が痛み始めていた

その後、1968年、29歳の時には、キャンプイン直前に、西沢道夫監督が辞任し、杉下茂さんが監督として就任すると、

杉下茂さんに、

やっぱりお前はピッチャーだろう。もう一回やってみないか

と、言われたことで、4年ぶりに、ブルペンで投手練習を再開したそうですが・・・

投手として投げ始めたとたん、再び、右肩が痛み始めたのだそうです。

権藤博は9年目(30歳)の時に現役を引退していた

そんな権藤博さんは、1968年、キャンプ終盤、プロ入り9年目で初めて、2軍メンバーとともに名古屋へ帰るよう通達されたそうで、この時、現役引退を決意したといいます。

ちなみに、権藤博さんの入団2年で130試合登板というのは、当時においても、尋常ではなかったのですが、

権藤博さん本人は、そのことについて、

野球をできるだけで幸せだろうと。あのころはまだ、赤紙一枚で戦地に駆り出された人(濃人渉)が監督になっていた。そういう風潮だったから

うーん、今さら言われてもね……(苦笑)。そういう時代だったんですよ。稲尾(和久)さんや杉浦(忠)さんがいて、一人で投げて勝つというのがエースの勲章だった。

特に“リーグを代表するエース”と呼ばれる投手は、監督に言われたら投げるしかない。監督はトレーナーとかと相談しながらやってくれていましたが、入団1年目は巨人と優勝争いしていたので、肘が痛い、肩が痛いとか言っていられなかったしね

などと、語っており、「頼むぞ」と言われれば黙って投げ続けたそうです。

(権藤博さんが憧れていた稲尾和久さんも「頼むぞ」と言われ、黙って投げ続けていたといいます)

また、権藤博さんは、「悔いはないか」との質問に、

ないですね

と、即答しています。

Sponsored Link

権藤博の現役時代の成績

それでは、最後に権藤博さんの現役時代の成績をご紹介します。

投手成績は、

  • 1961年(中日ドラゴンズ)
    • 35勝19敗 310奪三振 防御率1.70
    • 登板69 完投32 完封12 無四球8 投球回429.1 勝率6割4分8厘
    • 最多勝利・最多奪三振・最多防御率(最多登板・最多完投・最多完封・最多無四球・最多投球回)
  • 1962年(中日ドラゴンズ)
    • 30勝17敗 212奪三振 防御率2.33
    • 登板61 完投23 完封6 無四球3 投球回362.1 勝率6割3分8厘
    • 最多勝利
  • 1963年(中日ドラゴンズ)
    • 10勝12敗 88奪三振 防御率3.82
    • 登板45 完投9 完封0 無四球1 投球回220.2 勝率4割5分5厘
  • 1964年(中日ドラゴンズ)
    • 6勝11敗 47奪三振 防御率4.19
    • 登板26 完投3 完封0 無四球1 投球回105.1 勝率3割5分3厘
  • 1968年(中日ドラゴンズ)
    • 1勝1敗 10奪三振 防御率10.80
    • 登板9 完投0 完封0 無四球0 投球回18.1 勝率5厘

と、最初の2年は凄まじい成績ですが、酷使が影響し、通算5年(中日ドラゴンズ)で、210登板 82勝60敗 667奪三振 防御率2.69(完投67 完封18 無四球13)という成績になっています。

権藤博の投手成績

また、途中で打者転向も、打撃成績は、

権藤博の打撃成績

と、振るいませんでした。

権藤博

「【画像】権藤博の若い頃(コーチ&監督時代)から現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link