1999年9月15日、「嵐」のメンバーとしてデビューすると、以降、アイドルとしての活動と並行して俳優としても活動し、高い評価を受けている、二宮和也(にのみや かずなり)さん。
そんな二宮和也さんは、幼い頃からおとなしく、幼稚園から高校時代までイジメられていたそうですが、中学1年生の時に、いとこが勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがきっかけで、オーディションを受けると合格したそうで、ジャニーズJr.として活動を開始しました。
今回は、二宮和也さんの、生い立ち(幼少期からジャニーズjr.時代まで)をご紹介します。
二宮和也のプロフィール
二宮和也さんは、1983年6月17日生まれ、
東京都葛飾区の出身、
身長168センチ、
血液型はA型、
学歴は、
葛飾区立上平井小学校
⇒葛飾区立新小岩中学校
⇒立志舎高校通信制課程卒業
趣味は、ゲーム、
ちなみに、「二宮和也」は本名です。
二宮和也は幼稚園から高校時代までイジメられていた
二宮和也さんは、調理学校「服部栄養専門学校」の先生を務めていたお父さんと、お父さんの助手をしていたお母さんのもと、2人姉弟の長男として誕生すると、幼い頃はとてもおとなしい男の子だったそうで、
そのためか、幼稚園から高校までイジメられていたそうで、2006年12月、「NEWS ZERO」に出演した際には、イジメられていた時のことについて、
何やってもおれのせいになっちゃってね。物がなくなっても、なんかおれのせいになるし
と、語っています。
5歳の時の二宮和也さん。
(小学校低学年の頃は「金太郎」とあだ名をつけられたこともあったそうです)
ちなみに、二宮和也さんが何のリアクションもせずにいると、イジメている人たちは、面白くなくなったようで、イジメられなくなったそうですが、
二宮和也さんは、
最終的には、的が移っただけになっちゃって。おれがいじめられていたら今度、Bくんに・・・(中略)だから、おれの中で終わってない。
と、語っており、
自身のとった行動が、解決には至らなかったことを、今も心苦しく思っているそうです。
(二宮和也さんは、長期に渡るイジメのせいで、人が苦手になったそうですが、その経験のせいで、今、相手がどう接してほしいか瞬時に判断ができ、臨機応変に対応を変えることができるそうです。また、とてもつらい経験をした分、その繊細な感性が、現在の人間関係とお芝居に、大いに役に立っているそうです)
二宮和也は小学生時代は野球少年だった
また、二宮和也さんは、小学生の頃は、友達はあまりいなくていいと思っており、友達を作ることに関しては積極的に動かず、どんなことでも自分が話題の中心になるのは嫌だったそうですが、
少年野球のチームに入るなど、野球には熱中しており、将来はプロ野球選手になることを夢見ていたそうです。
(読売ジャイアンツの原辰徳さんが好きだったそうです)
二宮和也は中学1年生の時にいとこに勝手に履歴書をジャニーズ事務所に送られ、オーディションを受けることになっていた
そんな二宮和也さんは野球少年で、芸能界にはまったく興味がなかったそうですが、中学1年生の時、いとこが「V6」のファンだったことから、二宮和也さんの履歴書を勝手にジャニーズ事務所に送ると、書類選考に受かり、オーディションを受けることになったそうです。
ただ、オーディションの日が野球の試合の日(日曜日)と重なったことから、当初は断るつもりだったそうですが、
お母さんに、
人に何かを見てもらうことはなかなかないことだから
と、経験のために、オーディションに行くように勧められたそうです。
それでも、二宮和也さんは渋っていたそうですが、お母さんから、オーディションに行ったらお小遣いを5000円くれると言われ、行くことにしたそうで、
二宮和也さんは、その時のことを、
それが1996年の6月の16日、絶対日曜日なんですよ。俺誕生日が6月の17日なの。誕生日の前日に5000円もらえて、誕生日も(プレゼントを)もらえる。ひいてはお年玉ももらっている。クリスマスも控えてる。こんな一年ないだろうと思って(オーディションに)行って
と、語っています。
二宮和也は中学1年生の時にオーディションでジャニー喜多川に気に入られ合格していた
こうして、二宮和也さんは、電車に乗ってオーディション会場であるテレビ朝日の「第1リハーサル室」に行くと、そこでは、番号をつけたり、名前は告げたものの、何もせずに黙って見ていたそうです。
(二宮和也さんにとってのゴールは、オーディションに受かることではなく、オーディションに行って、お母さんからお小遣いを5000円もらうことだったため)
すると、ジャニー喜多川社長から、
Youなんで踊んないの?
と、声をかけられたそうで、
二宮和也さんは、
大丈夫です、ありがとうございます
とだけ、答えたそうです。
(「いやいや、構わないでくれ。終わってこれで帰れば5000円もらえるから」という気持ちだったそうです)
すると、このやり取りがジャニー喜多川社長に気に入られ、二宮和也さんは、見事合格し、ジャニーズ事務所に入ることになったのだそうです。
二宮和也は中学1年生の時にジャニーズJr.として活動を開始していた
その後、二宮和也さんは、ジャニーズJr.として活動を開始すると、すぐに、雑誌撮影と「ミュージックステーション」への出演があったそうですが、
自分を表現することが苦手だったことから、テレビドラマのオーディションには落ち続け、1年ほど経った1997年、14歳の時、ようやく、舞台「Stand by Me」に出演することができたのだそうです。
(ただ、当時はまだ知名度が低かったため、劇場前でチケットを無料で配ったりしたそうです)
ちなみに、二宮和也さんは、1996年夏(13歳)、まだ、オーディションに奮闘していた時代、「V6」のコンサートに「外周でチャリンコに乗るJr.」として初出演し、初めてお給料を受け取ったそうですが、(当時まだ手渡しだった)給料袋の茶封筒には、「二宮和也」と名前入りのはんこが押してあり、胸を打たれたそうで、
二宮和也さんは、
“もう、そういうハンコがあるんだ”と。『はい!』とかじゃなくて、ハンコがポンっと押されて・・・
と、ジャニーズの一員になれたことを実感し、このことが仕事を頑張る原動力になったのだそうです。
ジャニーズJr.時代の二宮和也さん(右下)。
二宮和也は中学2年生の時にユニット「MAIN」として活動を開始するも2年ほどで活動休止となっていた
また、二宮和也さんは、1997年、中学2年生(14歳)の時には、松本潤さん、相葉雅紀さん、生田斗真さんとともに、ユニット「MAIN」として活動を開始しているのですが、
メンバーの中で最も人気があった生田斗真さんがテレビドラマやバラエティ番組の出演などで多忙となったことから、「MAIN」は2年ほどで活動を休止しています。
二宮和也は14歳の時にテレビドラマ「天城越え」で俳優デビュー
その後、二宮和也さんは、1998年1月、14歳の時には、テレビドラマ「天城越え」で俳優デビューを果たしているのですが、
撮影では、冬場に浴衣1枚で裸足で山を駆け回ったり、白い息が出ないように真冬に氷を口に入れたりしたそうで、後にも先にも、一番つらいドラマだったそうです。
「【画像】二宮和也の若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
「天城越え」より。
1998年、テレビドラマ「天城越え」で俳優デビューすると、その後は、映画「硫黄島からの手紙」「母と暮せば」「検察側の罪人」など、話題作で次々と主演を務め、数々の栄えある賞を受賞している、二宮和也(にのみや かずなり)さん …