晴れて宝塚歌劇団に入団するも、「劣等生」だった、真矢ミキ(まや みき)さんは、代々宝塚に伝わる伝統的な「男役」のルックスを打ち破る、斬新な案を次々と考案し、たちまち人気を博します。

「真矢ミキは宝塚歌劇団入団当初は劣等生で退団を考えていた!」

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斬新な男役で人気を博す

小さい頃からの歌やバレエの経験がなかったこともあってか、努力しても一向に上達せず、一時は宝塚を辞めたいと思った真矢さんですが、

芸ではかなわなくても、個性を活かして見せ方を工夫すればよい

と、考えるようになると、

「宝塚歌劇団」
を「観ず嫌い」だったり「独特の化粧が受け付けない」といったお客さんをどうやってファンにさせるかを考え、

リアルな男性の姿を表現しようと、それまでの男役の定番だった「短髪リーゼント」「長髪」に、「ブルーのアイシャドウと真っ赤な口紅」「ナチュラルメイク」に変えられます。


宝塚の伝統的なメイクの真矢さん。


長髪、ナチュラルメイクの真矢さん。

すると、前例のない、この斬新な発想が観客にウケ、真矢さんはたちまち「個性的な男役」として人気を博し、1983年には、新人公演「紅葉愁情/メイフラワー」で主演に抜擢。

以降、

1985年3月「愛あれば命は永遠に」
     9月「テンダー・グリーン/アンドロジェニー」
1986年7月「真紅なる海に祈りを/ヒーローズ」
1987年2月「遙かなる旅路の果てに/ショー・アップ・ショー」

と、立て続けに新人公演で主演を務められると、

1989年2月「硬派・坂本竜馬!」では、栄誉ある「宝塚バウホール」でも主演に抜擢。

その後も、

1992年1月「ドニエプルの赤い罌粟」
1993年10月「アップル・ツリー 〜三つの愛の物語〜」

において、「宝塚バウホール」で主演を務められたのでした。

安寿ミラとの「ヤンミキコンビ」で人気爆発

そして、1992~1995年には、真矢さんの1期先輩である安寿ミラさんと男役同士のコンビを務められると、

ナンパな男役の真矢さんとクールな一匹狼の安寿さんという正反対のキャラクターと、ちょっとBL(ボーイズラブ)的な二人の掛け合いがウケ、「ヤンミキコンビ」と呼ばれ、人気爆発。(安寿さんは「ヤンさん」と呼ばれていました)

真矢さんは、2番手ながら、トップの安寿さんと肩を並べるほどの人気を博したのでした。


真矢さん(前)と安寿ミラさん(後)。


男女のカップルも!


(左から)安寿さん、森奈みはるさん、真矢さんのトリオとしても。

花組トップスターとなり「ヅカの革命児」と呼ばれる

その後、真矢さんは、1995年には、安寿さんの退団により「エデンの東」で花組トップスターに就任されるのですが、その後も挑戦は続き、

1997年には、「普段宝塚を見ない人でも手に取りやすいように」という思いから、宝塚専属カメラマンではなく、外部の写真家である篠山紀信さんが撮り下ろした写真集「Guy」をリリースし、

しかも、当時はタブーとされていた「男役の女装姿」(男役でありながら女性の姿をした)の写真も掲載。


真矢みき写真集『Guy』

さらに、1998年7月には、現役タカラジェンヌとしては初となる、日本武道館でのソロライブ「MIKI In BUDOUKAN」を開催されると、

つんくさんがプロデュースしたこのライブで、真矢さんは、「シャランQ」「ズルイ女」「すみれの花咲く頃」のロックバージョンを披露するなど、「宝塚」の古い慣習を次々と打ち破り、「ヅカの革命児」と呼ばれるようになったのでした。

もちろん、真矢さんは、宝塚の舞台でも、花組トップスターとして、

1995年6月「エデンの東/ダンディズム!」
     9月「紅はこべ/メガ・ヴィジョン」
1996年1月「花は花なり/ハイペリオン」
     6月「ハウ・トゥー・サクシード」
     12月「Ryoma 〜硬派・坂本竜馬!II〜」

1997年2月「失われた楽園/サザンクロス・レビュー」
     4月「風と共に去りぬ」
     8月「ザッツ・レビュー」
     10月「ブルー・スワン」

と、数々の名作で主演を務められており、1998年10月5日、「SPEAKEASY/スナイパー」東京千秋楽を持って、「宝塚歌劇団」を退団されたのでした。

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男性の魅力を研究しオリジナルの男役を開拓

ところで、真矢さんは、どのように自身オリジナルの「男役」を編み出されたのでしょうか。

真矢さんは、「NEWS ポストセブン」のインタビューで、次のように語っておられます。

宝塚の男役というのは長い歴史のなかの様式美というものがあって、私が入ったころは今より自由度も少なく、男役とはこういうものです、と歌舞伎の形(かた)のような男役像を日々学び習得していた毎日でした。

周囲を見渡してみると女子校出の子も多く、男役という中性的な魅力をすでにしっかり把握し、8割くらいは憧れの上級生、または洋画の男優さんなどをみて切磋琢磨していた。

それはそれで魅力的なんだけど、小、中と男女共学で育った私はいつも、もうちょっとリアルな男性をやりたいなぁと思いを募らせていました。中性ではなく、男役でもなく、そう! 男性になりたいのだと。

そこで、真矢さんは、山手線に半日くらい乗ってぐるぐると何周かしながら、よれた襟のシャツを着たサラリーマンや、渋谷の交差点を行く流行のファッションに身を包んだ男性たちをずっと眺めるなど、20代は、男性の魅力をただただ研究して過ごしたそうで、

まずは、

シャイで寡黙だけどハートの奥にはチリッと、いやジリジリッと、いや、仕事となるとメラメラッと熱いものを出してくるギャップがいいな…みたいな。

または、愛する女性を目の前に、一瞬、言葉をのんでいる時のうつむき加減の露出しない色気…などなど見つけ出したら止まらない私なりの目線、私なりの男性像を見つけていた。こうなったら進歩も早い(笑い)。

早速取り入れてみた私は、やはり少しみんなと違う男役に入団5年目くらいになっていた。

と、「ダイレクトには魅力を押してこない日本男性」像をクローズアップ。

そして、その次には、外国人男性(洋画の俳優ではなく実物の男性)を研究されたそうで、

手振り身振りが大きく、エンターテインメントというものをDNAに思いっきり注入されたイギリス紳士。遊び心あるアメリカ人のフランクで無防備な色気。

そう、ラスベガスのマジシャンなんかにも憧れた。みんなが日舞や声楽の個人レッスンを習いに行く中、私一人、大阪の手品教室に通っていたほど。今でも白い鳩を見る度に、鳩の糞のついた新聞紙を甲斐甲斐しく替えていた師匠の汗が滴る夏を思い出す。

そしてハマった!と言えば、外国人の男性ダンサーが踊りまくるバー。公演終わりに足繁く通った日々…日々、日々。(※ちなみに勉強です。勉強です。)

そこで習得したのが、わかりやすいところでウインク! あと、帽子のつばを美しく這わせる指の走らせ方。いわゆる所作。外国人の仕草は本当に魅力的だ。

きっと幼い頃からおじいちゃんは酔えば踊り、ラジオからは普通にジャズが流れ、テレビをつければカウボーイがピストルクルクル回していたであろうことが手に取るようにわかるから凄い。とにかく、感性が余裕で洒落てる。

片方の眉だけをひょいとあげる感情表現はこの世の愛の言葉を一手に掴んだ最強のアイテムに見えた。はぁー、思い出すだけでも愉しい。これは当時の私がいちばん心奪われた仕草でした。

と、すごい研究の成果を語っておられます。

(外国人男性の研究は退団まで続いたそうです)

「真矢ミキは宝塚退団後はウツに!事務所もクビになっていた!」に続く

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