破天荒な行動や毒舌で”落語界の反逆児”と言われた一方、人間の弱さや愚かさを認めた上で、人間らしさを描き出す落語を生涯を通して求め続け、”不世出の落語家”と称された、立川談志(たてかわ だんし)さんですが、
2008年には、咽頭ガンが判明し、放射線治療などで鎮静化したものの、2010年には、再発し、主治医から声帯の摘出手術を勧められるも、噺家のプライドから拒否したといいます。
今回は、そんな立川談志さんの、咽頭ガンと診断された時から亡くなるまでの闘病生活をご紹介します。
「【画像】立川談志の若い頃は?「笑点」からの経歴を時系列まとめ!」からの続き
立川談志は検査入院で喉頭ガンと診断されていた
立川談志さんは、2008年5月、72歳の時、喉にポリープの疑いがあるということで、検査入院すると、喉頭(声門)ガンであることが判明したそうで、
その後、放射線治療と化学療法を行うも、2009年8月26日には、ガンにより発声が困難になり、長期休養に入っています。
(検査入院の間は、病院から落語会やテレビ収録に行っていたそうですが、この頃から発声が極端に苦しくなり、力がなく、しわがれた聞き取りづらい声に変わっていったそうです。また、当初はガンであることは伏せられており、長期休養の理由は体力の低下と持病の糖尿病治療であると発表されていました)
立川談志は喉頭ガンが再発するも声帯摘出手術を拒否していた
そして、その後も体調は好転せず、2009年12月28日には、休養期間を約3か月延長するのですが、それでも、2010年4月13日には、見事に高座復帰を果たし「首提灯」を披露。
ただ、その後も体調は万全ではなく、自宅療養と入院を繰り返す日々だったといいます。
そんな中、2010年11月には、咽頭ガンが再発したそうで、一度目の喉頭ガンの時は、放射線治療と化学療法でなんとか切り抜けたそうですが、
この再発時には、医師から声帯の摘出手術を勧められたそうで、もう、放射線治療と化学療法ではなんともならないほど、立川談志さんのガンは広範囲に広がっていたのだそうです。
それでも、立川談志さんは、
プライドが許さない。しゃべるのが仕事なんだから
と、言って、声帯摘出手術を拒否したそうで、
ガンを表面のみ取り除く処置だけし、懸命に声を出して2011年3月まで高座に上がり続けたのだそうです。
しかし、2011年3月には、一門会での高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に活動を休止すると、ガンの進行によって、呼吸が苦しくなる状態に陥ったそうで、
窒息する恐れがあることから、気管切開手術を行い、管をのど元に通したそうで、手術後、ほとんど声を発することができなくなってしまったのだそうです。
立川談志は亡くなるギリギリまで強い意欲を持っていた
ちなみに、娘のゆみこさんが、
喉に穴を開けないと、苦しくて死んじゃうんだよ。声を失うなんて神様はひどいね
と、言うと、
立川談志さんは、
オレらしくていいよ
と、言ったそうで、
(隙間から漏れるかすかな声で「私の名前は立川談志」と絞り出すのがやっとだったそうです)
その後、体調不良と体力低下で自宅療養と入院を繰り返し、筆談でやり取りするようになったそうですが、
息子の松岡慎太郎さんは、そんな立川談志さんについて、
亡くなるギリギリまで、強い意欲を持っていた。ベッドから起きられない現実にも、弟子の高座があると『行ってやる』と言ったりとか、強さと優しさがあった
と、語っています。
ただ、その一方で、声を失ったことで、
家に帰りたい
睡眠薬をよこせ
死にたい
と、メモに書くこともあったといいます。
立川談志の死因は喉頭ガン
そんな立川談志さんは、2011年10月27日、容態が急変し、心肺停止となると、人工呼吸器をつけて一命を取り留めたそうですが、意識はなく、
医師から「延命しますか」と聞かれ、家族では延命はやめようと話していたそうですが、息子の松岡慎太郎さんが、最終的に(意識が戻らない状態での)延命措置を選んだそうで、
それから約3週間後の11月21日、午後2時24分、立川談志さんは、喉頭ガンにより、75歳で他界されたのでした。
立川談志の死去は伏せられ葬儀は近親者のみもマスコミにバレ、息子と娘が会見に応じていた
ちなみに、多くの弟子を抱え、交友関係が広かった立川談志さんでしたが、
生前、
人に知らせるな。骨は海に沈めろ
と、語っていたそうで、
家族はその言葉を守り、葬儀、告別式は近親者のみで執り行ったそうで、亡くなったことは伏せていたそうです。
ただ、通夜を終え、11月23日に落合斎場で荼毘(だび)に付されている時、通信社が死去を報じたそうで、葬儀が終わるとすぐに、息子の松岡慎太郎さんと娘の松岡ゆみこさんが会見に応じたのだそうです。
(翌日の11月24日には、スポーツ報知が「談志が死んだ」の見出しで、立川談志さんの死を報道しています)
「立川談志の妻との馴れ初めは?娘は松岡ゆみこ!息子は松岡慎太郎!」に続く
16歳で五代目柳家小さんさんに入門し、27歳の時に五代目立川談志を襲名して真打昇進を果たすと、以降、破天荒な行動や毒舌が度々波紋を呼ぶも、生涯に渡って「落語は人間の業の肯定」という自身の哲学を追求し続けた、立川談志(たて …