古典落語を現代の感覚と価値観で捉え直した斬新な落語で観客を笑いの渦に巻き込み、”不世出の落語家”、”落語界の風雲児”などと称された、立川談志(たてかわ だんし)さん。
そんな立川談志さんは、47歳の時に落語協会を脱会すると、「落語立川流」を創設して家元となっているのですが、実は、あのビートたけしさんも「ツービート」時代から高く評価し、弟子にしていたといいます。
今回は、立川談志さんとビートたけしさんの関係をエピソードなどを交えてご紹介します。
「立川談志の妻との馴れ初めは?娘は松岡ゆみこ!息子は松岡慎太郎!」からの続き
立川談志はビートたけしを弟子にとっていた
立川談志さんは、1983年、47歳の時、落語協会を脱会し、「落語立川流」を創設して家元となっているのですが、実は、あのビートたけしさんも、「落語立川流」のBコースに所属する弟子だそうで、高座名を「立川錦之助」と言うそうです。
(ただ、ビートたけしさんは、2015年、立川談志さんの弟子である立川談春さん原作のテレビドラマ「赤めだか」への出演をきっかけに、立川談春さんに弟子入りし直し、現在は、「立川梅春」を名乗って高座に上がっています)
ちなみに、「落語立川流」には、A、B、Cコースがあり、Bコースは、いわゆる「芸能人・著名人」が所属するコースで、ビートたけしさんのほかにも、
- 毒蝮三太夫さん(俳優)⇒高座名:立川毒まむ志
- 高田文夫さん(放送作家)⇒高座名:立川藤志楼
- 山本晋也さん(映画監督)⇒高座名:立川談遊
- 松岡悟さん(元警視庁警察学校理事官)⇒高座名:立川藪医志
- 生原正久さん(金丸信衆議院議員の元秘書)⇒高座名:立川談七
- なかにし礼さん(作詞家)⇒高座名:立川礼談房
- ミッキー・カーチス(ミュージシャン)⇒高座名:ミッキー亭カーチス
らがいるそうです。
立川談志は「ツービート」時代からビートたけしを高く評価していた
実は、立川談志さんがビートたけしさんを知ったのは、ビートたけしさんがまだ、漫才コンビ「ツービート」として活動していた頃、「やじうま寄席」で、「ツービート」と「セントルイス」が対決しているのを見た時だったそうで、
(当時は芸人同士の対決というのがよくあったそうです)
立川談志さんは、「ビートたけし&浅草キッド ビートニクラジオ」に出演した際、その時のビートたけしさんについて、
セントルイスが出ても誰が出てもかなわないよ、ツービートには。ものが違う。
と、語っており、ツービートを高く評価していたのでした。
(以来、「セントルイス」は立川談志さんに恨みを持っていたといいます)
立川談志はビートたけしに慕われていた
また、立川談志さんが他界して約1週間後の2011年11月27日、情報番組「情報7daysニュースキャスター」で、立川談志さんの足跡をたどった約10分のVTRが流れているのですが、
生出演したビートたけしさんは、
談志さんは本当はイライラしていたと思う。時代が古典(落語)に合わなくなってて、“天才”から“奇才”になってた。ものすごい人なのに立川談志をやらせてくれる時代じゃなかった
と、まるで、立川談志さんの本音を代弁するかのようにまくし立てたといいます。
さらに、同番組では、前年、ビートたけしさんの深夜番組(2010年12月放送)のために収録された、立川談志さんのメッセージもオンエアされ、
立川談志さんが(途中、咳き込みながら)、
たけしの野郎に130いくら(万円)貸しがあるんだよ
など、ジョークを連発し、
最後は、
じゃあな
と、締めくくっているのですが、
ビートたけしさんは、立川談志さんの別れの言葉を噛みしめるように、
あの人には頭が上がんない。ツービートのころに本当にほめてくれたんだよね
と、寂しそうに語っています。
立川談志の役をビートたけしがテレビドラマ「赤めだか」で演じていた
その後、2015年には、ビートたけしさんは、立川談春さんの同名小説を原作とするテレビドラマ「赤めだか」で、立川談志さんの役を演じているのですが、
(「赤めだか」は、立川談志さんと弟子の立川談春さんの師弟愛がテーマの作品)
ビートたけしさんは、
これも何かの縁
俺が談志師匠をやると聞いたら、さぞ嫌がるだろうなぁと思って引き受けました
と、”らしい”コメントをしています。
(主人公である立川談春さんの役は二宮和也さんが演じています)
ちなみに、立川談春さんは、意外にも、ビートたけしさんとは、これまで接点がなかったそうで、
中学生の頃から憧れ続けたたけしさんと、ようやくご縁がつながったことに興奮しています
立川談志の弱さまで演じることのできる人。そこまで演じても違和感のない唯一の人です
と、納得のキャスティングだったことを明かしています。
テレビドラマ「赤めだか」より。立川談志さんに扮するビートたけしさん。
1952年、16歳の時、5代目柳家小さんに弟子入りすると、みるみるうちに頭角を現し、1966年には、「笑点」を企画して、初代司会者として絶大な人気を博した、立川談志(たてかわ だんし)さん。 そんな立川談志さんは、小学5 …