1966年「ウルトラマン」(科学特捜隊アラシ隊員役)、1967年「ウルトラセブン」(地球防衛軍フルハシ隊員役)で、一躍、子供たちに人気を博すと、以降、俳優、タレント、ラジオパーソナリティと幅広い分野で活躍してきた、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さん。今回は、そんな毒蝮さんの芸名の由来と、改名の経緯についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

毒蝮さんは、1936年3月31日生まれ、
東京都台東区の出身(大阪市住吉区生まれ)、

身長170センチ、
体重78キロ、

血液型はO型、

学歴は、
台東区立下谷中学校
⇒東京都立大森高等学校
⇒日本大学芸術学部映画学科卒業

趣味は、
プロ野球観戦、草野球 だそうです。

本名は?

ちなみに、毒蝮さんの本名は、「石井伊吉(いしい いよし)」で、当初は、本名で俳優活動をしており、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」にも本名で出演していたそうです。

ただ、1967年、演芸番組「笑点」に座布団運びで出演するようになった際、観客の子供たちが、「ウルトラマンのアラシ隊員だ」と騒ぎ、

さらには、「ウルトラマン」で地球を救ったアラシ隊員が、お笑い番組で座布団運びをしているのはおかしいと、TBS(「ウルトラマン」)と日本テレビ(「笑点」)の両方に苦情が来たそうで、「笑点」での座布団運びの際には、芸名「毒蝮三太夫」を使うようになったのだそうです。

芸名の由来は?

とはいえ、どうして「毒蝮三太夫」という奇妙な芸名を使うようになったのでしょうか。

実は、まず、「三太夫」という名前は、以前、「談志専科」という番組で、落語家で「笑点」の司会をしていた立川談志さんとショートドラマをやった際、「田中三太夫」という家老役をやったことがあったことから、談志さんに「三太夫」と名付けられたそうです。

(談志さんは、毒蝮さんの親友)

そして、「毒蝮」の方はというと、落語の中に「まむしみたいにやなヤツが来たね」という言い回しがあることから、五代目三遊亭圓楽さんたちに、「まむしも付けちゃえ」と、「蝮」と呼ばれるようになったそうで、さらには、怪獣にも負けないような名前ということで、「毒」をつけ、「毒蝮」となったのだそうです(笑)

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親友の立川談志に勧められて正式に改名

ただ、毒蝮さん本人はというと、当初は、このおかしな名前が嫌で嫌で、「笑点」の時だけのつもりだったそうですが(半年間、家族にも言えなかったそうです)、「ウルトラセブン」の放送が終了した途端、仕事が一気に減ってしまったそうで、

談志さんに、

(本名の)石井伊吉じゃなくて、この際、毒蝮三太夫に改名しちまえ

と、改名を勧められ、

1968年、本名の「石井伊吉」から、正式に「毒蝮三太夫」に改名したのだそうです。

(「笑点」の番組内で、改名披露まで行い、その後、この名前が定着したそうです♪)

「毒蝮三太夫の生い立ちは?母親は家事嫌いも情に厚かった!」に続く

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