漫画家・赤塚不二夫さんのサポートにより「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」で初のTV出演を果たすと、今度は黒柳徹子さんに気に入られ、「13時ショー」(「徹子の部屋」の前身番組)で2回目のTV出演を果たしたタモリさんは、

翌年には、ついに、レギュラー番組を持つことになるのですが、特にラジオ番組「オールナイトニッポン(ANN)」で、マニアック層から熱狂的支持を集めたといいます。

今回は、タモリさんが「オールナイトニッポン(ANN)」に抜擢された経緯、番組の人気コーナーやイベント、降板理由などについてご紹介します。

「タモリにとって黒柳徹子は無名時代に「徹子の部屋」に呼んでくれた恩人だった!」からの続き

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タモリがオールナイトニッポン(ANN)に起用された経緯は?

タモリさんは、1976年10月から1983年9月まで、ラジオ番組「オールナイトニッポン(ANN)」の水曜1部(深夜1時~3時)のパーソナリティを務めているのですが、

きっかけは、当時人気アイドルだったアグネス・チャンさんが、「オールナイトニッポン(ANN)」のスペシャルパーソナリティを務めた日に、

香港出身のアグネス・チャンさんの熱烈な中国人ファン(ニセ中国人)として電話出演し、大評判となったのがきっかけだったといいます。

実は、当時、「オールナイトニッポン」のディレクターを務めていたのは、タモリさんの早稲田大学の一年先輩で、しかも、同じモダンジャズ研究会にいた岡崎正通(本名は近衛正通)さんだったそうですが、

ある日、岡崎正通さんが、1975年7月から1975年8月まで火曜1部(深夜1時~3時)のパーソナリティを務めていた漫画家の高信太郎さんの「オールナイトニッポン」終了後、高信太郎さんと雑談していると、

高信太郎さんが、

いやね、面白い人がいるんだよ

と、新宿の飲み屋「ジャックの豆の木」で、韓国語とか中国語のモノマネをしている人物のことを話したことから、

岡崎正通さんが、すぐピンときて、

その人、早稲田の人じゃありません?

森田っていいません?

と、尋ねると、その通りだったというのです。

そこで、岡崎正通さんが、早速、翌日、タモリさんに連絡して、会社に来てもらい、久々の再会を果たし、オーディションを兼ねて、タモリさんのトークをテープに録ると、かなり過激ながら、面白かったことから、

(とはいえ、タモリさんは、当時を振り返り、「まいったよ、あん時は。なんたって、オレの得意芸ってのは宴会芸だからさ、ウケてくれる人がまわりに居てくんないとやりにくいわけ。ノリが悪い分だけ出来も悪くてさ。この間も聞いたけどホント恥ずかしかったよ。あれはハッキリ言って、オレの芸能生活の汚点だね」と語っています)

その後、高信太郎さんの「オールナイトニッポン」で、タモリさんを起用するようになると、リスナーの反響も徐々に高まってきたそうで、

それから、1年程経った頃、アグネス・チャンさんが「オールナイトニッポン(ANN)」のスペシャルパーソナリティと務めることが決まった際、

岡崎正通さんが、タモリさんがデタラメな中国語でアグネス・チャンさんと喋ったら面白いんじゃないかと、タモリさんに、番組中、”アグネス・チャンさんの熱狂的な謎の中国人ファン”として、電話出演させると、これが大評判となったのだそうです。

(当然、会話は成り立たなかったそうですが(笑))

「タモリ学」
タモリ学

タモリの「オールナイトニッポン(ANN)」での人気コーナーやイベント

こうして、タモリさんは、芸歴2年の新人タレントで、まだテレビにもほとんど出演していなかったにもかかわらず、

1976年10月6日から、「あのねのね」に代わって、「オールナイトニッポン」の水曜1部(深夜1時~3時)のパーソナリティを務めるようになると、次々と独自のタモリワールドを展開し、たちまち、人気を博しているのですが、

そのコーナーやイベントには、以下のようなものがあったといいます。

NHKつぎはぎニュース

複数のNHKニュースの内容をデタラメにつなぎ合わせて、

例えば、

こんばんは。連日遭難事故が続いている北アルプスの北穂高岳で、今朝一面の銀世界になりました。

しかし、午後からは雪もすっかり止んで 晴れ間が広がる天気に変わりました。

このため、午後から初詣客が溶け始めた雪を踏んで、どっと繰り出し、足を滑らせて谷に転落し行方不明になったと、近くを登山中の無線で連絡がありました。

また、これより先7時20分頃にも、同じ北穂の松波岩付近で半数にあたる63人の議員が滝谷側に転落しました。

結局2年連続7回目の優勝を飾りました。

以上、菊谷菊谷菊谷でございました。

のようなものを作り、無意味なニュースとしたもので、

リスナーからカセットテープで作品を募り、盛り上がっていたそうですが、

開始から約3か月経った頃、NHK側から、

面白いんですけど、やめていただけませんか

と、言われ、終了せざるを得なくなってしまったのだそうです(笑)

「タモリのオールナイトニッポン」のNHKつぎはぎニュース

ちなみに、このクレームは、リスナーの中に、父親がNHK北海道の上役だった少年がおり、その少年が父親に、「面白いコーナーがある」と、このコーナーを聞かせたことが原因だったそうで、

タモリさんは、打ち切り後の放送で、

おい、北海道のNHKの息子、聴いてるか、バカヤロー!

と、言ったといいます(笑)

また、タモリさんは、NHKがダメならニッポン放送のニュースを使ってコーナーを継続したいと思ったそうですが、ディレクターの岡崎正通さんが、NHKだからこそ面白いのだと、打ち切りになったのだそうです。

思想の無い音楽会

タモリさんは、(タモリさんいわく)ただ格好をつけるために、意味ありげな言葉(「愛」や「青春」など)を使って深刻そうに歌う”暗い”ニューミュージック、特に、さだまさしさん、アリス、オフコースを、

日本の湿った文化風土

と、痛烈に批判しており、

(歌は)軽薄でいい

非現実的な方がいい

無思想で、明るく単純に楽しむのが、音楽なんだ

と、この「思想の無い音楽会」というコーナーでは、そんな意味ありげな言葉を全く使わず、ナンセンスともいっていいような、思想の無い、明るい曲を紹介していたそうで、

(「思想の無い音楽会」というコーナー名は、当時、テレビ朝日で放送していた「題名のない音楽会」のパロディ)

特に、

白鷺は 小首かしげて 水の中
わたしと おまえは
エー それそれ そじゃないか
アア チイチク パアチク 深い仲

という歌詞の、高田浩吉さんの「白鷺三味線」を、

この思想のなさ。ノリ一発、という明るさ。

これですよ、これ。歌っていうのは、こうでなきゃダメだよ

と、絶賛しています。

(この高田浩吉さんの「白鷺三味線」は、タモリさんが小学生の頃に初めて聴き、魅了されたのだそうです)

「白鷺三味線」
白鷺三味線

そんなタモリさんは、南こうせつさんや井上陽水さんの歌も非難していたそうですが、

女々しい

と、非難していた南こうせつは、突然、

女々しいとか言ってる?

と、スタジオに入ってきて、一緒に盛り上がって仲良くなり、

井上陽水さんも、突然、スタジオに入ってきて、

ボクの歌は、今まで思想がありすぎました。それに、暗い。

これからは過去を絶ち切って、思想のない歌をうたいます

と、言って、仲良くなっていたといいます。

(実際、井上陽水さんの近年の歌は明るいですが、昔の歌はとても思想的で暗いものでした)

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ユニバーサル ミュージック

また、タモリさんは、ニューミュージックに関しては、「今夜は最高!」でも桑田佳祐さんと二人で批判しているのですが、そのほかにも、作家の五木寛之さん、名古屋人、映画評論家などに対しても毒づいています(笑)

中洲産業大学夏期講座

「中洲産業大学夏期講座」は、1978年7月、番組のイベントとして企画され、

タモリさんが、大学そのものをパロディにしてしまおうと作った架空の大学「中洲産業大学」で、タモリさんのほか、赤塚不二夫さん、山下洋輔さん、所ジョージさん、ツービートなどが教授として、ネタを披露したもので、

高田馬場駅前のFIビル6階にあったアートスペースに学生を集め、夏期講座が5日間に渡って開かれたといいます。

「中洲産業大学夏期講座」(タモリ)
タモリさんによる「中洲産業大学夏期講座」

「中洲産業大学夏期講座」(ツービート)
ツービートによる「中洲産業大学夏期講座」

「中洲産業大学夏期講座」(所ジョージ)
所ジョージさんによる「中洲産業大学夏期講座」

ちなみに、受講資格を得るための入学試験は番組を通じて行われたのですが、会場のキャパシティは50〜60人で、5日間で300人募集すると、約25,000人もの応募があったといいます。

中洲産業大学夏期講座カリキュラム
「中洲産業大学夏期講座」のカリキュラム。

「なぜだろうなぜかしら」「ハードコア」「水戸黄門」も

そのほかにも、「オールナイトニッポン(ANN)」では、

  • なぜだろうなぜかしら・・・ダジャレのなぞなぞをする
  • ハードコアコーナー・・・タモリさんが女性リスナーと電話して、最後は女性リスナーとのキスで締める
  • 水戸黄門コーナー・・・「水戸黄門ごっこ」と称して「水戸黄門」の場面の真似を紹介する
  • etc…

など、タモリさんならではの独自のコーナーがあったといいます。

「タモリ伝」
タモリ伝

タモリは「オールナイトニッポン(ANN)」で提供読みの際に勝手にスポンサーにキャッチコピーをつけていた

また、タモリさんは、「オールナイトニッポン(ANN)」では、提供読みの際、

  • 「股間の恋人」B.V.D.フジボウ(現:富士紡ホールディングス傘下のフジボウ・アパレル)
  • 「社長の顔がデカい」角川書店グループ(現:KADOKAWA)
  • 「缶がぽっかぽか」ポッカコーポレーション(現:ポッカサッポロフード&ビバレッジ)
  • 「若者の股間を締め付ける」ビッグジョン
  • 「社長の息子が慶應」永谷園
  • 「レモンとコーヒーがドッキング」ポッカコーヒー
  • 「一生、寛斎、森英恵は卒業していない」東京デザイナー学院(現:専門学校東京デザイナー・アカデミー)
  • 「何を造ってるのかわからない」武藤工業(現:MUTOHホールディングス)
  • 「南極物語もウケた」学研(現:学研ホールディングス)
  • 「ここを出ればあなたも一流カメラマン」東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ・アカデミー)当初、「ここを出ても職が無い・・・」と言いかけてやめていたそうです(笑)
  • 「数々の名作を提供する」日本ヘラルド映画(現:角川ヘラルド・ピクチャーズ)
  • 「ニューミュージックから演歌まで、社長自身がタレント化して売り込む」キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)
  • 「社長自らがプロモーションに走る」キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)
  • 「人事異動はまだか」CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)
  • 「人事異動が待ち遠しい」CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)
  • 「人事異動で揺れる」CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)
  • 「お菓子ひとすじ」ブルボン
  • 「堅実な経営を誇る」東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック傘下のEMI Record Japanレーベル)
  • 「数々の話題作を提供する」東宝東和
  • 「アイドル映画も制作する」東宝東和
  • 「名前が清潔」白泉社

などと、勝手にスポンサーにキャッチコピーをつけていたといいます(笑)

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タモリが「オールナイトニッポン(ANN)」を降板した理由とは?

そんなタモリさんですが、1983年9月29日で「オールナイトニッポン(ANN)」を降板しています。

というのも、1982年10月4日から、「森田一義アワー 笑っていいとも!」が始まったからで、

「笑っていいとも!」のため、土曜日・日曜日を除いて、毎朝10時に新宿のスタジオアルタに行かなければならない中、毎週水曜日深夜27時まで生放送の「オールナイトニッポン(ANN)」を続けるのは、体力的に限界だったのでした。

それでも、タモリさんは、

いまんところ自分の顔みたいな番組はこれしかないから続けさせてくれ

と、1年程は、「笑っていいとも!」と「オールナイトニッポン(ANN)」を両立しており、

(オールナイトニッポンは)大事にしてました。もうどんなにスケジュール忙しくてもとにかくやろうと

いいやすいですからね、あそこでは。やっぱり昼間っていうのはどんなこといっても、どっかで意識が、誤解されちゃいかんというのがフッとあって、つい他の表現になっちゃうでしょ。

深夜放送だとまず若い人しか聴いてないと思うから、どんなことでもいえるんですよね。あの番組で、なんか、放送における自分の乗り方、乗せ方というのが初めて分かったんですよ

と、「オールナイトニッポン(ANN)」への思いを語っています。

「タモリが笑っていいともに抜擢された経緯は?終了理由は?最後のスピーチは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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