1975年夏、漫画家の赤塚不二夫さんと出会うと、高級マンションに住まわせてもらったうえ、十分過ぎる小遣いまでもらっていたタモリさんは、やがて、赤塚さんの番組「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」でテレビ初出演も果たすのですが・・・

「タモリは赤塚不二夫の高級マンションで贅沢三昧の一人暮らしをしていた!」からの続き

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タモリは赤塚不二夫に多くのことを学んでいた

漫画家・赤塚不二夫さんの十分過ぎるサポートのもと、東京で暮らしていたタモリさんは、毎日深夜まで、新宿のバー「ジャックの豆の木」で赤塚さんや山下洋輔さんほか有名文化人とともにドンチャン騒ぎをしては、いろいろなネタを作りながら、赤塚さんからアドバイスを受ける日々を送っていたそうで、

それは、お笑いにとどまらず、映画、絵画などにも及び、タモリさんは、赤塚さんから多くのことを学んだそうですが、

「笑っていいとも」を担当した構成作家の高平哲郎さんは、1975年、漫画家の高信太郎さんに「ジャックの豆の木」に連れて行ってもらい、当時のタモリさんを初めて見たそうですが、

著書「ぼくたちの七〇年代」で、

八時半。その男が入ってきた。カウンターの入り口付近に腰掛けた。(「ジャックの豆の木」のママ)A子さんがあごでぼくに合図をした。「来てもほっとくように」と言われていたので、チラッと男を見る。

紺のゴルフズボンにスリップオンの革靴。黒ぶちの一般的な眼鏡。あとで聞いたが眼鏡以外はすべて赤塚さんの私物だ。

と、綴っておられます。


ぼくたちの七〇年代

タモリは「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」でテレビ初出演を果たすも落ち込んでいた

そして、やがて、バー「ジャックの豆の木」のママであるA子さんを社長、山下洋輔さんを常務とするマネジメント会社「オフィス・ゴスミダ」が設立され、

(「ゴスミダ」とは、タモリさんの、デタラメな韓国語のワンフレーズ)

タモリさんは所属タレントとなって、1975年8月、赤塚さんの番組「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」で、ついにテレビ初出演を果たすと、インチキ牧師ほか、次々とパフォーマンスを披露したのですが・・・

生放送の番組中、

30(歳)でこんなことやってていいの?

と、言われ、

タモリさんは落ち込んで楽屋に帰ったのだそうです。

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タモリの初出演をたまたま見ていた黒柳徹子に気に入られ「徹子の部屋」に呼ばれていた

しかし、たまたまその時、この「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」を見ていた黒柳徹子さんがタモリさんのおもしろさに驚き、親しい友人だった赤塚さんに、

今、出たあの人誰?

と電話して、「13時ショー」「徹子の部屋」の前身番組)に出て欲しいとお願いされたそうで、

同年9月、タモリさんは、黒柳さんがメイン司会を務めていた「13時ショー」「珍芸スターお笑い大行進」に、赤塚さんとともに、早くも2回目のテレビ出演を果たしたのでした。

ちなみに、後にタモリさんは、

新人なんて、とても出る番組じゃない。新人どころかテレビに2回出て、まだこの世界に入るかどうかも決めてない男が、2回目に「徹子の部屋」に出てたんですよね

と、黒柳さんからオファーが来たことに驚いたそうですが、

そんな黒柳さんのことを、

大胆というか、あんな正攻法な方でありながら、僕みたいな異端の異端の人間を即座に出してくれるっていうのは…。だからあれはインパクトが世間に大きかったですよね。恩人なんですね

と、語っておられ、

黒柳さんに恩を感じたタモリさんは、1977年8月にも「徹子の部屋」に出演すると、以降、翌年の1978年から2013年まで毎年、「徹子の部屋」の年末最後のゲストとして出演し、インチキ外国語による「四か国語麻雀」などの「密室芸」を披露されています。

「タモリはオールナイトニッポンでは毒舌で売っていた!」に続く

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