1963年、ロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」として、ファーストシングル「Come on」でデビューすると、次々と世界的ヒットを連発し、瞬く間にトップミュージシャンとなった、ミック・ジャガーさん。今回は、そんなミックさんが、トップミュージシャンになるまでの経緯をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

ミックさんは、1943年7月26日生まれ、
イングランド・ケント州ダートフォードのご出身、

身長178センチ、

本名は、
マイケル・フィリップ・ジャガー(Michael Philip Jagger)、

ちなみに、趣味は、
健康に関すること、クリケット・サッカー観戦だそうです。

生い立ちは?超エリートの秀才?

ミックさんは、上流階級出身で体育教師だったお父さんと、労働者階級でイギリス保守党の党員だったお母さんの間に誕生すると、裕福な家庭(中流階級の上)で何不自由なく育ったそうで、そのため、とても育ちが良く、きれいな英語を話すそうですが、

そのうえ、経済学で多数のノーベル賞受賞者を輩出するなど、世界最高の教育・研究機関の一つとされている、超エリート大学である、「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London School of Economics(LSE))」を卒業。

当然ながら、ミックさんは経済に強く、独自レーベル「ローリング・ストーンズ・レーベル」設立以来、バンドのギャランティ、印税配分の管理などは自身で行っているのだそうです。

キース・リチャーズとの出会い

そんなミックさんは、いつ頃かは不明ですが、ロックとR&Bに興味を持つようになり、大学通学中、チャック・ベリーやマディ・ウォーターズのベスト盤のレコードなどを数枚、小脇にかかえて、ダートフォード駅にいたところ、

偶然、「シドカップ美術専門学校」への通学途中だった幼馴染のキース・リチャーズさんと数年ぶりに再会。

(実は、二人は、もともと、ロンドン郊外のケント州ダートフォードに住む幼馴染で、小学校の同級生だったのですが、1950年代はじめ、ジャガー一家が引っ越しすることになり、ミックさんは転校。それっきり連絡が途絶えていたのでした。)

すると、ミックさんが抱えていたレコードが、当時、イギリスでは入手困難で、アメリカから取り寄せた珍しいものだったことから、キースさんがそのことに触れると、お互い、ロックやR&Bに興味があることを知り、意気投合。二人は一緒にバンドを組もうということになったのでした。

そして、当時、キースさんが「ボーイ・ブルー」と呼ばれていたことから、二人は「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」としてバンド活動を開始。

その後、まもなく、二人の共通の友人だった、ディック・テイラーさんがベーシストとして加入すると、3人は黒人の音楽に夢中になったのでした。

(ディックさんは、1962年始め頃、学業に専念するためにバンドを脱退しています)

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ブライアン・ジョーンズとの出会い

その後、ミックさんは、キースさんとともにロンドンに移り住むのですが、1962年4月7日、「アーリング・ジャズクラブ」にバンドの演奏を聴きに行ったところ、

アレクシス・コーナーさんのバンド「ブルース・インコーポレイテッド」のステージに、ゲスト出演していたブライアン・ジョーンズさんが、エルモア・ジェームスさんの「ダスト・マイ・ブルーム」をスライドギターで演奏しているのを聴き、衝撃を受けたそうで、

ライブの後、ミックさんとキースさんがブライアンさんに声をかけると、

(3人は)世界中でこの手の音楽をやっている唯一の仲間

であることを確信し、意気投合。3人でバンドを組むことになったのでした。

ちなみに、ミックさんは、後に、

ブライアンはまだスライドギターなんて誰もプレイしてないような頃からプレイしていた。演奏スタイルはエルモア・ジェイムス風ですごく叙情的なタッチをしていた。

と、ブライアンさんのギタープレイを絶賛されています。

「ミックジャガーの昔はローリングでなくローリンストーンズだった?」に続く

現在のキース・リチャーズさんとミック・ジャガーさん♪

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