幼なじみのキース・リチャーズさんと偶然駅で再会し、意気投合してバンドを結成したミック・ジャガーさんは、ブライアン・ジョーンズさんに出会うと、ついに、3人で「ザ・ローリン・ストーンズ」(「ザ・ローリング・ストーンズ」ではなく)を結成。その後、次々にメンバーが加わり、デビューへと動き出します。

「ミックジャガーの若い頃は?キースとブライアンとの出会いは?」からの続き

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「ザ・ローリン・ストーンズ」はマディ・ウォーターズの曲名だった

こうして、ミックさん、キースさん、ブライアンさんの3人はともにバンドを組むことになったのですが、

1962年6月、ブライアンさんが、電話で「ジャズ・ニュース」誌とバンド出演に関する話をしていると、バンド名を尋ねられたそうで、

まだバンド名が決まってなかったブライアンさんは、とっさに、床にあったマディ・ウォーターズのレコードの1曲「ローリン・ストーン」を見て、「ザ・ローリン・ストーンズ」(「ザ・ローリング・ストーンズ」ではなく)だと返答。

当時の彼らにとって電話代は貴重で、バンド名を考えてから折り返し連絡という発想はなく、そのまま、バンド名は「ザ・ローリン・ストーンズ」(「ザ・ローリング・ストーンズ」ではなく)と決定したのでした。

ビル・ワイマン、イアン・スチュワート、チャーリー・ワッツが加入

そして、翌月の7月12日には、マーキー・クラブで「ザ・ローリン・ストーンズ(The Rollin’ Stones)」として初のライブを行うと、同年12月には、ベーシストとしてビル・ワイマンさんが加入。

また、同じ頃、

すごいピアノがいるんだ

と言う、ブライアンさんの紹介で、ピアニストのイアン・スチュワートさんが加入。

さらに、翌年1963年には、以前から、ミックさんたちが、腕利きのドラマーとして目をつけていた、チャーリー・ワッツさんが加入されたのでした。

(ちなみに、チャーリーさんはジャズ・ドラマーだったことから、当初は、ブルースとロックンロールを主体とする「ザ・ローリン・ストーンズ」への加入を渋っておられたのですが、ミックさんたちの根気強い説得で、ついに加入されたのでした。)


6人だった頃の「ザ・ローリン・ストーンズ」(前列左から)イアン・スチュアートさん、チャーリー・ワッツさん、ビル・ワイマンさん。(後列左から)キース・リチャーズさん、ブライアン・ジョーンズさん、ミック・ジャガーさん。

イアン・スチュワートが脱退

そんなミックさんたち「ザ・ローリン・ストーンズ」は、レコード制作を目標に、まずは、クラブのレギュラー獲得を目指して、出演を繰り返しながら聴衆を増やし、徐々に頭角を現していくと、評判を聞きつけたアンドリュー・オールダムさんとレコーディング契約を結ぶことに。

(アンドリューさんは、もともと、「ザ・ビートルズ」のマネージャーであるブライアン・エプスタインさんのもとで、ビートルズの宣伝担当をされていたのですが、エプスタインさんと口論になり、担当を降りていたという経緯があったそうです)

ただ、アンドリューさんは、バンド名のつづりを、「The Rollin’ Stones」から「The Rolling Stones」へと変更したほか、キース・リチャーズさんの姓もポップに見せるために、「リチャーズ」から「リチャード」に変更。(キースさんは、後に元に戻されています)

さらには、イアンさんについて、

イアンのルックスがバンドの雰囲気に合わない

ということと、バンドに6人は多いということから、バンドの創始者の一人であったにもかかわらず、イアンさんをメンバーから外してしまったのでした。

(後に、アンドリューさんは、イアンさんに「ロード・マネージャー及びピアノのレコーディングならばバンドに参加しても良い」と持ちかけると、イアンさんもこれを承諾。イアンさんは、1985年に他界されるまで、裏方としてバンドを支え続け、メンバーからの信頼も厚く「6人目のストーンズ」として知られています)


(左から)チャーリー・ワッツさん、ビル・ワイマンさん、ミック・ジャガーさん、ブライアン・ジョーンズさん、キース・リチャーズさん。

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「Come On」でレコードデビュー

それでも、「ザ・ローリング・ストーンズ」は、アンドリューさんによって、「デッカ・レコード」と契約することに成功。

1963年6月7日には、ついに、チャック・ベリーのカバー曲「Come On」でレコードデビューを果たしたのでした。


Come On

(ちなみに、この曲は、もともとニューオーリンズ風のリズムが入ったかなり凝った曲にもかかわらず、「ザ・ローリングストーンズ」のヴァージョンは、鋭いギターのリズムカッティングが持ち味となっており、黒人音楽が好きだったミックさんたちメンバーは、自分たちの異に反した一般受けするように制作されたこの曲を嫌い、ライブではほとんど演奏されることはなかったそうです)

「ミックジャガーのブレイクの陰にはブライアンジョーンズとの不仲&死が!」に続く

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