当初は、CM「オロナミンC」の出演オファーを拒否するも、奥さんの一言で、オフォーを受けることになった、大村崑(おおむら こん)さんですが、CM撮影中は、大村さんのアドリブが満載だったといいます。

「大村崑は当初CM「オロナミンC」のオファーを断っていた!」からの続き

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「オロナミンC」を1日で約50本飲み“屁こきのコン”に

「オロナミンC」のCMに出演することになった大村さんは、その日のうちに、16ミリの映写機を回した撮影が開始したそうですが、何パターンも撮影したため、撮影は夜中までかかり、なんと、飲んだ「オロナミンC」の本数は約50本にも達したそうで、

大村さんは、

どうなるかというとね。撮影が終わってホテルに戻ってバスタブにつかったら、ぶおーんて腹が浮くねん。ガスで。こないにふくらんだ(おなかから10センチほど手を離して)。ベルトも何も入らん。

ガスはなかなか抜けない。せやから“屁こきのコン”て言われました。「ごめん、今からオロナミンCを出すわ」っておならをするんです。僕の後ろにまわる役者は泣いてましたもん。

と、語っています。

「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ」は大村崑のアドリブだった

また、「オロナミンC」のCMといえば、「元気はつらつ!オロナミンC!」のほか、「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ」「オロナミンCは小さな巨人です」など、世代を越えて知られている名台詞でもお馴染みですが、

「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ」は、CM監督が昔気質のすぐ怒鳴る厳しい人だったことから、子役がむずかるなど、現場の雰囲気が暗くて大変だったそうで、ある時、監督から、「崑ちゃん。メガネをズリ落としてよ」と言われ、

大村さんが、

うれしくないのでメガネ落ちません

と、言い返したことで、スタッフ全員が爆笑し、あの名台詞が生まれたのだとか。

ちなみに、当初は、メガネに糸を付けて前に引っ張って落とそうとしたそうですが、メガネが落ちるタイミングがなかなかうまくいかず、

大村さんが、

メガネの蔓(つる)のハシを後ろからワイヤーで上げてみたら

と、提案し、メガネが落ちるタイミングがピッタリと合うようになったそうです。

「オロナミンCは小さな巨人です」も大村崑のアドリブだった

また、「オロナミンCは小さな巨人です」も、大村さんのアドリブだったそうですが、大村さんは、いつも、何かおもしろい台詞はないかと考えていたそうで、

そんな日頃の努力の賜物により、1965年2月には、「オロナミンC」のホーローの看板が日本中に出回ることとなり、大村さんは、「オロナミンC」の顔として、長きに渡り人気を博したのでした。


「オロナミンC」のホーローの看板。

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現在も「オロナミンC」を飲み続けている

ところで、大村さんは、「オロナミンC」には「元気ハツラツ!」と書いてあるため、

こりゃ病気もできんわ

と、元気なイメージを損なわないよう、後に「虫垂炎」を患った時も、手術は密かに受けたそうですが、

炭酸飲料はオロナミンCしか飲まない。自宅(大阪府箕面市)でもお客さんにはお茶でなくオロナミンCを出している。ハワイに行ってもコーラは飲まなかった(笑)

私は若い頃に医師から「40歳まで生きられない」と言われたこともある(笑)。それが今でも現役なのはオロナミンCのおかげかな。この50年間は大塚製薬のCMしか出ていない。

毎年8月13日は午前中に徳島にある大塚社長のお墓にお参りしてから大塚の企業『連』で阿波踊りを踊っていた。それが私のお盆だ。CMに出なくなってもお付き合いは長く続いた。いわば顧問格と思っている

1社だけと最初から最後までとことん付き合ったタレントは私が最初でしょう。ひょっとすると最後かも知れない(笑)

と、現在も、「オロナミンC」を飲み続けているほか、大塚製薬との関係を大事にしているとのことです。

「大村崑はCM「ごはんですよ」のキャラクターではなかった!」に続く

現在も「オロナミンC」を飲み続けているという大村さん。

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