1959年、「頓馬天狗」でテレビドラマデビューして以来、軽演劇を中心に絶大な人気を博し、CMでは、「オロナミンC」のCMに長きに渡って出演した、大村崑(おおむら こん)さんですが、「桃屋ごはんですよ」のCMのアニメキャラクターのモデルだった三木のり平さんと激似で、ずっと間違えられ続けていたそうです。

「大村崑は「オロナミンC」を1日で約50本飲み屁が止まらなかった!」からの続き

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CM「桃屋ごはんですよ」のアニメキャラクターは大村崑ではない?

大村さんが、「オロナミンC」のCMのほか、「桃屋ごはんですよ」のCMにもアニメキャラクターとして出演していると、多くの人が思っているようですが、実は、「ごはんですよ」のCMに出演しているのは、大村さんではなく、三木のり平さんのアニメ(声も三木のり平さん)です。

それほど、お二人は似ているのですが、それもそのはず、大村さんのトレードマークである、ずり下ろしたロイド眼鏡は、三木さんから譲り受けたスタイルだったそうで、

(もともと、三木さんは大きな黒ぶちメガネがトレードマークで、大きな鼻にメガネをかけている姿は、誰が見てもすぐに三木さんと分かるほどだったそうです)

大村さんは、その経緯について、

三木先生にはかわいがってもらいました。似てると言われるからね。読売テレビ「頓馬(とんま)天狗」(59-60年)の初回のゲストも三木先生です。

僕が演じる頓馬天狗のお父さん役で、もちろん、眼鏡をずらして出てくれました。そのときに「これからも鼻眼鏡でやるなら、譲るよ」と言ってくださったんです。

と、明かしています。


大村さん(左)と三木のり平さん(右)。ほんとそっくりです。

(三木さんは、トレードマークだったメガネの芸を、あっさり大村さんに譲っているのですが、後に、三木さんは、よく「ボクはね、ひとつ何か当たると、それをすぐ飽きちゃうんだ。ただ、桃屋のCMだけは、アニメだからあきないんだよ」と語っていたそうです)

大村崑は三木のり平と間違えられ続けていた

実際、大村さんは、「こんちゃん、孫が食が細かったんだけど、「江戸むらさき」(「桃屋」の佃煮)のおかげでよく食べるようになって、柔道部に入ったんですよ」などと、よく、三木さんに間違えられたそうですが、

ただね、似てるというのはいいことだけじゃないんです。後年、大阪の今里のお茶屋でごちそうになったことがあるんですが、誰かが間違えて三木先生に「こんちゃん」って声をかけちゃった。

酔っていた先生は怒ってね。「俺は大村崑じゃない!」と叫んでお茶屋の2階の窓から屋根に上がって、屋根の上を走り出しちゃった。

「先生、危ないから降りてください」って必死に頼んで、降りてきてもらいましたよ。先生は酔っ払わせるとだめなんです。

と、語っており、内心、間違えられ続けることにうんざりしていたかもしれません。


「江戸むらさき ごはんですよ」のCMより。このアニメキャラクターは三木のり平さん自身が描き下ろした「のり平」

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「桃屋」のアニメキャラクターは三木のり平が自身を描き下ろしたイラストだった

ちなみに、「桃屋」は1920年(大正9)年に創業し、翌年の1921年には、当時の食品メーカーとしては珍しく、新聞広告を始めたそうですが、戦争が始まると、他の企業と合同で、「東興食品」として、軍隊向けの缶詰を製造。

ただ、戦後、1946年には、「東興食品」から分離し、再び「桃屋」として事業を再開すると、1950年には、佃煮「江戸むらさき」を発売し、やがて新聞広告も復活。

その時、新聞に「江戸むらさき」のおいしさを有名人が語るシリーズ広告(突き出し広告)を始めようと、三木さんに依頼すると、三木さんは、「私がとやかく言うより、絵でも描きましょう」と、自身の似顔絵をさらさらと描き、シャレたキャッチコピーも添えたそうで、それが、現在まで続くアニメキャラクター「のり平」なのだそうです。

「大村崑のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

三木さんが描いた「突き出し広告」は、まるで一コマ漫画のようだと、大きな反響を呼んだそうです。

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