若い頃は、”第二の三船敏郎“として売り出され、ハードボイルド路線の映画でアクションスターとして活躍し、”結婚したい独身男性ナンバーワン”にも選ばれた、黒沢年雄(くろさわ としお)さん。
そんな黒沢年雄さんは、プライベートでは、モデルの街田リーヌさんと、猛アタックの末に交際し、結婚したそうで、現在は、そんな奥さんの介護をしているといいます。
今回は、黒沢年雄さんと妻の街田リーヌさんの現在の関係や、娘の黒沢レイラさんについてご紹介します。
「黒沢年雄はガンで計8回の手術!ニットの帽子は闘病の決意の表れだった!」からの続き
黒沢年雄の妻・街田リーヌとの馴れ初めは?
黒沢年雄さんは、1976年にモデルの街田リーヌ(本名は黒沢街子)さんと結婚しています。
黒沢年雄さんと街田リーヌさんの馴れ初めなど詳しいことは不明ですが、黒沢年雄さんが街田リーヌさんと結婚したのは、
父や弟たちの生活を支える大黒柱だった中、仕事が途絶え、不安の重圧で心が折れそうになり、自殺を考えるようになるも、思いとどまり、その2ヶ月後、13枚目のシングル「やすらぎ」がヒットし、苦境を脱した、その翌年のことだったといいます。
(その当時、街田リーヌさんは、ピエール・カルダンの専属モデルをしていたそうです)
そんな中、黒沢年雄さんは、街田リーヌさんに猛アタックし、交際、結婚に至ったのだそうです。
ちなみに、街田リーヌさんは、結婚後もずっとモデルの仕事を続けているのですが、黒沢年雄さんも、奥さんが結婚後もモデルの仕事を続けることに賛成だったそうで、
黒沢年雄さんは、その理由について、
やっぱりいつまでも素敵でいてほしいし
と、語っています。
黒沢年雄は重病の妻・街田リーヌの介護をしている
ただ、黒沢年雄さんは、2024年4月9日、妻の街田リーヌさんが闘病生活を送っており、2021年頃から要介護となっていることを、自身のブログで明かしています。
その内容とは、
美人聡明で奥ゆかしく、健康でスポーツマン、口数少なく素敵なママ…貴女以上に素敵な女性に出会った事がない…。
そんなママが急激に壊れていく…。
この病気は個人差があるが…薬しか治療法がなく余り効果が見受けなれない…壊れる速度が速い…速すぎる…。
この二年間以上…僕は出来る限りの介護をして来た…先を見越し、親族、親類がいる、故郷横浜に戻り、仕事を抑え、ママの為に最高の思い出を作りたく居を構えた。
海にも近く、右側は中華街、左側はレストラン街,歩いて行ける…みなとみらいはタクシーで1区間…毎日のように夜は手を繋いで食事に出かけたが…ここ二か月前から歩行も困難…言動もままならず遂に施設に…至せり尽くせりの施設だが…ママの行動や言動に涙する…壊れていくママ…。
ママ愛しているよ…絶対に見守っていくからね…。
ママが”ありがとう”…この瞬間が幸せを感じる。
といった悲痛なもので、
街田リーヌさんの具体的な病名は明かしていないものの、深刻な病状であることが伺えます。
黒沢年雄の娘は女優でタレントの黒沢レイラ
そんな黒沢年雄さんと街田リーヌさんの間には、1977年9月29日に女の子が一人誕生しているのですが、現在、女優でタレントの黒沢レイラさんです。
黒沢レイラさんは、両親の影響で、「三井万裕美」名義で女優として活動するほか、クイズ番組「世界不思議発見」のレポーターをしていたこともあったそうですが、
その後、ホテル支配人のアメリカ人男性・ジャスティンさんと結婚し、男の子を出産したそうで、現在はカリフォルニア州ロサンジェルスで暮らしているとのことです。
黒沢年雄さんの娘・黒沢レイラさん。
さて、いかがでしたでしょうか。
黒沢年雄さんの、
- 黒沢年雄の生い立ちは?弟達を養うため高校中退して働きつつ俳優を目指していた!
- 黒沢年雄のプロフィール
- 黒沢年雄が幼い頃は貧しかった
- 黒沢年雄は中学・高校時代は野球に熱中していた
- 黒沢年雄は16歳の時に母親を亡くしていた
- 黒沢年雄は高校生の時に家出し悪い仲間と付き合い始めていた
- 黒沢年雄は高校時代に弟たちを養うために俳優になる決意をしていた
- 黒沢年雄は17歳の時に高校を中退して様々な職を転々としていた
- 黒沢年雄は20歳の時に「東宝映画第4期ニューフェイス」のオーディションに合格していた
- 【画像】黒沢年雄の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!
- 黒沢年雄が20代の時は映画「女体」で俳優デビューすると「日本のいちばん長い日」で注目されるも東宝を解雇され自殺を考えていた
- 20歳~22歳の時には岡本喜八、松林宗恵、成瀬巳喜男などの作品に出演していた
- 22歳の時に成瀬巳喜男監督の「ひき逃げ」で主人公の弟役に抜擢されていた
- 23歳の時に岡本喜八監督作品「日本のいちばん長い日」で青年将校を演じ注目されていた
- ~26歳の時には「死ぬにはまだ早い」等でアクションスターとして高く評価されていた
- 27歳の時に東宝を解雇され自殺を考えていた
- 黒沢年雄が30代の時には「やすらぎ」「時には娼婦のように」が大ヒットするほか「ザ・ハングマン」で人気を博していた
- 31歳の時に13枚目のシングル「やすらぎ」がヒット
- 34歳の時に19枚目のシングル「時には娼婦のように」が累計売上70万枚の大ヒット
- 36歳の時にテレビドラマ「ザ・ハングマン」シリーズで人気を博していた
- 黒沢年雄が40代の時には二前目路線から一転して「踊る!さんま御殿!!」などバラエティ番組に進出していた
- 48歳の時に大腸ガンが判明すると俳優の仕事が激減していた
- 40代の時には二枚目路線から一転してバラエティ番組に進出し「踊る!さんま御殿!!」で人気を博していた
- 黒沢年雄が50代の時には「オウミ住宅」のCMでコミカルなダンスを披露していた
- 黒沢年雄の60代~現在(80代)
- 黒沢年雄が20代の時は映画「女体」で俳優デビューすると「日本のいちばん長い日」で注目されるも東宝を解雇され自殺を考えていた
- 黒沢年雄はガンで計8回の手術!ニットの帽子は闘病の決意の表れだった!
- 黒沢年雄は当初は痔と診断されていた
- 黒沢年雄は内視鏡検査により大腸ガンが判明していた
- 黒沢年雄はガンの転移の可能性があると告げられ再手術していた
- 黒沢年雄は膀胱ガンにも罹患していた
- 黒沢年雄は胃ガンと食道ガンで計5回の手術を受けていた
- 黒沢年雄のニット帽はガンとの闘いを決意した時に被り始めたものだった
- 黒沢年雄の妻・街田リーヌとの馴れ初めは?要介護?娘は黒沢レイラ!
- 黒沢年雄の妻・街田リーヌとの馴れ初めは?
- 黒沢年雄は重病の妻・街田リーヌの介護をしている
- 黒沢年雄の娘は女優でタレントの黒沢レイラ
について、ご紹介しました。
幾度ものがん闘病を乗り越え、その経験を伝える講演活動も精力的に行うなど、常に前向きな姿勢で多くの人に勇気を与えてきた黒沢年雄さん。
今後も、そんな黒沢年雄さんの活動からは目が離せません!
1964年、映画「女体」で俳優デビューし、1966年には、歌手としてもデビューすると、「やすらぎ」「時には娼婦のように」「酒とバラの日々」が大ヒットし、以降、数多くのテレビドラマ、映画、舞台、CM、バラエティなどに出演し …