銀座のクラブでホステスとして働いていた際、お客として来た往年の二枚目スター・上原謙さんと知り合うと、上原謙さんの長男・加山雄三さんの猛反対を押し切って、38歳の年の差結婚をし、子供2人を出産するも、その後、離婚した、大林雅美(おおばやし まさみ)さん。
そんな大林雅美さんは、現在、どうされているのでしょうか。
今回は、大林雅美さんの若い頃から現在までの経歴を、生い立ちから、結婚、離婚を交えて、時系列でまとめてみました。
大林雅美のプロフィール
大林雅美さんは、1947年5月30日生まれ、
北海道の出身、
学歴は、
八雲学園中学校・高等学校中退、
ちなみに、本名は「大林雅子」です。
大林雅美は少女時代に父親の家業が破綻し中学入学前に母親と上京していた
大林雅美さんは、北海道の漁業経営者のお父さんのもと、三女として誕生したそうですが、家業が破綻したことで、母子家庭で育つと、
小学校を卒業後は、親族を頼ってお母さんと共に上京し、八雲学園中学校・高等学校に進学したそうです。
大林雅美は歌手を目指して高校を中退し17歳の時にハワイアン歌手の大橋節夫に師事していた
そんな大林雅美さんは、その後、歌手を目指して高校を中退すると、17歳の時には、ハワイアン歌手の大橋節夫さんに師事し、在日アメリカ軍のキャンプ回りをした後、クラブなどで歌うようになったそうです。
大林雅美は27歳の時に俳優の上原謙と知り合い同棲するようになっていた
そんな中、クラブ歌手だけではやっていけず、ホステスもするようになると、1974年、27歳の時には、大林雅美さんがホステスをしていた銀座のクラブに、俳優の上原謙さんが友人に連れられて、遊びに来たそうですが、
上原謙さんが戦前・戦後に一斉を風靡した二枚目スターだということを知らず、親しみを込めて「オッチャン」と呼んでいると、
そんな飾り気のないところが上原謙さんに気に入られ、まもなくして、2人は茅ヶ崎の上原謙さんの家で一緒に暮らすようになったそうです。
そして、1975年には、大林雅美さんが妊娠したそうですが・・・
上原謙さんと(死別した)前妻の小桜葉子さんとの間に誕生した息子の加山雄三さん夫婦がこの交際に猛反対し、中絶を余儀なくされたのだそうです。
(上原謙さんのお父さんは薩摩士族の出身で陸軍大佐、小桜葉子さんの曽祖父は明治の元勲・岩倉具視、と由緒ある家柄であるのに対して、大林雅美さんのお父さんは、北海道の漁業経営者で、大林雅美さんが幼い頃に家業が破綻し、大林雅美さんが、高校中退後、ホステス兼クラブ歌手として働いていたことから、大林雅美さんが池端家(加山雄三さんの本名)に入ることに、加山雄三さん夫婦は強い拒否感があったのだそうです)
大林雅美は29歳の時には加山雄三の猛反対を押し切って上原謙と正式に結婚
そんな中、大林雅美さんは、中絶からしばらくして、再び妊娠したそうで、
上原謙さんは、またもや息子の加山雄三さんから、
生まれた子どもが成人するまで責任を持てるのか?
と、反対されたそうですが、
上原謙さんはついに覚悟を決めたそうで、大林雅美さんは、1976年5月、29歳の時、上原謙さん(65歳)と正式に結婚したのでした。
大林雅美は44歳の時に上原謙と離婚していた
そして、大林雅美さんは、1976年11月28日には、第一子となる女の子を出産すると、その後、銀座のクラブへの勤務を再開し、
その直後に上原謙さんの出資により赤坂にスナック「ハニー上原」を開店するほか、1980年11月には、2人目の女の子も出産するなど、公私ともに幸せな日々を送っているかと思われたのですが・・・
上原謙さんが年を取るにつれて仕事が減り、生活費を大林雅美さんがママを務める赤坂のスナックの売上に頼るようになっていったことから、夫婦喧嘩が絶えなくなったそうで、1991年6月に離婚したのだそうです。
(大林雅美さんの金切り声が近所中に響き渡ることもあったといいます)
大林雅美は44歳、45歳の時に自ら暴露本を出版していた
そんな大林雅美さんは、上原謙さんと離婚の際には、
(加山雄三さん夫婦に)跡継ぎの男児は必要ないと、2度も中絶を強いられた
と、上原謙さんの長男・加山雄三さん夫婦との不仲を暴露し、
その後、(大林雅美さんはラジオ番組でレギュラーで持っていたのですが)スポンサーである敷島紡績の社長との不倫が発覚し、「稀代の悪女」と呼ばれるようになっているのですが、
本名の「大林雅子」名義で、
- 1991年(44歳)「悪い女かしら―私の幸せさがしの旅」
「悪い女かしら―私の幸せさがしの旅」 - 1992年(45歳)「悪い女でごめんね―男と女のふれあいの旅」
「悪い女でごめんね―男と女のふれあいの旅」
と、2冊の著書を出版し、
夫婦関係や加山雄三さん一家(池端家)との確執、敷島紡績の社長と不倫のことなど、自ら暴露しています。
大林雅美は45歳の時に銀座にクラブ「まこん」を開店するほか46歳の時には「雅美のパワー・オブ・ラブ」で主演
また、大林雅美さんは、1992年、45歳の時には、銀座にクラブ「まこん」を開店するほか、1993年、46歳の時には、井筒和幸監督によるオリジナルビデオ「雅美のパワー・オブ・ラブ」で主演するなど、タレント活動もしています。
「雅美のパワー・オブ・ラブ」
大林雅美は60代の時に銀座に再びスナック「まこん」をオープン
その後、大林雅美さんは、2009年2月末までに、銀座で7店舗を開閉店すると、最後に銀座のクラブを閉店した後、一時期は、元歌手・仲宗根美樹さんのバー「美樹」を手伝っていたそうですが、
定年を迎えた常連客から「行く店がなくなった」「もう一回やってよ」などの声が寄せられたそうで、
お客さんに育てられたから恩返ししたかった
と、「年金でも楽しめるお店」をコンセプトに、再び銀座にスナックを開店すると、初心に返るつもりで、銀座に初めて出した店名である「まこん」と再び名付けたそうです。
大林雅美の現在(70代)は銀座のスナック「まこん」のママ
そんな大林雅美さんは、2017年(70歳)の時点で、銀座のスナック「まこん」のママを務めており、取材に対し、上原謙さんと離婚後は、上原謙さんの長男・加山雄三さんとは一切連絡を取っておらず、絶縁状態であることを明かしながらも、
とはいえ最愛の夫でしたから、お盆と11月23日の命日には、墓参を欠かさないわ
と、語っています。
(大林雅美さんは、ずっと加山雄三さん一家に会うのが嫌で、上原謙さんのお墓参りには行っていなかったそうですが、娘2人の勧めもあり、2002年からようやく命日にお墓参りに行くようになったそうです)
大林雅美の長女と次女の現在は?
ちなみに、大林雅美さんの長女は、2000年に結婚するも離婚し、その後は、六本木のクラブで働いているそうです。
また、次女で元女優の仁美凌さんは、若山富三郎さんの長男で俳優の若山騎一郎さんと結婚、離婚、復縁、再離婚、さらには薬物使用により、若山騎一郎さんとともに逮捕されているのですが、
その際、マスコミが家に押し寄せたことから、大林雅美さんは、まったく仕事にならなかったといいます。
(大林雅美さんは、仁美凌さんとは、若山騎一郎さんの再婚に反対し、一時は絶縁状態になっていたこともあったそうです)
ただ、仁美凌さんが出所後は、自宅に住まわせ、その後、仁美凌さんは、六本木の姉妹店でホステスをしているといいます。
戦前戦後の二枚目スター・上原謙さんとその後妻の大林雅美さんの間に次女として誕生し、加山雄三さんの異母妹でもある、仁美凌(ひとみ りょう)さん。 そんな仁美凌さんは、俳優の若山富三郎さんの息子・若山騎一郎さんとの二世同士の …