16歳の時に「ひばりプロダクション」の副社長に就任すると、翌年には社長に就任し、以降、美空ひばりさんに関する事業や権利の管理などを手掛けている、美空ひばりさんの長男・加藤和也(かとう かずや)さん。
そんな加藤和也さんのお父さんは美空ひばりさんの実弟・かとう哲也さん、お母さんは元歌手の円山鈴子さんなのですが、生まれてすぐに両親が離婚したことからか、幼い頃から叔母である美空ひばりさん宅で美空ひばりさんをお母さんだと思って過ごしていたそうで、7歳の時に、美空ひばりさんとの養子縁組が法的に成立し、養子だと聞かされたといいます。
今回は、加藤和也さんの、生い立ち(幼少期から高校1年生まで)をご紹介します。
加藤和也のプロフィール
加藤和也さんは、1971年8月10日生まれ、
東京都の出身、
学歴は、
玉川学園附属小学校
⇒明大中野高校中退
ちなみに、加藤和也は本名です。
加藤和也は父親・かとう哲也と実母・円山鈴子が結婚後すぐ離婚し幼い頃から美空ひばりの家で過ごしていた
加藤和也さんは、美空ひばりさんの実弟・かとう哲也さんとお母さんの阿部静子(元歌手の円山鈴子)さんの長男として誕生するのですが、
両親が結婚後10ヶ月でスピード離婚するほか、お父さんのかとう哲也さんは何度も逮捕されていたそうで、
(かとう哲也さんは、加藤和也さんが4歳の時には、銃刀法違反で2年の実刑を受けています)
加藤和也さんは、物心つく前から美空ひばりさん宅で過ごしていたそうです。
(1973年頃には、かとう哲也さんが暴力団組員だったことが表面化し、美空ひばりさん一家は世間から大バッシングを受けました)
加藤和也が幼い頃は大人ばかりに囲まれて育ったことから空気を読む子供だった
そんな加藤和也さんは、美空ひばりさん宅では、美空ひばりさんのほか、祖母の喜美枝さん、運転手、付き人、お手伝いさんなど、多くの大人たちに囲まれて育ったことから(お客さんも多かったそうです)、
家で時々いたずらをするようなわんぱくな男の子だった反面、空気を読もうとする子供だったそうで、心から親切にしてくれる人と、いい顔をしながらも内心は邪魔だと思っている人を、見分ける力が鍛えられたといいます。
加藤和也が幼い頃は美空ひばりのツアーに連れて行かれていた
また、加藤和也さんは、幼い頃から、美空ひばりさんの全国ツアーに連れて行かれていたことから、劇場で育ったような感覚だったそうで、幼い加藤和也さんにとって、劇場はまるで遊園地そのものだったそうです。
(美空ひばりさんは、毎年、全国ツアーがあり、名古屋の御園座や東京の新宿コマ劇場では2ヶ月公演もあったそうで、1年のうち3分の2近くは劇場に出る生活だったそうです)
加藤和也は5歳の時に幼稚園に入園したことで美空ひばりのツアーに連れて行ってもらえなくなっていた
そんな加藤和也さんも、5歳で幼稚園に入れられることになったそうで、幼稚園に入るとツアーに連れて行ってもらえなくなると思い、入園試験では、テスト用紙は白紙で提出し、平均台を歩くテストでも平均台に乗らなかったそうですが、それでも、幼稚園には受かってしまったそうで、
美空ひばりさんがツアーに出てしまうと(家にはいつも誰かがいたそうですが)、加藤和也さんは、一人で食事をするような生活になったそうで、
加藤和也さんは、その時のことを、
(美空ひばりさんが)地方に行っているなら、まだあきらめもつく。都内の劇場に出ているのに、なかなか会えないときは寂しかったですね
と、語っています。
加藤和也は7歳の時に美空ひばりとの間で養子縁組が法的に成立していた
その後、加藤和也さんは、玉川学園の附属小学校に入学した7歳のある日のこと、学校から帰ると、おばあちゃんと美空ひばりさんが待っていて、
ここに座りなさい
と、言われ、
美空ひばりさんは本当のお母さんではなく、養子だと聞かされたそうで、
(この時、美空ひばりさんと加藤和也さんの間で養子縁組が法的に成立したそうです)
当初は美空ひばりさんを本当のお母さんだと信じて「ママ」と呼ぶも、やがては、お父さんとお母さんが姉弟というのを変に感じ、週刊誌や人の噂で、本当の親子ではないことを薄々感づき始めてはいたそうですが、はっきりと養子だと聞かされた時には、複雑な気持ちになり、部屋に入って泣いたそうです。
(ただ、美空ひばりさんは、できる限り学校行事に参加してくれたほか、地方に行く時には、加藤和也さんに語りかけるメッセージを吹き込んだテープを残してくれたり、交換日記をしてくれたり、「北斗の拳」などのアニメを一緒に見ておもしろがってくれたり、パンクロックなどの音楽も勧めると聴いてくれたりと、一生懸命、母親になろうと努力してくれたそうです)
加藤和也が10歳の時には祖母が他界し、12歳の時には父親と叔父が他界していた
そして、加藤和也さんが10歳の時、おばあちゃんが亡くなると、その2年後には、お父さんが亡くなり、さらに、その2年後には、叔父さん(美空ひばりさんのもう一人の弟)が亡くなったそうで、
加藤和也さんは、急に寂しさを感じるようになったそうです。
(お父さんと叔父さんは、まだ42歳という若さだったそうです)
加藤和也は中学時代には美空ひばりに反発するも学校ではバレーボール部で活躍していた
そんな加藤和也さんは、中学生になると、美空ひばりさんへの反発から口答えをすることが多くなったそうですが、
学校は楽しく(勉強はそれほど好きではなかったものの)、担任の先生に甘えることができたほか、バレーボール部に入り、弱小チームを大会で優勝させるなど、活躍したそうです。
加藤和也は高校1年生の時に無期停学になっていた
しかし、高校生になると、学校は好きで朝早くから行っていたものの、授業に出る気にはなれず、さぼるようになり、
つるんでいた先輩たちとも折り合いが悪くなってケンカをすることが多くなると、ある時、校内でケンカをし、相手をケガさせてしまったそうで、
後日、一人で相手の家に謝罪に行くと、父親は許してくれたそうですが、高校は無期停学になってしまったのだそうです。
(高校に入ってまだ2ヶ月しか経っていなかったそうです)
「加藤和也の若い頃は?16歳で「ひばりプロダクション」の副社長、17歳で社長に就任していた!」に続く
15歳の時に高校を中退するも、その後、病に苦しみながらも「不死鳥コンサート」を成功させた母・美空ひばりさんを見て、外部のプロモーターではなく、自身が支えていこうと決意したという、加藤和也(かとう かずや)さんは、16歳で …