1925年、7歳の時、子役としてデビューすると、11歳の時には、「明日天気になァれ」で主演を務めるなど、子役として活躍した、小桜葉子(こざくら ようこ)さん。

今回は、そんな小桜葉子さんの、若い頃からの活躍や経歴を、幼少期から時系列でまとめてみました。

小桜葉子

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小桜葉子のプロフィールと家系図

小桜葉子さんは、1918年3月4日生まれ、
東京府東京市麹町区霞ヶ関(現・東京都千代田区霞が関)の出身、

ちなみに、小桜葉子さんの本名は、「池端具子(いけはた ともこ)」、旧姓は「岩倉具子(いわくら ともこ)」で、

あの、明治の元勲の岩倉具視は曽祖父、祖父は政治家の岩倉具定、伯母は東伏見宮依仁親王妃周子(かねこ)という、由緒ある一族です。(家系図参照)

また、

父は岩倉具顕さん、
母は女優の江間光括(青木しのぶ)さん、
妹は女優の小桜昌子さん、
夫は俳優の上原謙さん、
息子は俳優の加山雄三さん、

です。

小桜葉子の家系図

小桜葉子は7歳の時に「極楽島の女王」で子役デビュー

小桜葉子さんは、1925年、7歳の時に、小笠原プロダクションに入ると、子役として活動を開始し、同年には、「極楽島の女王」の内藤礼子役で映画デビューしているのですが、

息子の加山雄三さんは、小桜葉子さんが子役で芸能界入りした理由について、インタビューで、

お袋も父親と生き別れて女優として家庭を養ってきた。

と、語っています。

小桜葉子

小桜葉子は11歳の時に「明日天気になァれ」で主演

そんな小桜葉子さんは、翌年の1926年、8歳の時には、松竹蒲田に移籍すると、「曲馬団の姉妹」(1926年)、「父帰る」(1927年)、「チンドン屋」(1928年)など、喜劇に出演するほか、

1929年、11歳の時には、「明日天気になァれ」で主演を務めるなど、子役として活躍しています。

小桜葉子

小桜葉子は15歳~18歳の時に「十九の春」「彼女は嫌と云ひました」「素晴らしき空想」ほか

そして、小桜葉子さんは、その後も、

  • 1933年(15歳)「十九の春」
  • 1934年(16歳)「娘三人感激時代」
  • 1935年(17歳)「三人の女性」
  • 1935年(17歳)「彼女は嫌と云ひました」
  • 1935年(17歳)「吹けよ春風」
  • 1935年(17歳)「人生のお荷物」
  • 1936年(18歳)「結婚の条件」
  • 1936年(18歳)「素晴らしき空想」

などの映画に次々と出演しています。

小桜葉子は18歳の時に二枚目スターだった上原謙と結婚

しかし、1936年10月、18歳の時には、二枚目スターとして活躍していた上原謙さんと結婚すると、芸能界を引退し、翌1937年には、長男の加山雄三さんを出産しています。

ちなみに、小桜葉子さんは、1936年、兵役で台湾の部隊に配属となり、ほどなくして原因不明の病を患った上原謙さんに、せっせと手紙を書き送り、励まし続けたそうで、

このことがきっかけで2人は仲良くなり、上原謙さんが3ヶ月で除隊となって帰国後、結婚したのだそうです。

小桜葉子

小桜葉子は40代の時に独自の美容と健康法「小桜式整美体操」を考案していた

そんな小桜葉子さんは、結婚後は、1952年、34歳の時に、映画「お茶漬の味」(上原葉子名義)に特別出演しただけだったのですが、

1960年代(40代)には、独自の美容と健康法である「小桜式整美体操」を考案すると、東京・八重洲で「小桜葉子整美体操教室」を経営し、その後、全国展開するなど精力的に活動しています。

ちなみに、小桜葉子さんは、息子の加山雄三さんが「若大将シリーズ」のスター俳優として活躍していた頃、加山雄三さんと姉弟に間違えられるほど、若々しいルックスだったそうで、そのエキゾチックな容姿から、”和製エリザベス・テイラー”とも呼ばれていたそうです。

小桜葉子と加山雄三

また、小桜葉子さんは、1966年、48歳の時には、ワイドショー「アフタヌーンショー」に出演するほか、

などの著書も出版しています。

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小桜葉子の死因は子宮ガンで52歳で死去

ただ、そんな小桜葉子さんも、1970年5月12日、52歳という若さで他界されています。

実は、スキーの際にケガをして片方の腎臓を損傷し、腎臓を摘出したことから腎機能障害を患い、このことにより、子宮ガンの発見が遅れたといいます。

お読みいただきありがとうございました

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