1960年に鹿児島県のラジオ南日本にアナウンサーとして入社すると、1963年には日本テレビに移籍し、その後、どんなニュースも、冷静沈着な落ち着いた低音の声で、「あ、さて~」と言うスタイルが人気を博した、小林完吾(こばやし かんご)さん。

今回は、そんな小林完吾さんの、若い頃から現在までの経歴をアナウンサーデビューから時系列でまとめてみました。

小林完吾

「小林完吾アナの生い立ちは?小学校は不登校!高校は中退!大学では自殺未遂していた!」からの続き

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小林完吾は27歳の時に「サンデージュークボックス」のディスクジョッキー兼アナウンサーとしてアナウンサーデビュー

小林完吾さんは、國學院大學卒業後、1960年2月6日、27歳の時、鹿児島県のラジオ南日本にラジオアナウンサーとして入社すると、

「サンデージュークボックス」のディスクジョッキー兼アナウンサーとして、アナウンサーデビューを果たしているのですが、新人アナウンサーとしては破格の抜擢だったといいます。

小林完吾は31歳の時にスカウトされて日本テレビに中途入社していた

その後、小林完吾さんは、1963年3月、30歳の時に、先輩から日本テレビへの移籍の話を持ちかけられたそうですが、話がまとまらないまま、同年5月には、南日本放送を退職したそうで、

同年9月2日、31歳の時に、ようやく、日本テレビにスカウトされ、ニュースアナウンサーとして中途入社したそうです。

また、日本テレビに移籍して初めて担当した仕事は相撲中継だったそうですが、

お前がやると歌舞伎中継になる

と、早々に降板させられてしまったといいます。

小林完吾は42歳の時に「NNNきょうの出来事」での「あ、さて~」がトレードマークになっていた

それでも、小林完吾さんは、1965年~1974年、「NNN日曜夕刊」の司会を務め、1974年には、深夜ニュース番組「NNNきょうの出来事」のメインキャスターに起用されると、

どんなニュースでも、冷静沈着な落ち着いた低音の声で、

あ、さて~

と言うスタイルが、地味ながらも徐々に幅広い支持を得たのでした。

小林完吾は50歳の時に「おもしろまじめ放送局」の「まじめ」に起用されブレイク

そんな小林完吾さんは、1983年2月、50歳の時には、日本テレビの開局30周年キャンペーン「おもしろまじめ放送局」の「まじめ」を象徴するキャンペーンキャラクターに起用されると、たちまち、ブレイクを果たしています。

(「おもしろ」の象徴は徳光和夫さん)

「おもしろまじめ放送局」
「おもしろまじめ放送局」より。徳光和夫さん(左)と小林完吾さん(右)。

小林完吾は51歳の時に「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に出演

また、1982年4月、51歳の時には、局アナでありながら、「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に、徳光和夫さんと共に出演しています。

「笑っていいとも!」
「笑っていいとも!」出演時の小林完吾さん(左)と徳光和夫さん(右)。

小林完吾が51歳~58歳の時には「NNN JUST NEWS」「NNN昼のニュース」ほかのメインキャスター

その後も、小林完吾さんは、

  • 1983年4月~1984年3月「NNN JUST NEWS」
  • 1988年4月~1990年3月「NNN昼のニュース」
  • 1988年4月~1992年3月「読売新聞ニュース」※交代制
  • 1988年4月~1994年3月「追跡」※影の声兼青島幸男さんの代役

で、メインキャスターを務めるほか、バラエティ番組「禁断!イモリ帝国」の司会進行も担当しています。

小林完吾

小林完吾は58歳の時に著書「優しさをありがとう」「愛、見つけた」を出版していた

また、小林完吾さんは、アナウンサーとして活動するかたわら、自身の体験をもとに、いじめや非行などに悩む子供や親を対象とした講演活動を始めるほか、ダウン症を持つ長男の誕生と死を経験したことで、福祉問題に関する講演活動も積極的に展開しており、

1990年には、長男への思いを綴った著書「優しさをありがとう」「愛、見つけた」を出版しています。

「優しさをありがとう」
「優しさをありがとう」

「愛、見つけた」
「愛、見つけた」

小林完吾は60歳の時にフリーに転身していた

そんな小林完吾さんは、1992年4月、60歳の時には、日本テレビを定年退職すると、その後、フリーに転身し、埼玉県入間市に個人事務所「オフィスこばやし」を立ち上げています。

小林完吾は62歳の時にテレビドラマ「静かなるドン」で主人公の父親(暴力団組長)役を演じていた

その後も、小林完吾さんは、引き続き、教育・福祉問題に関する講演活動、執筆活動を続けながら、1992年10月~1993年3月には、音楽番組「今夜も歌わナイト!」の司会を担当しているのですが、

1994年、62歳の時には、テレビドラマ「静かなるドン」第1話で、主人公・近藤静也(中山秀征さん)の父親で関東最大の暴力団「新鮮組」二代目組長近藤勇足役を演じています。(オープニングナレーションも担当しています)

「静かなるドン」
「静かなるドン」より。(第1話で殺されたため、第2話より遺影で登場しています)

ちなみに、小林完吾さんは、

僕はヤクザ映画が大好き。一度は親分役をやってみたかった。憧れのドンになれるならと思い切って挑戦した。修羅場を想像して、どう倒れようとか、凄絶な死に様を演じようとか、あれこれ考えていた。

こんなに簡単に終わってしまうとは、思いもよらなかった。もう少し生きていて芝居をしたかった。

(撮影後に)背中の入れ墨を落とさずに帰宅し家族に見せた。

(役に扮した遺影の写真は)記念にもらった。僕の本当の葬儀でも遺影に使うよ。

などと、語っています。

小林完吾は64歳と69歳の時に脳出血と脳卒中で倒れていた

小林完吾さんは、1996年10月、64歳の時には、伝通院(お寺)での講演中に脳出血で倒れているのですが、一命を取り止めています。

また、2001年4月、69歳の時には、今度は、脳卒中(脳梗塞)で倒れているのですが、懸命なリハビリで、病気と後遺症を克服すると、以降、「脳卒中を乗り越えて」と題し、自らの経験を元に、講演活動を各地で展開しています。

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小林完吾の現在(90代)は?

そんな小林完吾さんは、2024年現在で92歳なのですが、特に情報はないため、穏やかな老後を送られているのかもしれません。

「小林完吾アナは脳出血と脳卒中で2回倒れるもリハビリで後遺症を克服していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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