労働組合のストライキの決起集会で、結婚式のような司会をしたことがウケて、歌謡番組の司会に起用されたという、徳光和夫(とくみつ かずお)さんですが、今度は、プロレスの実況中継に回されたそうで、あくまで長嶋茂雄さんの実況中継をするのが目的でアナウンサーになっていたことから、ガックリきたといいます。

「徳光和夫が若い頃は労働組合活動に熱中していた!」からの続き

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常日頃から野球の実況中継の準備をするも・・・

長嶋茂雄さんの一挙手一投足を実況中継したい一心で、「日本テレビ」に入社していた徳光さんは、歌謡番組の司会に起用された後も、いつ野球中継の実況が回ってきてもいいようにと、準備は常日頃からしていたそうで、

休日には録音機をかついで、赤の他人の草野球をスコアをつけながら実況中継したり、(野球中継の大先輩である越智さんからの「目に映ったものを描写できるようになれ」とのアドバイスに従い)通勤電車で車窓を見ながら実況の練習をするなど、日々練習していたそうです。

(長嶋茂雄さんの一挙手一投足を実況中継できれば、アナウンサーを辞めてもいいとまで思っていたそうです)

プロレス中継に配属される

しかし、そんな思いもむなしく、入社2年目には、突然、プロレス中継に配属されることに。

ある日、部長から、日本テレビ社屋7階の喫茶店に呼び出されると、

プロレスの佐土(一正)さんから望まれているから、プロレスを担当しようか

と、言われたそうで、

その瞬間、徳光さんは、ガクッときて、黙ってうつむくことしかできなかったそうです。

実は、当時、プロレスの中継は、清水一郎アナと佐土一正アナの2人で担当していたそうですが、プロレス番組は毎週あったことから、2人のアナウンサーで回していくにはきつく、現場から誰かもう1人入れてほしいという声があったようで、ちょうど、研修中で入社2年目の徳光さんに、(徳光さんが知らないところで)白羽の矢が立ったのでした。

(徳光さんの同期のアナウンサーは3人いたそうですが、徳光さん以外は2人とも女性だったため、徳光さんがプロレスに回されたようです)

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八百長と騒がれ始めていたプロレスが嫌いだった

こうして、失意の中、プロレスの実況を担当することになった徳光さんですが、当初は、プロレスが嫌で嫌でたまらなかったそうです。

というのも、テレビ黎明期こそ、力道山が空手チョップをふるい、バッタバッタと外国人レスラーをなぎ倒していたことから、それなりに面白いと思えたそうですが、

徳光さんが日本テレビに入社した頃には、世間が徐々に、「プロレスは八百長ではないか」と騒ぎ始めた時期だったそうで、そんな世間の風評にも影響され、徳光さんもプロレスに偏見があったのだそうです。

(外国人レスラーが凶器を持って戦っている中、レフェリーが見て見ないふりをしているプロレスに、「あんなのは格闘技じゃない、あんなのはスポーツじゃない」という論調があったそうで、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の朝刊などでは、完全に試合結果を報じなくなっていたそうです)

「徳光和夫はプロレス実況に回されアナウンサーを辞めることも考えていた!」に続く

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