超難関の「日本テレビ」の入社試験に合格すると、研修期間中には、憧れの長嶋茂雄さんと初対面を果たすほか、念願の野球中継にサブアナとして携わるなど、幸先の良いスタートを切った、徳光和夫(とくみつ かずお)さんですが、最初に起用された仕事は野球の実況ではなく、歌謡番組の司会だったといいます。

「徳光和夫が若い頃は朝の通勤電車で実況中継の練習をしていた!」からの続き

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野球の実況中継ではなく歌番組の司会に起用される

入社から良い流れに乗っていた徳光さんは、このままトントン拍子で野球の実況中継を任されるかと思っていたそうですが、最初に起用されたのは、歌謡番組だったそうです。

というのも、徳光さんは、大学生の時、反体制思想を持つことが一つの正義だと思い、学生運動(60年安保闘争)に熱中していたそうですが(入社の時はバレなかったそうです)、

「日本テレビ」に入社すると、ちょうど、「日本テレビ」でも労働組合が出来たばかりで、組合活動がとても盛んだったことから、徳光さんも労働組合に入っていたのでした。

(安保闘争の影響を受けて育った徳光さんは、労働組合がある以上、労働組合に入るのは当然だろうと思っていたそうです)

労働組合の決起集会の司会をしたことで歌謡番組の司会に起用されるも・・・

こうして、徳光さんは、労働組合の活動に熱中するようになり、(当時は過激だったため)ストライキもやるようになると、ストライキの決起集会では、「おまえアナウンサーだから司会をやれ」と言われ、

えー、それではただいまより、ラジオ日本よりわざわざお越しいただきました!労組の委員長、柳沢さまにお言葉を頂戴したいと思います

と、まるで結婚式のような司会をし、

それを見ていた音楽班の人が、おもしろいと思い、「こよい酔わせて」という歌番組に起用してくれたのだそうですが・・・

(通常、ストライキの司会といえば、「ラジオ日本から柳沢委員長がおりてきてくれました!さあ柳沢委員長、ぜひお願いいたします!」と、組合員を扇動するような調子で紹介するところですが、徳光さんは、そういう言い方ができなかったのだそうです)

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後に労働組合に入るとアナウンサーは出世できないと知る

ただ、「日本テレビ」の男性アナウンサーで労働組合に入っていたのは3、4人しかおらず、しかも、野球や相撲など、王道スポーツの実況中継のアナウンサーはほとんど労働組合に入っていなかったそうで、

後に、アナウンサーは労働組合に入るものじゃないと言われ、その時初めて、徳光さんは、アナウンサーは労働組合に入ると王道の世界(野球や相撲の実況中継など)では出世できないと知ったのだそうです。

(アナウンサー仲間から仲間に入れてもらえない雰囲気になっていたそうですが、当時はその雰囲気を察知できず、労働組合に入ってしまったのだそうです(笑))

「徳光和夫は昔プロレス中継の実況が嫌でたまらなかった!」に続く

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