高校生の時には、落語家を目指し、柳家小さんさんに弟子入りを志願するべく、自宅まで訪ねて行ったことがあったという、徳光和夫(とくみつ かずお)さんですが、歌謡曲の司会にも大きな感銘を受け、ずっと脳裏の片隅にあったといいます。

「徳光和夫は少年時代に落語家・林家小さんに弟子入りしようとしていた!」からの続き

Sponsored Link

中学時代には歌謡ショーの司会にも感銘を受けていた

徳光さんは、中学生の時には、女優の桑野みゆきさんのファンだったことから、「西武渋谷松竹」(現在は西武渋谷店西武渋谷店)という映画館に、桑野さんの出演している映画を観に行ったことがあったそうですが、

当時は、映画と映画の間に「実演」という歌謡ショーがあり、そこで「春日八郎ショー」をやっていたそうで、

(当時、春日八郎さんは「お富さん」「別れの一本杉」などの大ヒットを飛ばしていたそうです)

徳光さんは、その時、初めて歌謡ショーを観たそうですが、

司会者の、

さあ、いよいよ、みなさま、お別れのときがやってまいりました。夜霧は白く、別れは青く、ランプは赤い終列車。われらがハッチャン、春日八郎、思い出のデビュー曲。昭和28年「赤いランプの終列車」でお別れです。

という口上に釘付けになり、

へえ、こんな仕事があるのか。

と、感銘を受けたそうで、

後に、徳光さんは、

思えば、あれは歌謡曲との強烈な原体験かもしれません。

と、語っています。

(流れるようなセリフが、国民的歌手の歌唱を盛り上げ、万雷の拍手と声援の中、春日さんが歌唱するのを聴いたそうですが、なぜか、春日さんの歌よりも、その名調子のほうが強烈に耳に残り、以来、ずっと脳裏の片隅にあったそうです)

「春日八郎ショー」の司会者・宮城けんじに当時のことを伝え喜ばれていた

そんな徳光さんは、後にアナウンサーになってから、その司会者が宮城けんじさんだと知り、そのことを宮城さんに伝えると、

宮城さんは、しゃがれた声で、

そうかい、うれしいねえ。でもあんたはアナウンサーさんだろ、今は

と、言い、喜んでくれたそうです。

(宮城さんは、春日八郎さんの専属司会者を約10年務めた後、漫才師に転身し、東けんじさんと漫才コンビ「Wけんじ」を結成し、「やんなっ!」というギャグで大ブレイクしたそうです)

Sponsored Link

鈴々舎馬風に門前払いされていた?

ちなみに、徳光さんは、高校の時には、噺家(はなしか)になりたいと思い、落語家・柳家小さんさんに弟子入りしようと自宅を訪れるも、玄関で水をまいていたお弟子さんに門前払いされたといいますが、

後にアナウンサーになった時、もしかして、あの時の柳家小さん師匠のお弟子さんは、鈴々舎馬風(れいれいしゃばふう)師匠かと思い、この時のことを本人に話したそうですが・・・

鈴々舎馬風さんには、

そんな子がいたかなあ、まあよく来るんだよ。そういうやつが。いやあ、徳光さんもその中の一人だったんでしょうけどね

と、言われたそうです(笑)

「徳光和夫は高校生の時に長嶋茂雄に全てを捧げる決意をしていた!」に続く

Sponsored Link