「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!」「たけし・逸見の平成教育委員会」などで司会を務め、人気を博すも、人気絶頂の1993年、胃ガンが判明し、壮絶な闘病の末に帰らぬ人となった、逸見政孝(いつみ まさたか)さん。

そんな逸見政孝さんは、プライベートでは、大学生だった晴恵さんと結婚しているのですが、晴恵さんも、2010年、61歳で他界されています。

今回は、そんな逸見政孝さんと妻・晴恵さんの馴れ初め、結婚に至るまでの経緯、結婚後、子供(息子と娘)などについてご紹介します。

逸見政孝と妻

「逸見政孝は日航機墜落事故(123便)を奇跡的に免れていた!」からの続き

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逸見政孝の妻・春恵との馴れ初めは?

逸見政孝さんは、1970年、25歳の時、大学生だった小林晴恵さんと結婚しています。

逸見政孝さんと晴恵さんは、1968年初秋、鎌倉の材木座海岸で、お母さんと2人でいた晴恵さんに、逸見政孝さんが声をかけたことで知り合い、その後、交際をスタートさせ、結婚に至ったそうです。

ちなみに、1968年は、逸見政孝さんがフジテレビに入社した年で、晴恵さんは、まだ、19歳(大学生)だったそうで、

2人をよく知る逸見家の知人は、

晴恵さんが学生のときに逸見さんとつきあいはじめて、彼女にとっては逸見さんが初恋でバージンを捧げた相手なんだそうです。“男の人は逸見さんしか知らないでいいのかしら”と冗談めかして言っていたこともありました。

“就職したこともなく、彼との生活しか知らないから長い結婚生活も我慢できた(笑い)”って。亡くなったあとも再婚を考えたことはないし、“毎晩いまでも話し相手は主人なのよ”と言っていました

と、語っています。

逸見政孝は結婚後は亭主関白だった

逸見政孝さんは、結婚後は、亭主関白で、「男が稼いで女は家を守れ」というタイプだったため、子育てには一切かかわらず、子育ては晴恵さんに任せっきりだったそうです。

また、晴恵さんが、「パートに出たい」と言っても、「俺より稼げるのか」と言って却下するほか、晴恵さんが家に友人を招いて食事を振る舞うことも、一切許さなかったといいます。

とはいえ、逸見政孝さんは、1992年10月に、東京世田谷区に豪邸を建てているのですが、東京都世田谷区は、晴恵さんが生まれ育った場所だったことから、晴恵さんにたくさん苦労をかけたことへの罪滅ぼしの意味があったようです。

(この豪邸を建てるために、逸見政孝さんはガムシャラに働いていたとも言われています)

逸見政孝の妻・晴恵は肺胞蛋白症により61歳で他界していた

しかし、新居が完成してわずか3ヶ月後の1993年1月に、逸見政孝さんに胃ガンが判明。

この年(1993年)の12月に逸見政孝さんが他界するまで、晴恵さんは、逸見政孝さんの闘病生活を献身的にサポートしていたそうですが、

逸見政孝さんの死から約半年後の1994年6月に受けた人間ドックでは、今度は、晴恵さん自身にも、初期の子宮ガンが判明していたといいます。

幸い、子宮ガンは初期の段階だったため、完治し、1年に1度の検査で済むようになったそうですが、それでも、体に異変を感じるたびに、ガン再発の恐怖と闘い続けていたそうです。

そして、2000年頃には、ついに血液細胞のガンの一種である骨髄異形成症候群を発症したそうで、約10年の闘病の末、2010年10月21日に、肺胞蛋白症(難病)により、埼玉県内の病院で、61歳で他界されたのでした。

ちなみに、逸見政孝さんが死去後、12億円の借金が家族に残ったそうで、晴恵さんが、預貯金や生命保険等ありとあらゆる現金をかき集め7億円返済するも、借金は残り5億円残ったそうで、ガンの治療を続けながら、講演会や本を出版することで、全額返済したのだそうです。

逸見政孝の息子(長男)はタレントで司会者の逸見太郎

逸見政孝さんは、妻・晴恵さんとの間に、男の子と女の子が誕生しているのですが、長男は、タレントで司会者の逸見太郎(いつみ たろう)さんです。

逸見太郎
逸見政孝さんの息子の逸見太郎さん。

逸見太郎さんは、1972年12月24日に誕生すると、15歳でイギリスに留学し、続いて、アメリカ・ボストンのエマーソン大学に留学し、エマーソン大学を卒業しています。

その後は、俳優、タレント、司会業などで活動し、2009年には、夕方の帯番組「5時に夢中!」、2011年には、「5時に夢中!」の姉妹番組である「5時に夢中!サタデー」の司会を務めているのですが、2012年には、どちらも卒業しています。

そんな逸見太郎さんによると、お父さんである逸見政孝さんは、家では冗談を言わず、寡黙(かもく)で厳格、笑ったところも見たことがないほど、「ザ・昭和の頑固オヤジ」だったそうで、

叱られることはなかったそうですが、かといって褒められたこともなく、学校の成績で1位になっても「まだ上がいる。もっと頑張れ」と言われたそうで、何を考えているのか分からない、怖いお父さんだったそうです。

ただ、そんな寡黙なお父さんも、手紙ではいつも饒舌(じょうぜつ)だったそうで、手紙の最後には必ず、

太郎のことを一番心配しているパパより

と書いてくれていたそうで、その言葉が嬉しかったそうです。

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逸見政孝の娘(長女)はタレントでリポーターの逸見愛

逸見政孝さんの娘(長女)は、タレントでリポーターの逸見愛(いつみ あい)さんです。

逸見愛

逸見愛さんは、1975年3月10日に誕生すると、1990年にはイギリスに留学し、Wadhurst collegeにおいて、ダンス、英語、音楽、バレエの歴史、美術を学んだそうで、帰国後は、女優、タレント、リポーターとして活動していましたが、現在は何をされているか不明です。

(現在、逸見太郎さんとその妻、息子、逸見愛さんは、逸見政孝さんが家族のために建て、晴恵さんが守り抜いた豪邸に一緒に住んでいるそうです)

「逸見政孝の豪邸の借金は妻が闘病(ガン)しながら返済していた!」に続く

逸見政孝の家族

お読みいただきありがとうございました

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