1993年12月25日、スキルス胃ガンにより、48歳という若さで他界した、逸見政孝(いつみ まさたか)さんですが、1992年秋に豪邸を新築したばかりだったため、家族には多額の住宅ローンが重くのしかかったそうで、

そんな中、逸見政孝さんの妻・晴恵さんは、売却するのではなくローンを返済する選択をし、闘病(ガン)をしながら仕事をこなし、ローンを返済し続けたといいます。

今回は、主に逸見政孝さんの妻・晴恵さんの視点から、なぜ自宅を売却せずにローンを返済する道を選んだのか、どのように返済したのか、完済に至るまでの経緯についてご紹介します。

逸見政孝と家族

「逸見政孝の妻との馴れ初めは?息子は逸見太郎!娘は逸見愛!」からの続き

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逸見政孝は豪邸のローンを13億円残して死去していた

逸見政孝さんは、1992年10月、東京・世田谷に、敷地131坪、レンガ造りの3階建て7LDK、総工費13億円もの豪邸を建設しているのですが、翌年の1993年12月には他界したため、新築したばかりの自宅ローン12億7000万円という途方もない借金が家族に残ってしまったといいます。

(新築が完成してわずか3ヶ月後に逸見政孝さんの胃ガンが発覚しています)

そんな中、逸見政孝さんの妻・晴恵さんは、生命保険や預貯金をかき集め、なんとか7億円は集めることができたそうですが、それでも、差し引き5億円の借金が残ったそうです。

そのため、晴恵さんは、悲しみに浸る間もなく、なんとか、金利だけでも返そうと、逸見政孝さんの車など、売れるものは全部売り、逸見政孝さんの関連本を執筆したり、ガン闘病の講演活動を始めたそうで、

その後は、依頼があれば、全国どこへでも講演に向かい、年間100本こなした年もあったそうです。

(長男の逸見太郎さんに「(講演に)ついていこうか」と言われても「交通費が余計にかかるから」と言って断っていたそうです)

また、当時、学生だった長男の逸見太郎さん(21歳)と長女の愛さん(18歳)も、芸能界に入り、家計を支えたのだそうです。

逸見政孝の妻・晴恵は家を売ったほうがいいと言う子供たちの提案を頑として受け入れなかった

ちなみに、太郎さんと愛さんは、家族会議の際、

家は売ったほうがいいんじゃないか

と、提案したそうですが、

晴恵さんは、

そんな勝手なことを言うのなら、この家を出ていってちょうだい!

と、頑として受け入れなかったそうで、

太郎さんは、後に、そんなお母さんのことを、

カーテンや家具や家の中のものは父と2人で選んだものだし、愛する人との思い出が詰まっているこの家をなくしたくなかったのでしょう。父の成功の証でもある家を女のプライドにかけて守るという、ある種の凄みを感じました。

と、語っています。

また、

金を抱えていると言っても、家を売ってしまえばどうせ裕福なのに

と、晴恵さんに冷たい視線を浴びせる人たちもいたそうですが、

晴恵さんは、自著「二十三年目の別れ道」で、

世間では家を売れば、生活に困ることもないだろうに、と取り沙汰されていますが、私はちょっと違う。あなたが、ここまで築いてきた仕事。その名声、そしてみなさんの記憶。あなたを親しんで、思い返していただける、よりどころになるものが欲しいのです。家があれば、なにか心棒ができるような気がして

と、綴っています。

逸見政孝の妻・晴恵はガンが判明するも闘病しながら5億円の借金を返し続けていた

しかし、夫・逸見政孝さんの死から半年経った1994年6月、晴恵さんは、日帰りの人間ドッグを受けた際、子宮頸ガンが判明します。

幸い、子宮頸ガンは、初期の発見で「ステージ0」で完治し、1年に1度の検査で済むようになったそうですが、2000年頃には、血液細胞のガンの一種である骨髄異形成症候群という難病を発症。

それでも、晴恵さんは闘病のかたわら、講演会やエッセイの執筆を続け、5億円の借金を必死に返し続けたのだそうです。

(晴恵さんは、子どもたちにのみ病状を話し、同情は買いたくないとの思いから、他人にはいっさい病状について話さず、元気になってから伝えようと決めていたそうです)

逸見政孝の妻・晴恵は自身の死去による生命保険で5億円の借金を完済していた

そんな中、2010年6月には、ついに、晴恵さんは体調を崩して入院。

それでも、事あるごとに、

まだ全然返し切れてないのよ。でもなんと言われてもね、私は絶対最後まで借金を返すから

と、語っていたそうですが・・・

同年10月21日、肺胞蛋白症により、61歳で他界されたのでした。

そして、その時の生命保険で残り5億円の借金も完済することができたのだそうです。

ちなみに、長男の太郎さんは、

「晴恵さんはあの家に殺されたのよ」

はっきりと言葉にする母の親しい友人もいました。家のローンを払うために、かなり無理をしていましたから。夜中に、真剣な顔をして通帳を見入っていた母の姿が印象に残っています。

と、母・晴恵さんの壮絶な日々を語っています。

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逸見政孝が残した豪邸の現在は?

こうして、逸見政孝さんが建て、妻・晴恵さんが必死で守り抜いた豪邸ですが、2023年現在は、二世帯住宅に改装し、長男の逸見太郎さんと妻、息子、そして、長女の愛さんが共に暮らしているそうです。

ただ、某芸能事務所関係者は、

広いので節約しても光熱費だけで月に10万円以上。固定資産税は年間で400万円以上かかるようで、建築から25年以上が経過し、今後は大規模な修繕費なども増えてくると思います。

太郎さんもフリーとはいえ、現在のレギュラーは地方番組1本だけ。いよいよ維持が難しくなって、等価交換で部分的に土地の売却を本気で考えているようです

と、語っており、

太郎さんも、

二世帯住宅に改装して、僕と妻と息子、そして妹が暮らしています。建物を壊そうと思っても頑丈すぎて簡単には壊せないんですよ。固定資産税だけでも大変です。

さすがに、息子に渡す頃には、もう売ってもいいでしょと思っていますけど。父は家を建てて亡くなり、母はその借金を完済して亡くなった。2人とも悔しかったんじゃないでしょうか。

と、語っています。

また、太郎さんは、

息子に会わせたかったですね。僕は若い頃に両親を亡くしましたけど、やっぱり親は元気でないと。母は「死んだら終わり」とよく言っていましたがその通りで、たとえお金がなくても、息子のために健康でいないと。生きていれば、楽しいことはいっぱいありますから。

仕事人間だった父とは、僕はキャッチボールをした記憶すらないんです。父との時間をシェアした思い出がない。芸能人としての父は凄かったと思いますが、僕はそれよりも家族との絆を大切にしたいと思っています。

とも、語っています。

お読みいただきありがとうございました

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