1971年、谷村新司さん、矢沢透さんと共にフォークグループ「アリス」を結成し、1972年、「走っておいで恋人よ」でデビューすると、

以降、「冬の稲妻」「チャンピオン」など、ヒット曲を連発するかたわら、ソロとしても活躍し、「君のひとみは10000ボルト」「愛しき日々」などをヒットさせた、堀内孝雄(ほりうち たかお)さん。

そんな堀内孝雄さんは、幼い頃、大衆食堂「大和屋」を営む両親のもと、お店のラジオから流れる歌謡曲を聴きながら育ったそうで、中学生の時、初めて「ビートルズ」の曲を聴いて衝撃を受けると、高校時代には、軽音楽部に入部し、部員で結成したバンドでヴォーカルを担当したといいます。

そして、大学時代には、アマチュアバンド「ピースメーカーズ」を結成したり、神戸にあるアマチュアバンドのサークル「ポートジュビリー」に参加するなど、精力的に音楽活動に励んだそうですが、そんな中、谷村新司さんに誘われたのだそうです。

今回は、堀内孝雄さんの、幼少期(生い立ち)から「アリス」結成までをご紹介します。

堀内孝雄

Sponsored Link

堀内孝雄のプロフィール

堀内孝雄さんは、1949月10月27日生まれ、
大阪府大阪市阿倍野区の出身、

血液型はO型、

学歴は、
大阪市立丸山小学校
⇒大阪市立松虫中学校
⇒桃山学院高等学校
⇒京都産業大学中退

趣味は、テレビゲーム、アウトドア、ゴルフ、スキューバダイビング、

ちなみに、「堀内孝雄」は本名で、愛称は「ベーヤン」なのですが、「堀部安兵衛」という江戸時代の武士と名字が似ているということで学生時代に名付けられたのだそうです。

堀内孝雄が幼い頃は両親が営む大衆食堂「大和屋」のラジオから流れてくる歌謡曲を聴きながら育っていた

堀内孝雄さんは、大阪・阿倍野区で大衆食堂「大和屋」を営む両親のもと、3人きょうだい(姉と兄)の末っ子として誕生すると、

幼い頃は、両親が営むお店の棚に置かれたラジオから流れてくる歌謡曲を聴きながら育ったそうで、特に、三橋美智也さんの「哀愁列車」が好きだったそうです。

そして、堀内孝雄さんが、覚えた歌謡曲をおばあちゃんに歌って聴かせると、

おばあちゃんは、

孝雄は声がきれいだし、歌が上手だから、将来歌手になれたらいいね

と、言ってくれたといいます。

堀内孝雄は中学生時代に「ビートルズ」の曲を初めて聴き衝撃を受けていた

また、堀内孝雄さんは、中学生の時には、洋楽好きな5歳年上のお姉さんの部屋のラジオから「ビートルズ」の曲が流れてきて、これまで聴いたことのない音楽に、身体に電気が走るほどの衝撃を受けたそうで、

お兄さんが「ビートルズ」のレコードを友達から借りて来てくれると、堀内孝雄さんは、すっかり「ビートルズ」に夢中になり、よく聴くようになったそうです。

(レコード盤に針を下ろす瞬間のトキメキは恋心に似ていたそうです)

そんな中、お姉さんがギターを買ってくれたそうで、堀内孝雄さんは、独学でギターの練習に明け暮れる毎日を送ったそうです。

堀内孝雄の高校時代は軽音楽部に入部しヴォーカルを担当していた

そんな堀内孝雄さんは、高校時代には、軽音楽部に入部し、部員で結成したバンドでヴォーカルを担当したそうですが、

この頃、日本中で、エレキブームが巻き起こり、グループ・サウンズが大流行したそうです。

堀内孝雄
高校時代の堀内孝雄さん。

堀内孝雄の大学時代はアマチュアバンド「ピースメーカーズ」を結成していた

堀内孝雄さんは、高校卒業後は、大学に進学すると、アマチュアバンド「ピースメーカーズ」を結成したそうで、

コンテストに数回出場するほか、神戸にあるアマチュアバンドのサークル「ポートジュビリー」に参加するなど、精力的に音楽活動に励んだそうです。

堀内孝雄は大学4年生の時に谷村新司からプロへの誘いを受けていた

そんな中、堀内孝雄さんは、このアマチュアバンドのサークル「ポートジュビリー」の1年先輩だった、「ロックキャンディーズ」のリーダー・谷村新司さんと知り合ったそうですが、

1971年秋、(22歳の誕生日目前の)大学4年生の時には、谷村新司さんからプロへの誘いを受けたのだそうです。

Sponsored Link

堀内孝雄は大学4年生の時に谷村新司、矢沢透と共に「アリス」を結成

これに対し、堀内孝雄さんは、プロとしてやっていけるか戸惑いがあったそうですが、とにかく歌うことが大好きだったことから、好きなことで生活していけるのだったら、との思いで、プロになる決意をしたそうで、

1971年12月25日、堀内孝雄さんと谷村新司さんは、大阪市南区南炭屋町(現・中央区西心斎橋二丁目)にあるビジネスホテル・大阪帝国ホテルの一室で、「アリス」を結成したのだそうです。

そして、1972年3月5日、ファーストシングル「走っておいで恋人よ」でデビューすると、同年5月5日に開催された奈良市民会館での公演から、(かねてから谷村新司さんが誘っていた)ドラムの矢沢透さんが正式に合流し、3人で「アリス」となったのでした。

その後、「アリス」は長きに渡り、下積み時代を送っていたのですが、1977年10月5日にリリースした「冬の稲妻」が大ヒットを記録すると、以降、「涙の誓い」(1978年3月5日発売)、「ジョニーの子守唄」(1978年6月20日発売)、「チャンピオン」(1978年12月5日発売)、「秋止符」(1979年12月20日)、「狂った果実」(1980年7月5日)などヒット曲を連発したのでした。

「【画像】堀内孝雄の若い頃はアリス!「愛しき日々」「恋唄綴り」ほかヒット曲を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link