1968年、「天使の誘惑」が大ヒットを記録し、「日本レコード大賞」を受賞すると、以降、紅白歌合戦に4回出場するなど、人気歌手となった、黛ジュン(まゆずみ じゅん)さんですが、プライベートでは、結婚と離婚を2回、婚約と婚約破棄を2回しています。
今回は、黛ジュンさんの、元夫、再婚相手、元婚約者2人について、時系列でご紹介します。
また、黛ジュンさんに子供がいるかどうかについても調べてみました。
「黛ジュンの生い立ちは?幼少期から流しの歌手として家計を助けていた!」からの続き
黛ジュンの元夫(最初の夫)はベーシストの江藤勲
黛ジュンさんは、1970年、21歳の時、元「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のベーシストの江藤勲さんと結婚しています。
黛ジュンさんが江藤勲さんに一目惚れし、黛ジュンさんからアプローチして交際に発展したそうで、交際1年で結婚に至ると、結婚後、黛ジュンさんは芸能界を引退しています。
ただ、江藤勲さんのDV(家庭内暴力)などが原因で、結婚生活は長くは続かず、1973年、わずか2年で離婚しています。
黛ジュンはタイ人歌手と婚約破棄していた
その後、黛ジュンさんは、芸能界に復帰すると、1977年、29歳の時には、タイ人の歌手と婚約するのですが・・・
300万円を貸した後に、妻子がいることが判明し、破局したといいます。
黛ジュンは大物政治家の愛人だった
そんな黛ジュンさんは、1984年、36歳の時には、ある大物政治家X氏の愛人だったといいます。
黛ジュンさんは、1984年、X氏が主催するパーティーでコンサートを行ったことがきっかけで、X氏と知り合うと、その際、某ホテルにあったX氏の事務所に呼ばれ、目の前に、10個以上の高級指輪を差し出され、
好きなだけ持っていきなさい
と、言われたそうで、
実は、愛人契約という条件付きだったそうですが、黛ジュンさんは迷いつつも、宝石の誘惑に負け、パールとダイヤの2つの指輪(値段は鑑定書付きで1000万円だったそうです)を選んで、愛人契約を交わしたのだそうです。
(当時、X氏には妻以外に愛人が複数いたそうで、黛ジュンさんは3人目だったそうです)
その後、黛ジュンさんは、ファーストクラスで行くX氏の世界1周旅行に同伴し、ヨーロッパ最高級ホテルのスイートルームに宿泊するほか、超一流ブランドをプレゼントされたり、パーティーではグレース・ケリー(モナコ公国の公妃)と面会したこともあったそうですが・・・
ある日のこと、黛ジュンさんが、パリでディナーの前にメイクをしていると、X氏が「本当にきれいだね」と言いながら鏡をのぞいてきたそうですが、その目が急にいやらしく感じ、ゾッとして我に返ったそうで、
世界1周旅行の途中、パリから一人帰国し、そのまま破局したのだそうです。
ちなみに、X氏はそのまま1人で旅行を続けていたそうで、
X氏からは、
君がいなくなってとても寂しい。夕べは現地の女性と遊びました
と、書かれた絵葉書が届いたといいます。
黛ジュンの再婚相手(2番目の夫)はドラマーの石田秀雄
その後、黛ジュンさんは、6歳年下でドラマーの石田秀雄さんと、8年の同棲生活を経て、1990年10月、42歳の時に再婚しているのですが、1994年2月3日には、またしても離婚しています。
ちなみに、離婚理由は、収入の格差だったそうで、黛ジュンさんの収入が石田秀雄さんの10倍と、圧倒的に多かったそうで、それにストレスを感じた石田秀雄さんから離婚を切り出されたのだそうです。
黛ジュンは作曲家・里村龍一と婚約するもイタコのアドバイスで破談していた
さらに、黛ジュンさんは、2001年、53歳の時には、15年来の友人で、1歳年下の作曲家・里村龍一さんと婚約したそうですが、
婚約発表後、里村龍一さんが、知り合いのイタコに相談したところ、
二人の相性が最悪。5年後には歌を辞めるように
と、告げられたことから、
里村龍一さんから別れを切り出される形で、わずか2ヶ月で婚約破棄したのだそうです。
その後、黛ジュンさんは、3度目となる結婚はしておらず、2025年現在、独身です。
黛ジュンに子供はいない
そんな黛ジュンさんには、子供はいません。
黛ジュンさんは、子供を持たなかった理由について明かしていませんが、それほど、歌手一筋だったのかもしれません。
「黛ジュンの兄は三木たかし(作曲家)!幼少期から仲良く兄妹で流しの歌手をしていた!」に続く
「恋のハレルヤ」「天使の誘惑」「夕月」など、ミニスカート姿に、独特のパンチの効いた歌声で一斉を風靡した、黛ジュン(まゆずみ じゅん)さんですが、 そんな黛ジュンさんの3歳年上のお兄さんは、作曲家の三木たかしさんです。 黛 …