8歳の時に歌手活動を始めて以来、「天使の誘惑」「夕月」など数々のヒット曲を飛ばしつつ、長きに渡り、歌い続けてきた、黛ジュン(まゆずみ じゅん)さんですが、
2006年頃、原因不明の喉の病気に悩まされて、思うように歌が歌えなくなり、一時は引退を考えるほどだったといいます。
今回は、黛ジュンさんの、原因不明の喉の病気、引退を考えるようになった経緯、その後についてご紹介します。
「黛ジュンの兄は三木たかし(作曲家)!幼少期から仲良く兄妹で流しの歌手をしていた!」からの続き
黛ジュンは「喉のアレルギー」と診断されるも原因が分からなかった
黛ジュンさんは、2006年頃、慢性的に声帯に痰(たん)がこびりつくようになり、声を出すのが辛くなったそうで、
耳鼻咽喉科を受診すると、「喉のアレルギー」と診断されたそうですが、原因が分からず、治療が進まなかったそうです。
(黛ジュンさんは、お酒もタバコもやらないそうです)
黛ジュンは原因不明の喉の不調により思うように歌えなくなり引退を考えていた
そのため、黛ジュンさんは、痰(たん)を切る漢方薬を飲んでいたそうですが、
2011年頃には、数曲歌うのは問題ないものの、ステージで10曲近く歌うのは難しい状況となったそうで、
歌手として思うように歌えないのがもう耐えられない
と、引退を考えるようになり、
2011年1月、スポニチの取材に対し、
できれば歌い続けたいけれど、今のままでは難しい。マイクを置くしかない
と、歌手活動の休止を示唆するコメントを表明しています。
黛ジュンは身内を相次いで亡くしていたほか、先輩歌手とのトラブルでストレスを抱えていた
実は、黛ジュンさんは、2003年にお母さんを、2005年に長兄を、2009年には次兄で作曲家の三木たかしさんを次々と亡くしていたほか、唯一の身内である妹も米国在住だったそうで、
身寄りが近くにいない寂しさから、病気に立ち向かう気力を失っていたといいます。
また、前年の2010年には、尊敬する先輩歌手とトラブルになり、ストレスから症状が悪化したそうで、
某関係者は、
全面的に黛に問題があったが、かなり厳しい言い方をされたらしい。ストレスからびらん性の胃炎になったほどで、連日泣いてばかりで落ち込んでいた
と、明かしています。
それでも、2011年1月、スポニチの取材を受けた時には、体のだるさは無くなり、食欲も回復していたそうですが、
黛ジュンさんは、
心がボロボロのまま。53年の歌手生活で今が一番苦しい。昨年暮れは、歌えないイラ立ちからレコード大賞も紅白歌合戦も見ることができなかった。このまま休養するしかないと今は思っています
と、語っており、
精神的なストレスからは、まだ立ち直れていないことを明かしています。
黛ジュンは喉の治療が順調に進み復帰コンサートを開催していた
ただ、黛ジュンさんは、同年(2011年)2月には、長山洋子さんに提供した「博多山笠女節」で作曲家デビューすると、
その後、喉のアレルギーの原因も判明し、治療を続けた結果、歌を歌えるようになったそうで、2011年5月27日には、都内で復帰コンサートを開き、デビュー曲「恋のハレルヤ」など15曲を歌唱しています。
(ただ、アレルギーの原因については明かしていません)
黛ジュンは喉の病気がほぼ完治し本格的に歌手活動に復帰していた
そして、2012年に入ると、喉の不調はほぼ完治し、2月21日には、NHK「歌謡コンサート」に3年ぶりに生出演するなど、本格的に歌手活動に復帰すると、
今年でデビュー45周年。デビュー時はまさか60歳を過ぎて歌っているとは夢にも思いませんでした。初心に帰って頑張りたい
と、意欲を語っています。
ちなみに、黛ジュンさんは、容姿や歌声を保つため、毎日、約1時間、呼吸筋や体幹のトレーニングなどを自宅で行っているといいます。
1967年、「恋のハレルヤ」でレコードデビューすると、ミニスカート姿にパンチの効いた歌声でたちまち注目を集め、その後も、「天使の誘惑」「夕月」と、次々ヒットを飛ばした、黛ジュン(まゆずみ じゅん)さん。 そんな黛ジュンさ …