「恋のハレルヤ」「天使の誘惑」「夕月」など、ミニスカート姿に、独特のパンチの効いた歌声で一斉を風靡した、黛ジュン(まゆずみ じゅん)さんですが、

そんな黛ジュンさんの3歳年上のお兄さんは、作曲家の三木たかしさんです。

黛ジュンさんは、三木たかしさんとは、4人兄妹の中で一番仲が良く、幼少期は、2人で飲み屋で流しの歌手をして、苦しい家計を支えていたといいます。

今回は、黛ジュンさんと兄・三木たかしさんの幼少期からのエピソードについて、ご紹介します。

黛ジュンと三木たかし

「黛ジュンの元夫は?再婚相手は?大物政治家の愛人だった!子供は?」からの続き

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黛ジュンと兄・三木たかしは幼い頃は4人兄妹の中で一番仲が良かった

黛ジュンさんは幼い頃、お父さんが事業に失敗して多額の借金を背負ったそうで、

借金取りが来る度に、兄の三木たかしさんと押入れにこもり、紙で書いた鍵盤を弾いて遊んでいたそうです。

(黛ジュンさんは、4人兄妹の中で、三木たかしさんと一番仲が良かったそうです)

黛ジュンと兄・三木たかしは幼い頃には家計を支えるために飲み屋で流しをしていた

また、黛ジュンさんは、家計を助けるため、8歳から歌手活動を始めていたそうですが、

三木たかしさんと飲み屋で流しの歌手をしたこともあったそうで、

黛ジュンさんが9歳の時には、三木たかしさんに、初めて、「兄妹すずめ」という演歌を作曲してもらったそうです。

(三木たかしさんは、独学でギターと作曲を始め、美空ひばりさんに提供した「さくらの唄」は10代の時に作曲したといいます)

黛ジュンと兄・三木たかしは同時期にデビューしていた

その後、黛ジュンさんは、1964年に歌手デビューするも鳴かず飛ばずだったそうで、1967年には「石原プロモーション」に移籍し、「恋のハレルヤ」で再デビューしているのですが、

一方、三木たかしさんも、1967年には、泉アキさんに「恋はハートで/燃える年頃」(1967年10月リリース)を提供し、作曲家デビューしています。

黛ジュンの「ブラック・ルーム」は兄・三木たかしによる作曲・編曲・コーラスだった

その後、黛ジュンさんは、「石原プロモーション」に移籍後、4枚目となるシングル「天使の誘惑」(1968年5月1日)が大ヒットを記録をしているのですが、

このカップリング曲「ブラック・ルーム」は、三木たかしさんが、「渡辺たかし」名義で、作曲、編曲、コーラスを担当しています。

(「ブラック・ルーム」の作曲者は鈴木邦彦さんの名前でクレジットされているのですが、黛ジュンさんによると、正式には、三木たかしさんによる作曲なのだそうです)

黛ジュンの大ヒットシングル「夕月」は兄・三木たかしが作曲していた

そして、1968年には、三木たかしさんが、黛ジュンさんのために書いた「夕月」が66万枚を売り上げる大ヒットを記録し、三木たかしさんも一気に名声を高めているのですが、

黛ジュンさん最大のヒット曲で、三木たかしさんの出世作となった、この「夕月」は、黛ジュンさんにとって特別な1曲となったそうで、

黛ジュンさんは、

家族の中で兄妹2人が一緒に世の中に出られた作品。母もうれしかったはずです

と、語っています。

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黛ジュンは兄・三木たかしが他界後しばらくはマイクを持つことができかった

しかし、三木たかしさんは、2009年5月11日、下咽頭(いんとう)ガンにより、64歳で他界されています。

黛ジュンさんは、滞在先の沖縄から、三木たかしさんが入院していた岡山の病院に駆けつけたそうですが、

臨終には間に合わず、三木たかしさんはすでに息を引き取っていたそうで、ただただ、三木たかしさんの側で泣き続けたそうです。

そして、黛ジュンさんは、苦楽を共にしたお兄さんが亡くなったことで、悲しみのあまり、しばらく、マイクを持つことができかったそうで、

マスコミへも、

兄のギターで歌っていた幼い日々や、初めて兄の作品を吹き込みした時のことが、次々と甦ってきて今は言葉にできません。申し訳ありません

と、FAXでコメントするのが精一杯という状況だったといいます。

また、5月19日に執り行われた通夜の席では、親族代表として、

今年3月初めに余命の告知を受け覚悟はしていましたが、あまりにも突然でまだ受け止めることが出来ません

『歌に関して僕が厳しく指導したのは、(石川)さゆりとジュンだけだよ』と言われた。私は兄に褒められたくて一生懸命歌ってきた。これから先どうやって歌っていいのやら、考えられません

ありがとう。そして私はこれからどうしたらいいのか教えてちょうだい

と、終始、悲痛な表情を浮かべ、あふれる涙を抑えきれない様子だったそうで、

黛ジュンさんのお兄さんに対する、深い思いが分かります。

(同年1月13日、「NHK歌謡コンサート」で、30年ぶりの兄妹共演を果たしてから、わずか4か月後の悲報だったそうです)

「黛ジュンの病気は?原因不明の喉の不調で引退を考えていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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