1969年、「目ン無い千鳥」でレコードデビューすると、以降、師匠の古賀政男さんの曲を地道に歌い続け、1982年8月1日に発売された、「さざんかの宿」が累計180万枚を売り上げる大ヒットを記録した、大川栄策(おおかわ えいさく)さん。
そんな大川栄策さんは、中学時代に村田英雄さんに憧れ、歌手を目指すと、高校1年生の時には、同郷の作曲家・古賀政男さんのもとで歌のテストを受ける機会に恵まれ、結果、好意的な返事をもらったそうですが、弟子入りは叶わず、
高校卒業と同時に単身上京し、何度も弟子入りを志願した末、ついに、古賀政男さんの弟子となったそうで、1969年には、「目ン無い千鳥」で念願のレコードデビューを果たすと、1982年には、「さざんかの宿」が大ヒットを記録しています。
今回は、大川栄策さんの、幼少期(生い立ち)から「さざんかの宿」大ヒットまでを時系列でご紹介します。
大川栄策のプロフィール
大川栄策さんは、1948年10月30日生まれ、
福岡県大川市の出身、
血液型はA型、
学歴は、
大川小学校
⇒大川中学校
⇒佐賀県立佐賀商業高等学校卒業
趣味は、将棋、大相撲観戦、日舞(西川流)、ゴルフ、
特技は、タンス担ぎ、
ちなみに、本名は「荒巻逸造(あらまき いつぞう」というそうですが、芸名の由来は、師匠の古賀政男さんにより、出身地の「大川」を栄えさせる対「策」から名付けられたそうです。
また、作曲時は「筑紫竜平」名義を使用しています。
大川栄策が幼い頃は家具職人の父親に憧れていた
大川栄策さんは、家具製造を手広く営むお父さんのもと、3人きょうだいの末っ子として誕生すると、
幼い頃は、職人気質の男性に囲まれ、男らしさを尊ぶような環境の中で育ったそうで、家具職人の叩き上げのお父さんの姿に憧れていたそうです。
大川栄策が中学高校時代は空手の練習に明け暮れていた
そんな大川栄策さんは、パワーあふれる強い男になりたいと、一番硬派だと思った空手を習い始めたそうで、
中学、高校時代は空手の練習に明け暮れる毎日を送り、町道場の仲間と九州大会に出場し、団体戦で優勝したこともあったそうです。
大川栄策は中学時代に村田英雄に憧れ歌手を目指すようになっていた
その一方で、大川栄策さんは、中学時代には、ラジオから流れてくる歌謡曲、特に村田英雄さんの歌をよく聴いていたそうで、
やがて、歌手に憧れるようになると、高校1年生の時、同郷ということや、お父さんの友人の力添えなどもあり、作曲家の古賀政男さんのもとで歌のテストを受ける機会を得たそうです。
すると、古賀政男さんは、大川栄策さんの歌に興味を持ち、「弟子入り」という好意的な言葉をかけてくれたそうですが、その夢は実現しなかったそうです。
というのも、当時、古賀政男さんは、「柔」や「東京五輪音頭」などのミリオンセラーを連発していた時期で、とても忙しかったほか、
大川栄策さんが、九州に戻り、弟子入りの話をした際、周囲の人々にその話を信じてもらえず、相手にされなかった(つまり、弟子入りの話が現実的に受け入れられなかった)ことから、夢は叶わなかったのだそうです。
大川栄策は高校卒業後に上京して古賀政男に弟子入り志願するも断られ続けていた
それでも、諦めきれない大川栄策さんは、高校卒業と同時に再び弟子入りを志願しようと、単身上京し、古賀政男さんの門を叩いたそうですが・・・
会うことすら叶わず、断られる毎日だったそうです。
しかし、それから、数カ月後には、大川栄策さんの熱意が通じ、ようやく入門を許されたそうで、内弟子として、庭掃除から運転手、一番大事な歌への姿勢や人との接し方を徹底的に教え込まれたのだそうです。
大川栄策は「目ン無い千鳥」でデビューすると「さざんかの宿」が大ヒット
そして、1969年4月10日、「目ン無い千鳥」で、念願のレコードデビューを果たしたのでした。
ちなみに、この「目ン無い千鳥」は、もともと、1940年に霧島昇さんと松原操さんのコンビで歌われたリバイバル作品で、兄弟子のアントニオ古賀さんのB面として発売されたそうですが、
大川栄策さんの歌がテレビから流れると、テレビ局やレコード会社に問い合わせが殺到したそうで、以降、2年半に渡るロングヒットとなったのでした。
その後、大川栄策さんは、地道に古賀メロディを歌い続け、地味ながらも、着実にファン層を広げていきつつ、キャリアを積んでいくと、
1982年8月1日に(大川栄策さん34歳の時)発売されたシングル「さざんかの宿」は、6ヶ月で100万枚を突破、累計180万枚を売り上げる大ヒットを記録し、一躍、「大川栄策」の名前を日本中に轟かせたのでした。
「大川栄策の妻は?子供は?娘はいきものがかりの吉岡聖恵?」に続く
古賀政男さんに弟子入りし、1969年「目ン無い千鳥」でデビューすると、1982年に発売した「さざんかの宿」が180万枚を売り上げる大ヒットを記録し、さらに、2005年に発売した「駅」が25万枚のヒットとなった、大川栄策( …