1969年、21歳の時、「目ン無い千鳥」でレコードデビューすると、いきなりヒットし、その後は、長年ヒットが出ない状態が続くも、1982年、シングル「さざんかの宿」が累計売上180万枚の大ヒットとなった、大川栄策(おおかわ えいさく)さん。
そんな大川栄策さんは、その後も、「恋吹雪」「再会」「稲妻」「風港」「名残りの桜」「二人の旅路」などがヒットしています。
今回は、大川栄策さんの若い頃(レコードデビュー)から現在までのヒット曲(シングル)や経歴を時系列でご紹介します。
「大川栄策の生い立ちは?中学時代に歌手を目指し高卒後に古賀政男に弟子入りしていた!」からの続き
大川栄策は21歳の時、デビュー曲「目ン無い千鳥」がいきなりヒットを記録
大川栄策さんは、高校を卒業すると同時に上京し、作曲家・古賀政男さんに弟子入りすると、1969年4月10日、「目ン無い千鳥」で、念願のレコードデビューを果たしているのですが、いきなり、ヒットを記録しています。
実は、この、「目ン無い千鳥」は、1940年に霧島昇さんと松原操さん(ミス・コロンビア)のコンビで歌われたリバイバル作品で、作曲家で師匠の古賀政男さんが、この曲の出来に気を良くし、A面で大川栄策さんを売り出そうとしたところ、
レコード会社は、無名の大川栄策さんをA面にしても売れないだろうと判断し、アントニオ古賀さんのレコードのB面に入れてリリースしたそうですが、
たちまち、B面の大川栄策さんの歌が注目を集め、以降、2年半に渡るロングヒットとなったのだそうです。
(レコードではB面だったものの、1940年5月に公開された映画「新妻鏡」内の挿入歌として効果的に使われたため、主題歌だったA面「新妻鏡」よりもヒットしたそうで、その後、1965年に島倉千代子さんもカバーしてシングルを発売しています)
大川栄策は33歳の時に「さざんかの宿」が13年ぶりの大ヒットを記録
ただ、その後は、十数年もの間、毎年複数枚のシングルをリリースし続けるも、売上はパッとしない状態が続いたのですが、地道に古賀メロディを歌い続け、地味ながらも確実にファン層を広げて実力をつけていくと、
1982年8月1日、33歳の時にリリースしたシングル「さざんかの宿」が累計180万枚を売り上げる大ヒットを記録し、1983年には、「第25回日本レコード大賞」でロングセラー賞を受賞するほか、1983年大晦日の「第34回NHK紅白歌合戦」に紅白初出場を果たしたのでした。
「さざんかの宿」
ちなみに、この「さざんかの宿」は、大川栄策さんが、作詞家である吉岡治さんが手がけた都はるみさんの曲に感動し、直接、吉岡治さんにお願いして出来上がった曲だったそうですが、当時としては珍しい不倫がテーマの曲で、
大川栄策さんは、
「『さざんかの宿』がリリースされたのは、1982年の夏、33歳の時でした。歌謡界は華やかな若者の曲が全盛期で、演歌はほとんど下火…。そんな時代にこの曲はヒットしたのです。
時期を同じくして、テレビドラマの(不倫をテーマにした)「金曜日の妻たちへ」が高視聴率。世間がこの歌詞を受け入れてくれるタイミングだったのでしょう。時代が僕に味方してくれたのだと思います。
思うに、人生は巡り合わせの連続です。歌を通して師匠と出会い、33歳にして丁度大人の男の恋愛の歌に出会う。演歌不振の時代にもかかわらず、全てのタイミングが合致して大ヒットとなった曲なのです
と、語っています。
また、この「さざんかの宿」は大川栄策さんにとって、デビュー曲の「目ン無い千鳥」(1969年)以来、13年ぶりのヒットだったのですが、その間、師匠の古賀政男さんは他界されており、
大川栄策さんが、「ザ・ベストテン」に出演した際には、
13年間の苦労は何とも思わないが、古賀先生がお元気な内に、A面でヒット曲を出して先生を喜ばせたかった
と、語っています。
大川栄策が34歳の時には「恋吹雪」が30万枚を売り上げる大ヒットを記録
そんな大川栄策さんは、翌年の1983年にも、吉岡治さんに作詞を依頼した(作曲は市川昭介さん)「恋吹雪」(1983年6月1日リリース)が30万枚を売り上げる大ヒットとなっています。
(「さざんかの宿」に次ぐ大ヒット)
「恋吹雪」
大川栄策が56歳~59歳の時には「駅」「再会」「稲妻」「風港」「名残りの桜」「二人の旅路」が立て続けに大ヒットを記録
その後、大川栄策さんは、年に2回のペースでシングルをリリースすると、2005年には、シングル「駅」が20万枚を超える大ヒットを記録するほか、
「駅」
- 2006年には、「再会」
- 2007年には、「稲妻」「風港」
- 2008年には、「名残りの桜」「二人の旅路」
が、6作品連続で10万枚を突破する大ヒットとなったのでした。
ちなみに、大川栄策さんは、ペンネーム「筑紫竜平」の名で、作詞家・作曲家としても活動し、演歌歌手の瀬口侑希さんや西方裕之さんらにも楽曲を提供しています。
大川栄策の主なシングル一覧
それでは、ここで、大川栄策さんの主なシングルをご紹介しましょう。
- 1969年「目ン無い千鳥」
- 1970年「柳川の人」
- 1971年「盛り場ぐらし」
- 1972年「湯の町エレジー」
- 1973年「木枯紋次郎」
- 1974年「愛人」
- 1975年「酒場えれじい」
- 1976年「別れましょう」
- 1977年「にっぽん太鼓」
- 1978年「浮世坂」
- 1979年「四畳半」
- 1980年「おんなの街角」
- 1981年「筑後川エレジー」
- 1982年「さざんかの宿」
- 1983年「恋吹雪」
- 1984年「盛り場おんな酒」
- 1985年「冬花火」
- 1986年「雨の港」
- 1987年「江差・追分・風の街」
- 1988年「舞酔い雪」
- 1989年「夢もどき」
- 1990年「わたしのソウル」
- 1991年「みれん雨」
- 1992年「絆川」
- 1993年「酔いぐれすずめ」
- 1994年「出で湯橋」
- 1995年「わかれ恋歌」
- 1996年「北の慕情」
- 1997年「恋の細道」
- 1998年「夢一天」
- 1999年「男の喝采」
- 2000年「炎の螢」
- 2001年「海峡ふたりぽっち」
- 2002年「哀愁平野」
- 2003年「新道」
- 2004年「港雨」
- 2005年「夜明け前」
- 2006年「再会」
- 2007年「稲妻」
- 2008年「名残りの桜」
- 2009年「浪花ことぶき」
- 2010年「あの日の君を恋うる歌」
- 2011年「高山の女~新録音~」
- 2012年「昭和放浪記」
- 2013年「湯の町月夜」
- 2014年「あばれ舟唄」
- 2015年「男の桟橋」
- 2016年「みれん舟」
- 2017年「忍ぶの乱れ」
- 2018年「男の火花」
- 2019年「未練なんだぜ」
- 2020年「面影しぐれ」
- 2021年「男泣かせの雨が降る」
- 2022年「なごり雨」
- 2023年「きたみなと」
- 2024年「命かさねて」
- 2025年「大河のしずく」
「大川栄策の妻は?子供は?娘はいきものがかりの吉岡聖恵?」に続く
古賀政男さんに弟子入りし、1969年「目ン無い千鳥」でデビューすると、1982年に発売した「さざんかの宿」が180万枚を売り上げる大ヒットを記録し、さらに、2005年に発売した「駅」が25万枚のヒットとなった、大川栄策( …