1965年、18歳の時、財政界を揺るがせた「吹原産業事件(吹原疑獄事件)」に関与していた吹原弘宣社長と親密な関係にあったことから、日本クラウンを解雇され、一時的に芸能活動を自粛すると、
その後、テイチクに移籍し、1965年11月には、シングル「君の名を呼ぶ/丘の上の白い校舎」で、復帰を果たした、高石かつ枝(たかいし かつえ)さん。
そんな高石かつ枝さんは、プライベートでは、実業家の伊藤祐吉さんと結婚し、芸能界を引退しています。
今回は、高石かつ枝さんの、夫・伊藤祐吉さんとの馴れ初め、子供(娘2人・息子1人)についてご紹介します。
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高石かつ枝との夫・伊藤祐吉との馴れ初めは?
高石かつ枝さんは、1968年、22歳の時に、住宅設備機器メーカー(現・株式会社銅富)の御曹司だった伊藤祐吉さんと結婚しています。
伊藤祐吉さんは、福岡ソフトバンクホークスの取締役会長・王貞治さんと、早稲田実業学校時代から無二の親友だそうで、その王貞治さんが高石かつ枝さんとの仲を取り持ってくれたといいます。
(伊藤祐吉さんと王貞治さんは、早稲田実業学校卒業後は、全く違う世界に進むも、その後もずっと、「ユウちゃん」「サダちゃん」と呼び合う仲で、「王さんのことは伊藤さんに聞け」が巨人担当記者の合言葉になっていたほど仲が良かったといいます)
高石かつ枝は夫・伊藤祐吉とは王貞治とのコラボショーで知り合っていた
実は、伊藤祐吉さんの早稲田実業学校時代の同級生が某芸能プロダクションに就職しており、この同級生が、1963年オフ、松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」(1962年)を歌って一躍スター歌手になっていた高石かつ枝さんと王貞治さんのコラボショーを企画したそうですが、
その際、王貞治さんの出演交渉を伊藤祐吉さんが請負ったそうで、王貞治さんは、この時、2年連続ホームラン王に輝き(1962年と1963年)、スター選手への一歩を踏み出していた大切な時期だったそうですが、「ユウちゃんの頼みなら」と言って、引き受けたといいます。
そんな中、伊藤祐吉さんも、責任上、北海道~東北の巡回興業に同行したそうで、前座では、王貞治さんが「無法松の一生」、伊藤祐吉さんは「星は何でも知っている」を歌いながら巡回したそうですが、
そのうち、伊藤祐吉さんが、高石かつ枝さんを好きになり、王貞治さんに仲を取り持ってもらったそうで、
伊藤祐吉さんは、
全てサダちゃん(王貞治さん)のおかげ。(王貞治さんとは)一年365日の半分近く、一緒にいたこともありましたから
巡業中、宿帳に彼(王貞治さん)はサインと『球道一心』、彼女(高石かつ枝さん)は即興の詩を書いていた。芸能人ぽくなくてね・・・。
彼(王貞治さん)には、向こうは月給100万円、車付き。こっちはしがない若社長。どうせ振られるんだから止めておけ、と言われたんだけどね
と、語っています。
(伊藤祐吉さんは、早稲田実業学校卒業後は、家業の風呂釜屋と日本橋小伝馬町の「銅富」を引き継いでいたのですが、その後、創業した「TOTOスペース」を200億円企業に育て上げています)
高石かつ枝には子供が3人
高石かつ枝さんと伊藤祐吉さんの間には、女の子2人と男の子1人、計3人の子供が誕生しているそうです。
娘(長女)はジャズシンガーのAayah
長女は、綾子さんといい、Aayah(アーヤ)名義で、2004年4月、スタンダードナンバーを中心としたジャズシンガーとしてデビューすると、主に、結婚式や企業のイベントなどで活動しているそうです。
娘(次女)は歌手の愛子
次女は愛子さんといい、愛子さんも歌手として活動しているそうで、
2012年、iTunesより、綾子さんとのデュエット曲「クロス・トゥ・ユー」を発売しています。
ただ、その後の情報はなく、どうされているのか不明です。
息子(長男)は伊藤要
長男は伊藤要さんといい、「羽田エキスパートエージェンシー」という会社の代表取締役を務めているそうですが、
早稲田大学大学院を卒業後、「CWYホールディングス」「チャンピオン」「オリエンタル・ソリューション」ほか、お父さんの会社である「株式会社銅富」など様々な会社で代表取締役を歴任してきたといいます。
小学生の時から、童謡歌手として活躍し、16歳の時には、自身がヒロインを務めた映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」で歌謡歌手としてデビューすると、いきなり大ヒットとなった、高石かつ枝(たかいし かつえ)さん。 今回は、そ …