1956年、映画「飢える魂」で俳優デビューすると、1959年には「南国土佐を後にして」と「ギターを持った渡り鳥」で大ブレイクし、日本映画の黄金期を支えた、小林旭(こばやし あきら)さん。

今回は、そんな小林旭さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。

小林旭

「小林旭の生い立ちは?4歳で子役!17歳で日活ニューフェイスに合格していた!」からの続き

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小林旭が10代の時は「飢える魂」で映画デビューし、「錆びたナイフ」で石原裕次郎と共演、「絶唱」で浅丘ルリ子と共演していた

17歳の時に「飢える魂」で映画デビュー

小林旭さんは、1956年、17歳の時に、川島雄三監督作品「飢える魂」で本格的に映画デビューしています。

「飢える魂」
「飢える魂」より。加藤勢津子さんと小林旭さん。

18歳の時には「殺したのは誰だ」ほか多数出演

そして、翌年の1957年、18歳の時には、

  • 「川上哲治物語・背番号16」
  • 「孤獨の人」
  • 「今日のいのち」
  • 「殺したのは誰だ」
    「殺したのは誰だ」
    「殺したのは誰だ」より。
  • 「幕末太陽傳」
  • 「青春の冒険」
  • 「高校四年」
  • 「九人の死刑囚」

と、立て続けに映画に出演しています。

19歳の時には「錆びたナイフ」で日活のスター・石原裕次郎と共演

そんな小林旭さんは、1958年、19歳の時には、映画「錆びたナイフ」で、「日活」のスター俳優だった石原裕次郎さんとの共演で、悪徳ボスに追われながら逆襲に転じてボスと黒幕を滅ぼす男の役を演じて好評を博しています。

「錆びたナイフ」
「錆びたナイフ」より。石原裕次郎さん(左)と小林旭さん(右)。

19歳の時には「絶唱」で浅丘ルリ子と共演

また、同年、純愛メロドラマ「絶唱」では、一転、浅丘ルリ子さんを相手に瑞々(みずみず)しい演技を披露し人気を博しています。

「絶唱」
「絶唱」より。浅丘ルリ子さんと小林旭さん。

小林旭が20代の時は「南国土佐を後にして」「ギターを持った渡り鳥」でブレイク

20歳の時に「南国土佐を後にして」で一躍脚光を浴びていた

そんな小林旭さんは、1959年、20歳の時には、ヤクザから足を洗おうともがく若いヤクザ役を演じたアクション映画「南国土佐を後にして」の大ヒットで一躍脚光を浴び、

これまで文芸作品が中心だった「日活」で、青春期の繊細さを見事に演じきり、次第に頭角を現していったのでした。

「南国土佐を後にして」
「南国土佐を後にして」より。

20歳の時には「ギターを持った渡り鳥」でスター俳優の仲間入りを果たしていた

そして、同年(1959年)、「ギターを持った渡り鳥」では、西部劇のヒーローさながら拳銃を片手に馬に乗り、時にはギターを持って歌を歌い、悪を次々と打ちのめす主人公・滝伸次を演じると、映画はまたまた大ヒットを記録。

「ギターを持った渡り鳥」
「ギターを持った渡り鳥」より。

以降、「ギターを持った渡り鳥」は、

  • 1960年「口笛が流れる港町」
  • 1960年「渡り鳥いつまた帰る」
  • 1960年「赤い夕日の渡り鳥」
  • 1960年「大草原の渡り鳥」
  • 1961年「波涛を越える渡り鳥」
  • 1961年「大海原を行く渡り鳥」
  • 1962年「渡り鳥北へ帰る」
  • 1962年「渡り鳥故郷へ帰る」

と、シリーズ化され、小林旭さん演じる主人公・滝伸次は、日本アクション映画史上に残るヒーローとして、現在も語り継がれています。

20歳~24歳の時には「銀座旋風児」シリーズでスターの座を不動のものにしていた

また、小林旭さんは、1959~1963年(20歳~24歳)には、「ギターを持った渡り鳥」シリーズ以外にも、

  • 1959年「銀座旋風児 黒幕は誰だ」
  • 1960年「銀座旋風児 目撃者は彼奴だ」
  • 1961年「銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる」
  • 1962年「二階堂卓也銀座無頼帖 帰ってきた旋風児」
  • 1963年「風が呼んでる旋風児 銀座無頼帖」

と、「銀座旋風児」シリーズにも主演し、同時期に活躍していた石原裕次郎さんらとともに、「日活」の黄金時代を支えたのでした。

「銀座旋風児」
「銀座旋風児」より。小林旭さんと浅丘ルリ子さん。

小林旭が30代の時は「仁義なき戦い 代理戦争」で新境地を開拓するほか歌手としても「昔の名前で出ています」が大ヒット

33歳の時には「東映」に移籍し「ゾロ目の三兄弟」に出演

そんな中、小林旭さんは、1972年、33歳の時には、「日活」を退社し、「東映」に移籍すると、移籍第1作目は「ゾロ目の三兄弟」に出演しています。

「ゾロ目の三兄弟」
「ゾロ目の三兄弟」より。

34歳の時には深作欣二監督作品「仁義なき戦い 代理戦争」で新境地を開拓していた

そして、1973年、34歳の時には、深作欣二監督作品「仁義なき戦い 代理戦争」で、主人公・広能昌三(菅原文太さん)と渡り合うヤクザ・武田明を貫禄十分に演じ、新境地を開拓しています。

「仁義なき戦い 代理戦争」
「仁義なき戦い 代理戦争」より。

36歳の時にはシングル「昔の名前で出ています」が大ヒット

また、小林旭さんは、「日活」の看板スターとして活躍するかたわら、歌手としても活動し、1975年にリリースした、シングル「昔の名前で出ています」は、当初はヒットしなかったものの、1977年に入って徐々に売上を伸ばすと、最終的には、累計270万枚を売り上げる大ヒットとなっています。

「昔の名前で出ています」
「昔の名前で出ています」より。

小林旭が40代の時には「熱き心に」が大ヒット

さらに、小林旭さんは、1985年、46歳の時には、「熱き心に」が大ヒットし、翌年の1986年に及ぶロングランヒットとなっています。

(実は、小林旭さんは、事業の失敗により、2度も巨額の借金を抱えたことがあったそうですが、この「昔の名前で出ています」と「熱き心に」の大ヒットで、借金を完済することができたのだそうです)

「熱き心に」
「熱き心に」より。

小林旭の50代~60代の時は映画「春来る鬼」で初の監督

そんな小林旭さんは、50代~60代でも、俳優、歌手として活動しており、

1989年、52歳の時には、映画「春来る鬼」で、初の監督、製作総指揮も務めています。

小林旭が70代の時は「バイキング」で放送禁止用語を発していた

また、小林旭さんは、2017年、78歳の時には、情報バラエティ番組「バイキング」に、芸能生活で初めてコメンテーターとして出演しているのですが・・・

小林旭さんの言動が自由過ぎ(放送禁止用語を発言)、これに対してアナウンサーが謝罪したことを発端に、他局のアナウンサーが司会の坂上忍さんにダメ出しするなど、ちょっとしたトラブルに発展しています。

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小林旭は80代(現在)でYouTube「小林旭マイトガイチャンネル」を設立

そんな中、小林旭さんは、2020年、81歳の時には、YouTube「小林旭マイトガイチャンネル」を設立するなど、ユーチューバーとしても活動しているほか、2024年、85歳の時には、「第47回日本アカデミー賞会長功労賞」も受賞しています。

「第47回日本アカデミー賞会長功労賞」
「第47回日本アカデミー賞会長功労賞」を受賞する小林旭さん。

お読みいただきありがとうございました

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