1956年、映画「飢える魂」で本格的に俳優デビューして以来、60年以上もの間、芸能界で活躍されている、小林旭(こばやし あきら)さん。今回は、そんな小林さんのデビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。

「小林旭は「ギターを持った渡り鳥」で本物の拳銃を使っていた!」からの続く

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出演作品(テレビドラマ)

それでは、ここで、小林さんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1971年「ターゲットメン」
1980年「旅がらす事件帖」
1981年「幻之介世直し帖」
1993年「琉球の風」
1995年「寝たふりしてる男たち」


「ターゲットメン」より。

出演作品(映画)

映画では、

1956年「飢える魂」
1957年「川上哲治物語・背番号16」
     「孤獨の人」
     「今日のいのち」
     「殺したのは誰だ」
     「幕末太陽傳」
     「青春の冒険」
     「高校四年」
     「九人の死刑囚」


「飢える魂」より。轟夕起子さんと小林さん。

1958年「白い悪魔」
     「夜霧の第二国道」
     「錆びたナイフ」
     「霧の中の男」
     「美しい庵主さん」
     「踏みはずした春」
     「悪魔と天使の季節」
     「青い乳房」
     「絶唱」
     「完全な遊戯」


「錆びたナイフ」より。石原裕次郎さん(上)と小林さん(下)。

1959年「嵐を呼ぶ友情」
     「女を忘れろ」
     「群集の中の太陽」
     「俺は挑戦する」
     「二連銃の鉄」
     「東京の孤独」
     「若い豹のむれ」
     「爆薬に火をつけろ」
     「南国土佐を後にして」
     「ギターを持った渡り鳥」
     「波止場の無法者」
     「口笛が流れる港町」


「群集の中の太陽」より。小林さんと浅丘ルリ子さん。

1959~1963年「銀座旋風児シリーズ」
1959~1962年「渡り鳥シリーズ」
1960年「やくざの詩」
     「海から来た流れ者」
     「渡り鳥いつまた帰る」
     「海を渡る波止場の風」
     「赤い夕陽の渡り鳥」
     「東京の暴れん坊」
     「南海の狼火」
     「大草原の渡り鳥」
     「大暴れ風来坊」
     「都会の空の用心棒」


「海を渡る波止場の風」より。浅丘ルリ子さんと小林さん。

1961年「波濤を越える渡り鳥」
     「太平洋のかつぎ屋」
     「でかんしょ風来坊」
     「風に逆らう流れ者」
     「大海原を行く渡り鳥」
     「都会の空の非常線」
     「太陽、海を染めるとき」
     「高原児」
     「大森林に向って立つ」
     「嵐を突っ切るジェット機」
     「黒い傷あとのブルース」
     「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」


「太平洋のかつぎ屋」より。

1962年「さすらい」
     「夢がいっぱい暴れん坊」
     「惜別の歌 監督 野口博志」
     「遥かなる国の歌」
     「渡り鳥故郷へ帰る」
     「地獄の夜は真紅だぜ」
     「望郷の海」
     「歌う暴れん坊」


「さすらい」より。小林さんと松原智恵子さん。

1963年「波止場の賭博師」
     「夜の勲章」
     「俺は地獄の部隊長」
     「銀座の次郎長」
     「関東遊侠伝」
     「銀座の次郎長 天下の一大事」


「夜の勲章」より。

1964年「東海遊侠伝」
     「花と怒涛」
     「無頼無法の徒」
     「生きている狼」
     「さすらいの賭博師」
     「俺たちの血が許さない」
     「黒いダイスが俺を呼ぶ」
     「ギター抱えたひとり旅」


「俺たちの血が許さない」より。松原智恵子さんと小林さん。

1965年「拳銃無頼帖 流れ者の群れ」
     「投げたダイスが明日を呼ぶ」
     「さすらいは俺の運命」
     「意気に感ず」
     「黒い賭博師」
     「三匹の野良犬」
     「黒い賭博師 ダイスで殺せ」
     「野郎に国境はない」
     「マカオの竜 監督 江崎実生」


「黒い賭博師」より。(左から)小林さん、冨士眞奈美さん、横山通乃さん、 高橋昌也さん、小池朝雄さん。

1966年「黒い賭博師 悪魔の左手」
     「俺にさわると危ないぜ」
     「放浪のうた」
     「不敵なあいつ」
     「新遊侠伝」
1967年「不死身なあいつ」
     「命しらずのあいつ」
     「爆弾男といわれるあいつ」
     「対決」
     「爆破3秒前」
     「君は恋人」
     「血斗」


「血斗」より。小林さん(左)と高橋英樹さん(右)

1968年「遊侠三国志 鉄火の花道」
     「赤道を駈ける男」
     「嵐の果し状」
     「縄張はもらった」
     「三匹の悪党」
     「女の警察」


「三匹の悪党」より。(左から)小林さん、高橋英樹さん、田中邦衛さん。

1969年「地獄の破門状」
     「昇り竜鉄火肌」
     「やくざ渡り鳥」
     「博徒百人」
     「続 女の警察」
     「あらくれ」
     「代紋 地獄の盃」
     「昇り竜やわ肌開帳」
     「広域暴力 流血の縄張」
     「姐御」
     「女の市場」
     「喧嘩博徒 地獄の花道」


「姐御」より。扇ひろ子さんと小林さん。

1970年「牡丹と竜」
     「女の警察 国際線待合室」
     「日本最大の顔役」
     「鮮血の記録」
     「女の警察 乱れ蝶」
     「ネオン警察 ジャックの刺青」
     「ネオン警察 女は夜の匂い」


「女の警察 国際線待合室」より。

1971年「暴力団・乗り込み」
1972年「ゾロ目の三兄弟」
1973~1974年「仁義なき戦いシリーズ」
1974年「暴力街 監督 五社英雄」
     「唐獅子警察」
     「仁義なき戦い 完結篇」
     「あゝ決戦航空隊」
     「実録飛車角 狼どもの仁義」


「ゾロ目の三兄弟」より。(左から)渡瀬恒彦さん、小林さん、田中邦衛さん。

1975年「青春の門」
     「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」
1976年「実録外伝 大阪電撃作戦」
     「広島仁義 人質奪回作戦」
1977年「青春の門 自立篇」
1978年「多羅尾伴内」
     「多羅尾伴内 鬼面村の惨劇」


「多羅尾伴内」より。

1982年「制覇」
1989年「春来る鬼」
1992年「修羅の伝説」
1993年「民暴の帝王」
2002年「修羅の群れ」
2003年「首領(ドン)への道」


「首領(ドン)への道」より。

ほか、数多くの作品に出演されています。

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「黒い賭博師」の撮影で35日間意識不明になっていた

ところで、小林さんは、1965年、映画「黒い賭博師」に出演されているのですが、撮影中、高所からトラポリンに飛び降りて跳躍するというシーンをスタントマンを使わずに撮影に挑んだそうで、

1人でのリハーサルでは問題なかったそうですが、本番で、相手役の冨士眞奈美さんの代わりとなる約30キロの人形を抱えて飛び降りると、予想以上にリバウンドが強く、空中に放り出されて、予定の着地点をはるかに超えた場所に真っ逆さまに墜落。

それでも、小林さんは、顔面蒼白となって駆けつけたスタッフに、

大丈夫だ

と言って起き上がり、病院へは行かずに、そのまま帰宅されたそうですが・・・

その日の夜、小林さんが夕食を取っている最中、突然、いびきをかいて昏睡状態となったそうで、救急搬送されると、それから35日間もの間、眠り続け、目を覚ますという、まさに奇跡の生還ともいうべき出来事があったそうです。

ちなみに、某映画関係者は、

(宍戸)錠も「芝居も動きも並外れてこなすのは旭しかいない」と話していましたし、ジャッキー・チェンやジョン・ウー監督も旭の熱狂的なファンでした

(宍戸)錠いわく「裕次郎でさえ俺にグチを言っていたが、旭は一度も言ったことがない。そういう男らしい男なんだ」と。体を張って徹底的にやり抜く。もうこんな本物の映画スターは現れないでしょうね

と、小林さんの役者魂を絶賛されているのですが、

実際、小林さんがスタントマンを使わずに自分でやるようになったのは、ある映画の撮影で、小林さんが崖から飛び降りるシーンを、代役のスタントマンが飛び降り、大怪我をしたことから、小林さんが病院に見舞いに行くと、病室から、「痛てぇ痛てぇ」と聞こえてきたことがきっかけだったそうです。

「小林旭は石原裕次郎から弟のように可愛がられていた!」に続く

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