2011年、77歳の時、テレビドラマ「3年B組金八先生ファイナル」の出演を最後に、芸能活動を停止した、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、2019年には、「NEWSポストセブン」の取材に応じ、近況を語っています。

「財津一郎は「脳出血」で倒れるも大手術により完治していた!」からの続き

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脊柱管狭窄症で足が不自由になっていた

1995年、61歳の時に、「脳出血」で倒れたことをきっかけに、余生を妻・ミドリさんと過ごそうと、徐々に仕事をセーブしていき、2011年には完全に芸能活動を停止し、以降、ミドリさんと2人で穏やかな毎日を送っていたという財津さんですが、

やがては、「脊柱管狭窄症」で足が不自由になり、さらに、2019年秋には、衰えが進んでいたというミドリさん(89歳)の体調が急激に悪化したといいます。

妻が倒れる

ある日のこと、廊下で「ドーン」という音がしたため、慌てて見に行くと、ミドリさんが床の上で倒れていたそうで、幸い、頭は打たなかったものの、転んだ拍子に、とっさについた右手首を骨折してしまったのだそうです。

(スリッパを履いていたことから、滑ったのではないかとのこと)

以来、ミドリさんは、つまずきそうな場所を怖がるようになり、

財津さんが、

一緒に夕日を見ようよ

と、誘っても、

窓から見られるから大丈夫よ

と、家を出ることさえも嫌がるようになってしまったそうで、ついには、家の中を歩くことすらできなくなったのだそうです。

(そのため、財津さんは、足に障害を抱える自分のために借りていた車椅子を、ミドリさんに貸してあげたのだそうです)

妻が倒れてからは家事の全てを一人で担っていた

こうして、家事の全てを一人で担うようになった財津さんは、毎朝4時半に起きて、家の中を掃除をすると、その後、家の前をほうきで掃き、ゴミ出しを済ませた後、朝食を作ると、買い物にも電動カートに乗って一人で出かけたそうで、

財津さんは、この時のことを、

それまでの人生、包丁すらまともに握ったことがなかったから、大変だった。何より、台所で1時間くらい立ちっぱなしだから、膝にも来るし、熱気で立ちくらみもする。

しんどかったけれど、むしろ『ママはこんなことを何十年も黙々と続けてきたのか』と、ありがたさがますます身に沁みた

ママの代わりに、僕が全部やっているわけよ。炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し。それでヘトヘトなの。そうしたら、ママがまた倒れた。

転んで、いま動けないから、食事も全部、僕が作っている。これは疲れるね。厨房で40分立って作るでしょ、それでヘトヘトになっちゃう。女性ってのは、いかに厳しい仕事をしているかって分かったよ。

と、語っています。

(足に障害を抱える財津さんにとって、重い荷物を抱える買い物は、何よりも大変だったそうです)

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妻の気持ちを思いデイサービスの利用は出来なかった

ちなみに、財津さんは、一時は、デイサービスの利用を検討したこともあったそうですが、

介護をするなかで一番苦労したのが、ママをお風呂に入れることでした。抱っこして、浴槽に入れるだけで、汗だくになる。

『人に頼めたらどんなに楽だろう』と考えたことは何度もある。でも、そのたびに『僕以外の人に入浴させられたら、ママはどんな気持ちになるだろうか』と、心苦しさが勝った。結局、最後まで、僕が入浴させました

と、ミドリさんの気持ちを思い、踏み切れなかったことを明かしています。

「財津一郎は自身が緊急入院中に妻が同じ病院に担ぎ込まれていた! 」に続く

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