「脊柱管狭窄症」で足が不自由になった状態で、妻・ミドリさんが倒れ、ミドリさんの介護と家事を1人で担っていたという、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、2020年2月6日、ミドリさんが他界されます。
「財津一郎は足が不自由になるも妻の介護を1人で担っていた!」からの続き
妻が他界
体の不自由を抱えながら、家事に加え、妻・ミドリさんの介護まで担っていた財津さんは、
僕がこうして生きてこられたのは、全部ママのおかげ。若い頃から苦労をかけっぱなしだったママに、最後のご奉公がしたかったんです
と、語っていたのですが、
そんな中、2020年2月6日、とうとう、ミドリさんが他界されます。
妻の他界の直前に財津一郎は緊急手術を受けていた
財津さんによると、2020年1月のこと、財津さん自身に血尿が出たことから、病院に行くと、検査の結果、膀胱(ぼうこう)に血の塊(かたまり)が見つかったそうで、そのまま緊急手術を受け、手術は7時間にも及ぶ大手術となったそうですが、
そんな中でも、財津さんは、
退院して、早くママの元に戻らなきゃ
と、思っていたそうです。
妻が同じ病院に担ぎ込まれる
そんな矢先、息子さんから、ミドリさんの肺呼吸に問題が起き、自力で呼吸できなくなったと連絡が入り、ミドリさんも同じ病院に担ぎ込まれて来たそうで、
財津さんは、手術後、医師から絶対安静を命じられ、起き上がれない日々が続いていたのですが、このことを聞くと、気が気ではなく、痛みに耐えて車椅子に乗り、別の病棟にいるミドリさんを訪ねたそうです。
ただ、ミドリさんのいる病室からは、ゼエゼエという呼吸音が聞こえてきたそうで、ミドリさんは、人工呼吸器をつけて苦しそうにしており、とても会話ができる状態ではなかったのだそうです。
妻は亡くなる直前に感謝の言葉を口にしていた
それから、ほどなくして、ミドリさんは、大腸ポリープが破裂して下血し、2020年2月6日の午後には、かすかに目を開け、絞り出すような声で、
パパ、ありがとう。感謝してるよ
と、言い、そのまま亡くなったそうで、
(この日は、ミドリさんのベッドの周りに何人もの看護師が詰めかけていたそうなので、ミドリさんがもう長くないことを知って、財津さんも呼ばれていたようです)
財津さんは、
他人行儀に感謝の言葉をかけるような夫婦じゃなかったから、あんなふうに言われるとは思いもしなかった。きっと、ママはお迎えがそこまで来ていることを悟っていたんだろう。あの言葉は、ずっと耳に残っています
と、語っています。