1970年に、ショービジネスの本場、アメリカで舞台を学び、以降、数多くの舞台で活躍するほか、人気刑事ドラマ「あぶない刑事シリーズ」や、「混浴露天風呂シリーズ」にも出演し、お茶の間でも人気を博した、木の実ナナ(きのみ なな)さんですが、今回は、そんな木の実さんを支えた「もの」についてご紹介します。
養っている父親の反対で結婚を諦めていた
木の実さんは、これまで一度も結婚されたことがなく、現在も独身です。そして、お子さんもいらっしゃいません。
それでも、かつては、結婚を考えたほどの大恋愛をした方がいたそうですが、お父さんの反対にあい、泣く泣く結婚をあきらめたそうです。
というのも、当時は、木の実さんが家族全員を養っていて、
木の実さんが、
結婚したい
と、お父さんに言うと、
お父さんからは、
お前が結婚したら誰が俺たちを養っていくんだ!
と、言われたというのです。
母親と二人暮らしだった
ただ、そんなお父さんも、1988年に他界されており、その後、いつ頃からかは不明ですが、木の実さんは、長い間、お母さんと二人暮らしだったそうで、
木の実さんは、
母は私を身ごもってダンサーをやめたんです。大好きな道を諦めて育ててくれた。それを知ってから母をより大事にしなければと思って、亡くなるまでずっと二人で暮らして面倒を見ました。
と、語っておられます。
ちなみに、木の実さんのお母さんは、2008年2月に、「急性骨髄性白血病」により、入院されると、夏には小康状態となり、木の実さんの主演舞台「ウエディング・ママ」にも、病院から駆けつけて観劇されたそうですが、秋から危篤状態を繰り返し、同年11月7日に息を引き取られたとのことで、
木の実さんは、所属事務所を通し、
母の信条でもありました、つらい時にも笑顔を絶やさないことを胸に刻み、前向きに進んで行こうと思っております
と、コメントされています。
永六輔との絆
ところで、木の実さんは、デビュー当時、作家の永六輔さんから、
僕は貴女と仕事らしいことはしていないけれど、最も関心のあるタレントの一人です。(中略)僕は木の実ナナこそ、“粋な芸人”になれる有力ホープだと信じています。
貴女は粋なのです。洒落ているのです。都会人なのです。シックでスマートでセンシティブで……
という内容の手紙を受け取ると、
その後も、永さんからは、しょっちゅう、手紙をもらったそうで、1988年に、木の実さんのお父さんが「肝硬変」で他界された時も、
悲しいだろうけど、親が子どもを亡くす悲しみを思ったらさみしくないよ。いい思い出だけ大事に取っておきなさい
と、手紙で励ましてもらったそうで、
木の実さんは、
永さんの手紙だけで辞典が作れるくらい、その言葉に支えられました。
と、語っておられ、永さんが、2016年に他界されるまで、交流が続いたそうです。