2013年、自叙伝「安部公房とわたし」を発表し、23年に渡って安部公房さんと不倫関係にあったことを自ら告白した、山口果林(やまぐち かりん)さん。その詳細を調べてみました。

「山口果林の若い頃は?宮本信子とは?出演ドラマ映画は?」からの続き

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安部公房との不倫暴露本「安部公房とわたし」を出版

その自叙伝「安部公房とわたし」によると、山口さんは、高校時代、安部さんに憧れて女優を志し、桐朋学園大学短期大学部演劇科を受験すると(その時の面接官は安部さん)、見事合格、

(当時、安部さんは、多くの小説が30か国以上で翻訳出版されるほか、その作・演出による舞台が国際的に高く評価され、小説家、劇作家、演出家として成功。ただ、すでに妻子があり、奥さんは、安部さんの作品の挿絵や装丁、舞台美術を手掛ける美術家でした。)

その後、短期大学部を卒業し、専攻科へと進んだ2年目の春頃、安部さんから個人的に食事に誘われるようになったそうで、

安部さんは、山口さんよりも23歳も年上だったのですが、かねてから憧れの人であり、当時、学生の間で絶大な人気を誇っていた人。

そんな人から、ラウンジで牡蠣(かき)を食べながら、「(牡蠣の形は)女性の性器に似ている」と文学的に語られたり、「だんだん書くことが辛くなる」など創作の苦悩を打ち明けられたそうで、

まだ小娘に過ぎなかった山口さんにとっては、夢のようなひとときで、安部さんに妻子がいると分かっていても断ることなど到底できず、その年の秋(1970年、山口さん23歳)、安部さんの車でラブホテルへ行ったのでした。


安部公房とわたし

そして、山口さんは、その時、少女時代に抱えていたある秘密を安部さんに告白すると、安部さんに強く抱きしめられ、それで、すっかり安部さんに全幅の信頼を寄せるようになり、安部さんについていこうと思われたのだそうです。

こうして、お二人は男女関係となり、一年後、山口さんが、NHK朝ドラ「繭子ひとり」のヒロインに抜擢された頃には妊娠されるも、密かに中絶するなど、人目をはばかりながら関係を続けるのですが、1980年頃、安部さんが奥さんと別居すると、別荘で同居を開始。


「繭子ひとり」出演当時の山口さん。

以降、お二人は、長きに渡って一緒に暮らされるのですが、なぜか、マスコミに騒がれることはなく、安部さんの晩年になって、ようやく噂され始め、結婚の話も出るようになります。

しかし、今度は、安部さんのノーベル賞候補の声が高くなり、受賞に影響があるという理由で、「新潮社」から安部さんの離婚&山口さんとの再婚を反対されてしまい、

結局、その後も、お二人の関係は公にするタイミングを失って、1993年、安部さんが「急性心不全」で他界されるまで、山口さんは結婚することもできず、愛人としても世間に大きく知られることはなかったのでした。

安部公房他界20年後に公表した理由

ところで、なぜ、山口さんは、安部さんが亡くなって20年以上も経ってから、お二人の関係を公にしたのでしょうか。

実は、お二人は、1980年代後半までは、安部さんの別荘で暮らしていたのですが、その後、1992年頃、安部さんの病状が悪化してからは、山口さんのマンションで暮らされていたようで、

そんなある日、安部さんの病状が悪化し、山口さん宅から搬出された際、一部のマスコミにスキャンダルとして報道されるのですが、安部さんの家族への配慮から、山口さんの存在は完全に消されたそうで、

これに対し、普通なら、スキャンダルにならずに胸を撫で下ろすところですが、

長い間、安部公房の体調に気を遣い、(実の)母親の最後を託され、自分のことは後回しにしながら生きてきた。

両方を一遍に奪われたあと、自分のために生きる習性を身につけていなかったことに思い至る。安部公房と私との生活は全く無視され、私は世間から透明人間にされてしまった。

安部公房が亡くなって以来、遺族から一切、連絡は入らなかった。蚊帳の外に置かれ、まるで私が存在していなかったかのような世間の空気だった。この間、安部公房の人生から消された「山口果林」は、ひとり生き続けた。

と、山口さんは本書で綴られており、その時の自分の存在を証明したいという欲求があったというのです。

そして、後のインタビューでは、

安部さんが亡くなってから20年経ちました。私も今回、この本を書き終えて、残りの人生を新しく生き直したいなという気持ちも生まれています。

人生で選択した責任は自分が背負っていかないといけない。不倫だろうがなんだろうが、背負って生きるという覚悟を決めれば、別に罪を犯したり人を殺したりしたわけではないなら、それはその人の選択。私も後悔していません。

と、やっと安部さんとのことに区切りをつけ、先に進む気持ちになれたことを明かされたのでした。

遺族が激怒も・・・

一方、この本の出版には、(山口さんの自叙伝としながら)安部さんとの関係が克明に綴られているにもかかわらず、遺族に一切の許諾や連絡がなかったこと、安部さんの意向で伏せられていた本当の死因が「前立腺がん」であったこと、その闘病の様子が明らからにされていることを理由に、安部さんの遺族が激怒。

発売元の講談社から一切の書籍の版権を引き上げると息巻くほか、「作者と出版元を訴える」とまで言っていたそうですが、

現在もなお、本書は出版されていることから、和解されたのかもしれません。

ちなみに、安部さんの奥さんは、安部さんと同年の1993年9月、そして、一人娘・安部ねりさんも、2018年8月に64歳で他界されています。

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結婚は?

さて、いかがでしたでしょうか。

山口さんは、安部さんと死別された後、20年もの間、結婚されておらず、特に恋愛報道もなかったのですが、仮りに恋愛はされていたとしても、こんな暴露本を出さずにはいられなかったところを見ると、安部さんの存在は、とてつもなく大きかったということでしょう。

ただ、本書を出版したことで過去を清算できたのなら、近いうち、いい人と出会える可能性も。もう70代を回っている山口さんですが、諦めず、幸せになってほしいものです。

「山口果林の若い頃は?宮本信子とは?出演ドラマ映画は?」


若かりし日の山口さんと安部公房さん。

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