80代とは思えない若々しさで、女優業だけでなく、文筆業でも活躍されている、冨士眞奈美(ふじまなみ)さん。今回は、そんな冨士さんの生い立ちとそのルーツであるご両親についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

冨士さんは、1938年1月15日生まれ、
静岡県三島市のご出身、
(6歳まで東京で育ち、7歳から18歳まで三島市で過ごされたそうです)

身長154センチ、

血液型はA型、

学歴は、
⇒静岡県立三島北高等学校卒業

趣味は、
相撲・野球観戦(スポーツ全般)、イタリアオペラ鑑賞、俳句(俳号は衾去(きんきょ))、

ちなみに、本名は、「岩崎 眞奈美」なのですが、当時は「眞奈美」という名前は珍しかったそうで、新聞記者だったお父さんが、好きだった万葉集の短歌からとったそうです。


(左から)お姉さん、お父さん、3歳の頃の冨士さん。

前田美波里と岸惠子は遠縁の親戚

冨士さんは、女優の前田美波里さんと岸惠子さんとは遠縁の親戚だとか。

前田美波里さんは、冨士さんの母方の叔母が前田さんの母親のいとこと結婚、

岸惠子さんは、冨士さんの母方の叔母の夫が岸さんの母方のいとこの妻の弟、

だそうです(笑)

父親は新聞記者

冨士さんのお父さんは、修善寺(静岡県伊豆市にある寺院)の大地主の息子として生まれたそうですが、ヒエラルキー(階層社会)に抵抗するなど、正義感の強い青年として育ったそうで、その後、新聞記者になられたそうです。

冨士さんのお母さんは、そんなお父さんとお見合いされると、かっこよくてインテリなうえ、酒もタバコもやらないという触れ込みだったお父さんとの結婚を決意。

ところが、ふたをあけてみると、お父さんは、実は大酒飲みだったそうです♪

幼少期はラジオで選挙速報を聞くのが好きだった?

そんな両親のもと、冨士さんは、6人兄弟の3番目(三女)として、伊豆半島の三島と沼津の間にある清水村(現・清水町)で誕生すると、

デモに参加したり、選挙の応援活動に熱心だった両親の影響で、幼い頃からラジオの速報番組を聞いて育ったそうで、冨士さんが一番好きだったラジオ放送は、オリンピック中継と選挙速報だったそうです。

(冨士さんが育った田舎では、ラジオがまだ珍しかったそうですが、一家には、おじいさんが手作りした真空管ラジオがあったそうです)

ちなみに、幼い冨士さんは、どうしてラジオから声が聞こえるのかが不思議で、きっとお母さんが朝晩ラジオに食べ物をあげているのだろう、と思っていたそうです♪

おてんばな文学少女だった?

そんな富士さんは、ラジオ同様、新聞記者だったお父さんの影響で、幼い頃から本を読むことが好きで、お年玉やお小遣いをもらうと本を買っていたそうで、

小学5年生の時には、社会派作家・石川達三の「転落の詩集」を読んで夢中になると、中学生の時には、「金色夜叉」を読んで涙し、

高校生の時には、「風と共に去りぬ」のレット・バトラー、「赤と黒」の野心家で美しい主人公・ジュリアン・ソレルに熱を上げるなど、とにかく毎日、夢中で本を読んでいたそうです。

一方、晴れた日には、刈入れが済んだ後の田んぼで野球をするほか、ビー玉遊びやめんこをするなど、いつも男の子と遊ぶおてんばな女の子だったそうで、崖から飛び降りて、誰が一番高いところから飛び降りれたかを競う、スリルのある遊びも好きだったそうです。

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母親からは自立を促されれていた

ちなみに、冨士さんのすぐ下には弟さんがいらっしゃるのですが、弟さんは両親にとって、待望の男の子(長男)だったため、両親の愛情は、一気にこの弟に注がれたそうです。

とはいえ、お父さんは、他の子どもたちにも愛情深く接してくれたそうですが、

お母さんはというと、

母方の祖父は、母が生まれてすぐに家から出て、前から好きだった女性のところに行っちゃったらしいんです。

10年前に亡くなった母は、自分を捨てた父親をそれでもとても慕っていて、父から七五三のときに買ってもらったという螺鈿(らでん)のかんざしを大事に持っていた。

ぜいたくには育ってたけど、やはり寂しかったんでしょうね。私から見ると、母はそんな風に満たされなかった分、子どもの愛し方が分からないようにも見えました。

と、お父さんほどではなく、お母さんからはいつも、「自分のことは自分でしなさい」と言われて育ったそうです。

そのため、冨士さんは、

いずれ何か仕事を見つけて家を出なければいけない

と、物心ついた頃から思うようになっていたそうですが、

その頃の女優さんと言ったら、高峰秀子さんとか岸恵子さん、原節子さん。そういう人が女優さんになると思っていましたからね。私なんかもうゴボウみたいに細くてね。細かったのよ(笑)

私は子どもの頃からからだが弱くて、栄養失調みたいにガリガリで、20歳まで生きられないかもしれないって言われていたのね。

でも、スポーツが好きだから、野球をやったり、川で泳いだりしていたんですけど、すぐに熱を出すし、病気になりがちだったの。だから女優になるなんて考えたことはなかったわね。

と、女優になるとは全く思っていなかったそうです。

「冨士眞奈美の少女時代はオペラに夢中だった!」に続く

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